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インタビュー 安野ゆり子-001 2023/08/08

無名人インタビューではないインタビューをしたくなって始めたインタビューシリーズです。

今回の参加は、https://note.com/annoyuriko さん。
30分、定期的に、インタビューする。制作は私qbc一人だけ。
名前はまだない。
今回の参加者さんは、通常の「無名人インタビュー」も受けていただいています。
まえがき:qbc(無名人インタビュー主催・作家)


冒頭

——今は、何をしています?

自分としては、歌人とYouTuberで、外向きには専業主婦ですね。

浴衣を来た安野さん。鮫のスマホリング。

——最近の目標は。

体の無理をしないっていうのと、なんだろうな。
目標っていうとそれぐらいかな。

——今、どういう状況なんでしょうかね。

去年の12月ぐらいに離婚を決めて。
いろいろ紆余曲折あって、未だ離婚できてない。
だけど夫との関係は別に悪くなく、なんだろう。

離婚するしないの一旦の区切りが、障害年金が通るか通らないかっていう所にあるので、その障害年金の審査待ちです。

7月に11日間入院してたので、病み上がりみたいなものなので、基本的には仕事というか真面目なことはあんまりやらずに、遊びの予定を中心に組んで、基本的に無理しない。
サイクル通り、生活を回すっていうことをやってるのが8月です。
精神科に入院したんですけど、任意入院で入院しました。
任意入院って何かっていうと、患者本人が「入院したいです」って言って入院することで、そうすると「自分はもうそろそろ元気なんで退院したいです」って言うと、退院できるっていう、そういう入院の形式のことです。

私は今まで医療保護入院っていうのを3回やってるんですけれども。
これは家族である夫が同意書にサインして、判断はお医者さんに任せますみたいな形にして、お医者さんが私の様子を見て、「そろそろ退院してもOKです」って言って退院の時期が決まるっていうのが医療保護入院です。

今回は、自分で入院したいって言って任意入院して。
なんで入院したかっていうと、理由が三つあって。

一つは、正直な話をすると、他に好きな人がいるんですね。
その人からLINEをブロックされてて。
その人はすぐLINEブロックする癖があるんですけど。
7月の頭ぐらいにブロックが解除されて仲直りしたんですね。

ブロックされてる間は、どうにか友達と会ったりして自分自身が頑張って、精神の安定をコントロールしなきゃいけないみたいな感じだったんですけど。
ブロックが解除されることによって、そこまで頑張って友達と会わなくても、その人とコミュニケーションできていれば、「人間関係欲」みたいなのは満たされるから、そしたらなんか安心しちゃって。
今までちょっと無理して人間関係やってたり、ちょっと心を張ってたのが緩んじゃって、急に疲れちゃって。
それ以前もずっと何か、夫のこともそうですし、すごいいろいろ大変なことがあったり、親のこととか、お金のこととかっていうのも、もうずっと休みなく、無職なはずなのに休みなく動いてて。
それが理由の一つ目で。

二つ目は、「自分、健康になりたいな」っていう気持ちがすごく出てきたんですね。
そうしたら、例えばご飯はなるべく自分で作ってちゃんとしたものを食べた方がいいとか。
私の主治医がとにかくお風呂に入れっていう人で、最初はそれを疑ってたんですけど、お風呂長めに入ると本当に調子が良くなって、気持ちも体も調子良くなるんで。

なるべくお風呂、毎日ちゃんと入らなきゃとか。
あとは体も動かした方がいいから1日1回ぐらい散歩に行ってとかって気持ちが、向上心がちょっとありすぎて、本当はもう寝たらいいぐらいの体調なのに無理してご飯作っちゃうとか。
すぐ寝た方がいいのに無理してお風呂入っちゃうみたいなのとか。
健康になるためにやりすぎちゃうから、というのが二つ。

そんなことをやっていたら、生活が回らなくなってしまって。
例えば、家に食べるものがないのにスーパーに行けないとか。
作る云々よりまず外に出れないから何もないとかで、Uber頼むにも、玄関まで取りに行けない、布団から動けないとかになっちゃって。
掃除とか洗濯はまだいいとしても、やっぱ食べることが滞っちゃうと、本当に困っちゃうんで。

何もしなくてもご飯が出てくるところに行きたいなと思って。
それが三つめ。
それで入院したっていう感じですね。

離婚

別居中だが、週に1回は帰宅して夫婦は食事するという

優先順位を考えてみたんですね。
家族とか夫とか、好きな人に求めてる一番大事なことって、「一緒にいること」で。
特に自分の具合が悪いときに一緒にいてくれること。
でも、さらに具体的に考えたら、「週に5日ぐらいは夜一緒に夕飯食べたい」と思ってるんですね。
別に全部が私の作ったご飯じゃなくてもいいけど、外食でもいいけど、週に5日一緒にご飯食べたいなってのが、これが結構譲れない気持ちとしてあるんですね。

そうなんだけど、夫は外に出てって人で。
夫は俳句の会の運営をやってるんですけれども。
平日の仕事プラス、最近俳句の社団法人を建てて、社団法人のこともやってて、でも社団法人はお金に今なってないんで、時給0円なんですね。

12月にうちの実家で、うちの父と母と夫と私の4人で喋ったときに、父が言ってたのが、「2人の話を聞いてると、時間の使い方の話で揉めてる」と。
「ゆりちゃんは、週に何時間ぐらい旦那さんと居たいの?」って訊かれて、そのときは「もちろん具合が悪かったら週7とかになっちゃうときもあるし、具合よければ週1、2回でもいいっていう時もあるだろうけど、真ん中とったら、週3回ぐらい一緒に夕飯食べて、寝つくまで一緒にいてほしいから、1週間で15時間ぐらいは一緒にいたいな」って答えたんですね。

夫の方は、「1週間のうち40時間、一般のフルタイムの仕事をした上で、俳句の社団法人のことも週40時間やりたい」と。
で、8時間睡眠で、あとご飯食べてお風呂。
超タイトスケジュールじゃないですか。

ってなったときに、私の週15時間一緒にいたいってのは、無理じゃないかと。

いろんなことやりたいとかはいいけど、やっぱ取捨選択とか、諦めるっていうことも必要で、ちょっと欲張りすぎなんじゃないかみたいな話をね、してて。
そういう話をして、その後数ヶ月考えてみて。
そのときは15時間って言ったけど、もうちょっと自分の気持ちに正直になってみたら、「週5回一緒に夕飯食べたいな」ってのが、結構素直な気持ちだったんですね。

でも、やっぱり夫の生活スタイルだと、それが難しいんですね。
これまでは毎週金曜日が句会で、そのあと朝まで麻雀なんですよ。
で、朝帰ってきて、土曜日は1日寝てる。
それでも日曜から木曜は家にいるから、夜は家で一緒にご飯食べて喋ってるって感じで、バランスはそこそこ取れてたんですけど。

その句会の拠点が、今まで新宿でやってたのが高円寺に移るってなって。
今までは飲み屋でただ話しながら句会もしてるみたいだったのを、社団法人って形で会社としてやるみたいな話になったときに、物件探しだとか契約だとかね、いろいろ話し合いだとかって言って、平日も終電帰りとか、日曜日もなんかちょっと行ってくるね、みたいになっちゃって。

そのときに結構私、具合悪くなっちゃって。
振り返ってみると、私がメンタルが揺れるときって、やっぱり夫が忙しくなって家にあんまり帰ってこなくなっちゃったりしたときで、私が「具合悪いから今日は一緒にいてくれ」とか「行かないでくれ」とか、途中でも電話して「ちょっと今から帰ってきて」とかって言って、でも相手からしたら、「今俺はこれをすごいやりたいのになんで邪魔するんだ」って感じだし。

どう考えても家にいる不機嫌な具合悪そうな奥さんより、外で仲間とね、楽しいことやった方がいいんじゃないですか。
だから、具合が悪くなればなるほど家に居着かないみたいな感じで。
そういうところもあったりして、やっぱり2人でどういう時間の使い方をするかとか、家にいるかとか、そういうのがやっぱり感覚として合わない。

別にいい悪いじゃないけど、合わなくて、夫とは。
男の人だし、背も高いし力も強いから、振り切っちゃえば外に行けるんですよ。
私が「行かないで」ってすがりついても、振り切って行けちゃって、それで夫は自分の理想の生活って体現できるけど。
私って、夫が家にいてくれないと理想の生活が体現できないんですよね。

だから、どうにか懇願したりとか、暴れたり泣いたりすがったりしないと自分の望みは叶わなくて。
なんかそれって結構不公平だなと思ったんですね。
そのパワーバランスっていうか、あっちの方が簡単じゃんって思って。

そういうときに、好きな人っていうのがポンと出てきて。
その人はみんなと会うのも好きだけど、自分の時間もかなり大切にしてる人だったりとか、あと結構疲れやすかったりとかもするんで、静かにしてるのが好きなんですね。
むしろ初めの頃は私と会うと、自分の時間がなくなるから嫌だみたいなところもあって。
でもむしろその人の方が、なんだろう、家にはいるし、同じ時間にのんびりできるっていう。
家では一緒にいて、のんびりゆったり。
馬鹿な話しながらリラックスするみたいなことができるから。

健康のために、もう夫とは、家族はやんない方がいいかなっていうので、私は離婚したいなってなったんですよね。

——離婚を決心したのはいつなんですか?

12月の20日ぐらいですかね、去年の。
そもそも私が11月の30日に、薬を大量服薬したんですね、ODをして。
救急車騒ぎみたいのがあって。
その後に1回任意入院したんですけど、コロナが病棟で出ちゃって、入院した人が一歩も外に出ちゃいけないことになったんですね。
任意入院って基本的に、自由に散歩とか行っていいんですよ本当は。
鍵がかかる時間までは自由なんだけど、コロナが出たからそれも駄目で。
病院内のコンビニも行っちゃ駄目だったんですよ。
ちょっとね、ほとんど強制入院と一緒だから厳しいなと思って。
私、医療保護入院はめちゃめちゃ嫌いなので。
もう3日ぐらいで退院して、実家に行ったんですよ。
私、実家も好きじゃないんですけど、とりあえずもうピンチ過ぎて実家に行って、そこで親と喋って、夫を呼び出してみたいのが、12月の多分10日とかそんぐらい。

そのあと実家から帰ってきたりとか、好きな人と電話で喋ったりとか、自分で1人で考えたりとかした結果、12月20日ぐらいに決心して、夫に言って、そしたら今度は夫が家を出ていっちゃってみたいな、そういう流れだったんですね。

最初に離婚の話になったのは、まず、母に「なんで離婚しないの?」って言われたからなんですよ。例えば「『暴れたら入院させる』とか匂わせるのは、それって脅しじゃない?」みたいな。「精神的DVじゃない?」みたいに言われて、そんなこと思ったことなかったけど、そっか、そういうふうにも取れるのかと思って。
そこからちゃんと離婚っていうものを考えるようになって。
でもそこで親に、「別に好きな人がいて」みたいなこと言ったら、「不倫してるの!?」みたいになって、今度は親がびっくりパニック状態で大変だったんですけど。
そんな感じで、最初の母の「離婚しないの?」っていう言葉を自分の中で1週間ぐらい泳がせてたら、「その方がいいのか」ってことに、結局自分の中で納得したんで、夫に伝えたって感じですね。

——障害年金の審査結果が出るのはいつごろですか?

提出したのが確か6月だったかな。
大体3ヶ月ぐらいかかるっていうのが一般的なので、9月の頭とかかなって思ってて。
それからお金が振り込まれるのがまた1ヶ月後とか、それぐらいな感じですね。
お金が振り込まれないことには引越しもできないんで、全然自分のお金ないんで。
お金が振り込まれたらその通帳を不動産屋さんに見せて、これだけありますみたいな感じでおうちを探そうと思ってるので、それから家を出るって感じですかね。

夫は私を路頭に迷わせたいわけじゃないんで、家が見つかるまでは置いてくれるっていうことにはなってますし。
その辺は、いろんなことがわかってからちょっとずつ進めるって感じですね。
9月以降ですね。

短歌と俳句

安野さんのTwitterから

——短歌、俳句の創作のほうはどうですか? 

8月は、短歌が、クオリティはとりあえず置いといて、6首作ってて。
あと所属してる俳句の同人誌の締め切りがあったんで、俳句は11句作ってますね。

短歌のほうは、賞に出すので公開できないんですけど、布団から半分だけ体を起こして本棚に手を伸ばしてるだとか、あとは好きな人の家に遊びに行ったときに見た風景、その人はアイス食べるのが好きなんでアイスのこととか。
あと最近は花火大会があったりして、見に行かなかったんですけど、花火大会に行く人の群れは見たんで、そのときの彼の言動とか。
あとは何か、なんだろうな、「愛が芽生えるまでにはどういうことが起こるんだ」みたいなことを考えていて、ちょっと夜職っぽい、最後「ヴィトンのポーチ」っていう言葉を使ってるんですけど、ちょっと夜職っぽいような歌とか。

俳句の方は、作品が言えるんで言うと。
結構うまくできたかなって自分で思ってるのは。

花火持つ君への信頼度ならゼロ

花火持つと振り回すじゃないですか、結構みんな。
私そういうのめちゃめちゃ嫌いなんですよ、怖いから。
でも好きな人はもう絶対やるんですよ、そういうことをやるタイプの人間なんで。
だから、信頼度ゼロっていうことをちょっとコミカルな句に作ってみたり。

あとうまくできてるかわかんないんですけど、結構気持ちを込めて作ったのは。

悪口は祈りの果てで夕砧

砧(きぬた)っていうのは秋の季語なんですけど。
麻とかを叩いて柔らかくしたりとか、絹に艶を出すとかっていう作業で、女の人がやるんですけど、それを夕方にやってるのが夕砧で。
悪口は、友達とかの話聞いてると、結婚してる人とかもすぐ夫の悪口とかえげつないんですよもう、みんな悪口いっぱい言ってるじゃないですか。
でもなんかそういうのって、結局こうあってほしいとか、自分はこう思ってたのにっていう祈りの果ての姿だよなとかって思って。
みんな悪口言いたくて、でも一方で悪口言いたいだけじゃなくて、言わざるを得ない状況になってるからであって、それでもなんかやっぱ一縷の望みみたいなものを捨てられれなくて言ってるから、なんか悪口って祈りの果てだなみたいに思って。

砧って能の演目にあって、話は、旦那さんが都会のほうに仕事に行っちゃって、奥さんは田舎で残ってて、でもなんか、なかなか旦那さんが帰ってこなくて。
帰ってくるだろうと思ってた年末に、お使いのものだけが帰ってきて、すごく悲しい。
それで砧を打ってね、打ってる音に思いが乗って都会に届けばいいなと思って砧を叩くと。
結局その奥さんは死んじゃうんですけど、死んじゃったら葬式のために旦那さんは帰ってきて、そこで自分はつらかったんだみたいなことを言いに、奥さんがおばけになって出てくるんですけど。
結局それハッピーエンドで終わるらしいんですよ。
なんかどうやら、砧の音に気持ちが乗って夫に届いたと。
音に呪力があるって考え方があるから、砧を叩いたから気持ちが届いてたんだ、みたいな。

そういう話があって。
そういう話に掛けて作って。
うまくいってるか、ちょっと自分の作者としての気持ちが重すぎて微妙な気もするんですけど。
(※演目「砧」の説明は夫から聞いた話で、安野が能に詳しい訳ではないです。夫は能が好きなのです。多少間違っているかもしれません、悪しからず)

終わりに

大岡昇平の小説指南本の最後に、こんなニュアンスのことが書いてある。

小説を書くものはみな不幸である。
現実を小説的にしか見られないから。
ただし、良い作品を作れない場合には真の不幸が訪れるから気をつけなさい、と。

今回は小説じゃなくて短歌、俳句だけれども、人生から作品をひねり出すという意味では同じだろう。作品を書かないと作家には本当の不幸が訪れる。
言い換えれば、まあ、作品ができていれば不幸ではない。
果たしてそうなのであろうかね。

制作:qbc(無名人インタビュー主催・作家)

#無名人インタビュー #インタビュー #コミュニケーション #短歌  #俳句

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