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常に変化をし続けていたい、今までなかった思考で考えられるようにもなりたい、今まで出来てなかったことも出来るようになりたい、わくわくさんとあらねばさんを自分の中で飼っているアートセラピーおとなの図工クラブ代表の人

今日は子供の運動会なので土曜日だけど朝から外出しなきゃなんない!
というわけで、子供に接すると自分の童心というものがなんなのか、存分に思い知ラサレ丸qbcです。こんにちは、こんばんは。おはようございます。つまりですね、子供の心と大人の心の違いはですね、これは子供専門の理学療法士さんに教わったことなのですが、認知と感情って言い方で教えてくれたのですがね、
・認知=言葉
・感情=感情(です!)
とのことで、例えば何か遊びがあって、その遊びに子供に誘うとしたら、
・言葉で誘うとしたら「めちゃ盛り上がって楽しいよ」
・感情で誘おうとしたら、まず自分がめちゃくちゃに楽しんでその姿を見せる
というわけです。
面白いですよね。あ、理屈じゃないんだ。わくわくするかどうかなんだ。
確かに。自分の子供時代を思い返してもそうだし、子供を見てもそうだし、(子供っぽい)大人を見ても、そう思います。
一方大人は、これこれこうだから楽しい、だれだれさんもやっているから、運動にもなってお得だから、などなど。理屈の世界、あらねばの世界。無名人インタビュー的に言うと、名の世界ですね。この名を剥ぎとって、その人本来の姿を浮かびあがらせたいと思うのがこの活動。。
と、いうことで! 今日も無名人インタビュー始まりまーす!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 奈那美 さんです!

おとなの図工クラブ on Instagram: "オンラインワークショップ元気に開催中❗️ — おとな図工クラブオンライン 無料体験説明会は毎週開催中! プロフィールURL @otonanozukoclub からお申込み頂けます✨ #おとなの図工クラブ #アート #図工 #アートワーク #アートセラピー #アウトサイダーアート #アート好きな人と繋がりたい #絵を描くのが好きな人と繋がりたい #アートセラピスト #アートのある生活 #絵の具 #ヒーリングアート #カラーセラピー #ペイント #マインドフルネス #夏休み工作 #アクリル画 #アクリル絵の具 #チームビルディング #コミュニケーション #相互理解 #art #arttherapy #outsiderart #workshop #painting" 102 likes, 0 comments - otonanozukoclub on August 25, 2022: " www.instagram.com

現在:やっぱり絵を描くこととか、手を動かすことって自分にとってはすごく癒しの場だった

花梨:奈那美さんは今何をされている方でしょうか?

奈那美:改めて聞かれるとドキドキしますね。おとなの図工クラブという活動をしていて、合同会社anohiという会社を運営してます。おとなの図工クラブっていうのは、簡単に言ってしまうと本当に名の通り大人の皆さんに対してアートを出来る場っていうのを提供してるんですけど。あえて図工って言ってるのは、どうしてもアートっていうと、難しいものとか、うまく描かなくちゃいけないものっていうイメージもあると思うので、そうではなくて、少し大人の皆さんが子供の頃落書き楽しかったよねとか、子供の頃の無邪気な気持ちに帰ってもらって、表現が出来る場として、おとなの図工クラブっていう名前をつけています。

花梨:おとなの図工クラブは、いつ頃から始められたんですか?

奈那美:2013年に始めました。10年ぐらいなんですけど元々は自分がサラリーマンとして働きながらというか働いてるときに始めた活動で、2018年に合同会社anohiとして法人化してっていう形で法人化してからは、今ちょうど5年ぐらいですかねっていう感じでやってます。

花梨:大人の方に図工を体験してもらうということですが、具体的にはどんな形で提供されているものですか?

奈那美:具体的にやってることとしては今、法人向け個人向けっていう2つのサービスがあるんですけど。元々法人化してから企業向けのサービスっていう方を主にやってきたんですけど、そっちは企業研修としてとか企業の中のチームビルディングとして、このアートを取り入れてもらうっていうサービスで。もうひとつの個人向けのサービスっていうのが、これは去年からスタートした、今1年ちょっとのサービスなんですけど、オンラインでの習い事みたいな形で。アートのセッションというのは、例えばヨガスタジオに通うみたいな形、オンラインヨガみたいなのと同じような感じで、毎月70講座開かれてる講座を受講し放題みたいなので、受けられるアートのプログラムっていうのを提供してるっていうような感じですね。

花梨:この活動は、奈那美さんお1人で始められたんですかね。

奈那美:始めたのは1人で始めました。

花梨:そうしたら、今はどんな形でこの活動に関わっているんですか?

奈那美:今は講師とか一緒にやってくれる人が、10人弱ぐらい、8人ぐらいで主にやってる感じなんですけど、私自身も講師をまだやってますし、あとはコンテンツ作ったり、全体のことを私はやってて。あとはプログラムをご提供するっていうところに関しては講師の皆さん、一緒にやってくれてる仲間がいてっていう感じになってます。

花梨:おとなの図工クラブを始めようと思ったきっかけは何でしたか?

奈那美:私はずっとアートをやってはいるんですけど、美大に行ったわけではないんですね。ずっと子供の頃から工作とかが好きでしたし、小学生のときから油絵を始めて、中高とわりとがっつりやってたんですけど。いざ就職するときとか大学入るときとか就職するときとか、アート系に進むかって言われると、なかなか現実を考えると、そういう選択は出来なくて。アート系じゃない大学に進学をし、就職もクリエイティブなことに憧れるなっていうのがあったんですけど。でもいや、まずはちょうどリーマンショックとかのときでもあったので。いやとりあえずまずは、なんかちゃんと自立出来る仕事に就かなきゃじゃないですけどっていうので、IT系の会社の営業に就職を最初新卒でしたんですね。

そのときに一応自分で選んで、臨んで入社した会社ではあったんですけど、本当に仕事がつらくて。新入社員って誰しも寝れないこととか大変なことっていっぱいあると思うんですけど、なんか社会人になると大人になるとなかなか本音が出せないし、自分の不甲斐なさもたくさん感じるし。人間関係みたいなところで言っても、周りの先輩たちとか見ても、すごく本音と建前というか、すごく人当たりの良い先輩たちとか多いけど、でもなんかそれぞれ本当に何考えてるかわかんないっていう。

びっくりしたというか、やりにくさというか。みたいなのをものすごい感じてて。っていうときに、自分自身がずっと長くやってて、やっぱり絵を描くこととか、手を動かすことって自分にとってはすごく癒しの場だったんだなというか、自分に帰れる場所だったんだなっていうのをときに思い出して。

というので、アートを使って、大人がちょっと自分の本音を出せる場だったりとか、自分のことを癒せる場だったりとか。あとはカラオケみたいに、カラオケって歌下手でも気持ちいいじゃないですか。人によるかもしれないんですけど、私はそう思ってて。って感じで、音楽で素人でも歌って気持ちいいみたいなことが出来るのであれば、それをアートでも出来る場が欲しいなって。私自身すごく感じて。すいませんちょっと長くなっちゃったんですけど、そんな感じがきっかけです。

花梨:お仕事をされているときは、どんなお気持ちになることが多いですか?

奈那美:なんか「わくわくさん」「こうあらねばさん」が両方いる感じがして、それってでもすごく自分の性質だと思うんですよね、昔から。

元々すごい優等生で優等生思考で。こうあらねばならないとか、自分はこういう風に頑張らなくちゃいけない思考がすごい強かったんですけど、だからアート系にも進まなかったしちゃんと就職しなきゃみたいなのとかもすごい強かったし、昔に比べると、なんかそういう自分から、すごく純粋にわくわく出来る自分というか。少し力を抜いて出来るし、わくわくさんも増えてきたんですけど。でも正直言うと多分両方いるなって思ってます。

普段仕事してるとき、わくわくさんでいうと、やっぱりなんかコンテンツを作るときとかも、本当にやっぱり自分自身がそういうことが好きなので、このワークめちゃめちゃ面白いわみたいな、自分で作って自分でわくわくしてるっていうのもすごくありますし。あとはやっぱり自分が講師として法人の皆さん、企業研修でやらせていただくときもそうだし、個人の方も、本当に参加者の皆さんの笑顔であったりとか、いい場だったっていうことを言われるとき、言ってもらうときがやみつきです(笑)何十回も同じようなって言ったらあれですけど、何百回やっても、何百回もやってるんですけど、何千回やっても何万回やっても多分飽きないなって思うっていうか。

本当に喜びですっていうわくわくさんと、あとはでも裏の話をすると、もっといろんな人に届けていくにはどうしたらいいんだろうとか、もっと会員さんであったりとか研修もそうだし、満足をしてもらう場にするためにはどうしたらいいんだろうっていう、常に自分の足りなさを感じながらやってるって感じです。

花梨:周囲の人からは、ご自身の性格についてなんと言われることが多いですか?

奈那美:なんですかね。最近は陽キャ感強めなんですけど、陽キャだねって感じですけど。あとは真面目っていうのも言われます。なんか陽キャっぽいんだけど、結構真面目って感じです。

花梨:陽キャ感は、どういったところを見て言われていると思いますか?

奈那美:すごい人が好きなんだと思います。それは根っからの。講師をやるっていうか、人と関わってアートをツールにしているんですけど、ただ絵の技術を教えるっていう場ではなくて。どっちかっていうと絵を通して、その方の内面を描いてもらったりとか、アートを通して内面に触れるっていうコンテンツなので、内面に触れる、悩みを引き出すみたいなコンテンツなので、本当に人とじっくり関わる仕事なんですよね。

本当に天職だなって思うぐらい、仲間と一緒に作っていくっていうこともすごい好きなので。というか人が好きなんです。人がいるとすごい楽しそうで、みたいなところが陽キャと言われる所以です。

花梨:もっと近しい関係の方からは、なんと言われることが多いですか?

奈那美:夫からは、陽キャ感あるし、でも真面目だよねとかっていうのは言われるし。すごい超プライベートですけど、やっぱいつも近くで見てる夫からすると、成長したよねっていうのは言われます。

花梨:陽キャであったり真面目であったり、成長したねであったり。言われてみていかがですか?

奈那:さっき言ってた、わくわくする私とこういう風に頑張らなきゃって私と、両方いるよねっていうところは、周りにも伝わってるのかなってすごい思います。

花梨:最近印象に残っている出来事って、何かありますか?

奈那美:めっちゃ不意打ちの質問ですね〜ちょっと待ってなんだろう。ちょっと仕事がらみの話なんですけど、最近、おとなの図工クラブにこの春から2人、仲間としてジョインしてもらってるんですけど、2人とも年下なんですよ。今一緒にやってきた仲間も、少なくとも法人化してから、結果がっちりやってもらった仲間で。たまたまなんですけど、皆さん年上のメンバーだったんですけど、初めて年下メンバーというか、私自分のキャリアの中でも、あんまり本当一緒に仕事する機会ってすごくなくて、ほとんど。あんまり新卒が多いような会社でもなかったし、新卒取ってない会社でもあったし、前職2社っていうのは。

なので、すごく新鮮な経験だなって思ったんですよね。後輩というか一緒にチームアップするっていうのが。年は関係ないとは思うんですけど、すごく刺激を受けるというか、すごく助かるというか。私ずっと自分の中で、変化する変化し続けるっていうのが大事なキーワードだったんですよ。就活のときとかの面接とかでも「私はずっと変化し続けたいんです」みたいなこと言ったんですけど。でも別に、就活終わってもやっぱそれって自分の中ですごい大事な価値観だなと思ってて。

成長するっていう風な言い方無理やりしたくないんですけど、成長したり、ちょっと後退したりみたいな、3歩進んで2歩下がる的なこともあるかもしれないけど。でも、ずっと同じところにとどまっているのではなくて、どんどん新しい価値観取り入れたりとか、出来なかったことが出来るようになるとか、そういう変化とともに前に行きたいなって思って。思ってたし思ってるんですけど。

最近、今年35歳になって親友と話をしてたときに、いろんなことが怖いっていう話をしてたんですよね。これからの人生であるとか、自分の人生と仕事っていうことに対して、いろんな怖さがあるって話をしたときに、親友に「奈那美は、あんなに変化してたいって言ってたのにね、怖いんだね」って言われたんですよ。それがちょっと結構心に残ったかもしれない。うわっと思って。ちょっと忘れてたんですよ、その自分を。変化したいとか言ってた自分を。

っていう前提からの、自分よりも年下メンバーと今一緒にやることも増えてっていうところで、すごくどんどん怖がるようになってしまっている自分っていうか、大人になると色んなことがやっぱり器用に出来るようになるじゃないですか。若いときは100点目指して、120%の力で頑張ってたけど出せるのは70点みたいな感じのことって多かったと思うんですよね、20代の頃って。

でも大体30代になっていい年になってくると、逆に100点出さなくてもいいんじゃないみたいなところにも思考としてどっか多分なってるし、100点じゃなくて90点でいいんじゃないっていう。例えば、100%のうち70%の力で、90点出せるようになっちゃうみたいなことを無意識にしちゃうというか出来るようになっちゃったからこそ、いろんなことが多分怖くなっちゃったんです、昔と比べると。昔はもっと多分鉄砲でいられたのに、って言う自分を、その親友の一言もそうだし、年下メンバーが一緒にいてくれることによって、そういう自分をすごい良い意味で鼓舞してくれるっていうのが、最近のマイホットトピックです。

花梨:20代から30代にかけて、仕事のスタイルに変化が生じたと思うんですが、それはどうして起こったと思いますか?

奈那美:なんか別に基準を決めてやろうとしてるわけじゃないんですよ、多分。どんどん器用になったって話なんだと思います、シンプルに。ほら、なんか仕事始めた頃って、わかんないことばっかりじゃないですか。だからすごい無駄も多いんだけど、無駄も多いからこそ、とりあえずがむしゃらにやんないとちゃんとアウトプット出せないからっていうのを積み重ねたら、これこういう風にすればいいんだねっていうのが、どんどん積み重ねていくうちに、器用になったから、自ずと気づいたらそうなってしまってたっていう感じです。

過去:わくわくさんに一瞬めちゃめちゃ満たされる瞬間が、おとなの図工クラブの最初のイベントをやったときで。こんな喜びがあるのかみたいな。

花梨:奈那美さんは、どんな子供時代を過ごしてましたか?

奈那美:子供のときは、かなりシャイで素直でした。自分で言うのもあれなんですけど。すごい勝手に、自分の中で自分の子供時代に関しては、結構解釈を決めちゃってるところがあって。良くも悪くもそういう感じだったんですけど。

小3、小4の時に父親の仕事の都合で1年間イギリスに住んでたことがあったんですね。たまたま公立の学校がいっぱいで入れなくて、私立の寮制の学校に1年いったんですよ。週末は帰れるよみたいな感じだったんですけど、両親別に近くに住んでるんで、平日はずっと泊まりで、休日帰るみたいなルーティンの感じで、そのとき別に私、英語喋れるわけじゃなかったのに、現地校みたいなところに。放り込まれたわけじゃなくて、自分から行きたいと言ったんですけど。めっちゃめっちゃ辛くて、めっちゃ帰りたくて。でも自分で行くって、行きたいって言ったから、やっぱやめるって言えなくて。子供ながらのプライドで、1年間過ごしたら、恥ずかしがり屋じゃなくなりました。すごい1年間が自分の中で起きて。

夜中にトイレに行きたくなって。でも、トイレの場所がまだ初日だったんで、場所はわかんなかったんですよ。トイレに行きたい、どうしよう、でも英語喋れないみたいなときに、寝てるイギリス人の子を「トイレ...トイレット」みたいな感じで起こしたのが、結構原体験として忘れられなくて。
恥ずかしかったら何も出来ないなみたいな感じがあったんで。すごくそれは、子供ながらに自分を変える体験で。そっからは割と、なんだろう。学校で劇やりたい人? って聞かれて、やりたいと手を挙げられるようになりましたって感じです。

花梨:イギリスに1年間いたことは、ご自身の性格を変えていったんですか?

奈那美:子供時代の自分の人格形成においては、すごくインパクトを残したなって思います。

花梨:幼少期、何か好きなものはありましたか?

奈那美:図工です。2年前ぐらいに実家を大掃除したときに、子供のときに書いたのが生活科で書いた生活の授業で書いた、これまでの私の歩みとなんか将来なりたいことみたいなブックが出てきたんですけど、そこに自分の将来について書いてる文章があって。見たら、私は図工が好きなので、パン屋さんかケーキ屋さんか、絵描きになりたいですって書いてありました。

花梨:当時から好きだったんですね。

奈那美:そうですね。ちなみに、イギリスにいたときも英語が最初喋れなかったんで、特別に理科とか社会とかそういう授業に出ない代わりに、全学年の美術、図工の授業に出させてもらってました。

花梨:そうなんですね。

奈那美:そうなんです。

花梨:イギリスで受けた図工の授業はどんな感じだったんですか?

奈那美:すごい覚えてるのが、そんな感じで図工とか絵を描くのが好きだったんで、日本にいるときもお絵かき教室とか通ってたんですよ。でも、それと比べると日本のお絵かき教室ってやっぱりうまく書くというか陰影をどうつけるかとか、どうリアルに書くかみたいなことばっかりやってたんですけど。

イギリスの美術の授業ってもっと自由で、三原色じゃないビビッドな絵の具とか、小学生なんですけどいっぱいあって。好きな色を3色選んで、3色だけで色を混ぜずになんか景色を描きましょうとか。だからピンクの山とか描いたりするんですよ。そんなの日本でやったことなかったから、そういうアートの自由さみたいなのはすごく印象に、小3ながら残りました。

花梨:同じ絵を描くという行為でも、注意するポイントが結構違ったということですか?

奈那美:注意するポイントっていうと多分ちょっと違って。日本で言うとちょっとこうなんかアートっていう考え方って狭かったんだけど、そこが少しイギリスの方が、小学生の授業であっても幅が広がったというか自由だったというか、ていう感じかなって思います。

花梨:なるほど。中学生時代はいかがでしたか?

奈那美:中学生のときは超真面目でした。超真面目で学級委員長と生徒会長ばっかりやってました。ばっかりやってましたっていうのはあれだけど、学級委員か生徒会長でした。

花梨:それは、自ら手を挙げてやっていたんですか?

奈那美:そうですね。でもすごい中学生のときは、それこそ私のあらねばさんが強かったので、勉強ちゃんとやんなきゃ、自分は真面目に頑張らなきゃってすごい思ってたんですよ。っていうのがすごく割合としては強くて。でも、わくわくさんも根っからの私でもあるので。真面目であらなきゃいけないから、学級委員と生徒会やったかって言われると違って、好きなんですよね。体育大会とかみんなで頑張ろうぜ横断幕作りましょうとか、合唱コンクールがんばりましょう、じゃあ朝練にこういう風にやりましょうとか、根っから好きだったんで、それはやっぱり私のわくわく心でやりたいって言って、やってたと思います。

でも、そうね。でも優等生で、今と違ったかって言われると違わなかったのかもしれないですけど、でもすごくなんか苦しかったです。苦しい中学時代でした。なかなか、それこそ自分の本音が言える相手がいないなって。本当の自分のことを出せる場所ってないなって。日記を書きながらずっと思ってる3年間でしたって感じです。

花梨:そうしたら、周りの子にも悩みを打ち明けることはあまりしなかったんですか?

奈那美:しなかったですね。

花梨:それはどうしてだったんですか?

奈那美:中学生のね考えることなんてあれですけど。でも、本当にあんまり誰も信用してなかったんだと思います。信用してなかったし、あんまり自分をさらけ出すのも怖いと多分思ってたし、さらけ出したところで、やばい厨二っぽい感じですけど(笑)自分のことわかってくれる人はいないし、そんな結局さらけ出したところで裏切られるかもしれないしみたいなそういう思考でしたねかなり。

花梨:その思考は、小さい頃から持っていたものですか?

奈那美:でもそれは中学からですね。いや言葉を選ばずに言うと、、いや中学時代ってそういうこと多いじゃないですか、なんていうの、いや別になんかすごい裏切られたってことがあるわけじゃないんですけど、うーんなんでしょうね(笑)いやでも本当にそう思ってました。

とりあえず、多分私はちゃんとしなきゃっていうミッション感が強迫観念が強すぎて、人と関わることによってそれが阻害されると思ってたんですよ多分。
どうなんだろう。自分がやんなきゃ頑張らなきゃって思うと「いいじゃない、ななちゃんたまにはなんか校則破っちゃおうよ」みたいなこと言ってくるクラスメイトとか。そういう自分を阻害するものはなんか排除したみたいな、そんな感じです。

花梨:なるほど。高校生以降はいかがでしたか?

奈那美:高校生は中学生の延長なんだけど、若干軟化されたみたいな感じです。でも相変わらずなんだろう。勉強をどこまで頑張ってたっていうとあれですけど、でも相変わらず真面目にやってたし。後は、でもやっぱりわくわくがちょっとだけ多分強くなったんだろうなと思います。

美術部とかも結構精力的にやってたし、美術部の県の文化祭みたいなのがあるんですけど、そういう実行委員的なのが好きっていうのは小学生の頃からなんですけど、っていう延長で、高校生のときも県の文化祭の実行委員とか2年ぐらいやってて、本当にそれがなんか喜びでしたかね。

結構大きく変わったのが大学で、東京に一人暮らしで出てきてっていうときで、自分で東京行きたくて東京来たんですけど、やっぱり最初は友達もいないし、ちょっと不安もあるじゃないですか。大学入って早々彼氏が出来たんですよ。めっちゃ大学楽しいみたいになったんですけど、でも結構早々に振られ。私一見陽キャだけど、蓋開けると結構面倒くさいみたいな感じのタイプなので。そのときは面倒くさい傾向がめっちゃ強かったんで、結構あっけなく早めに振られて、めちゃめちゃ落ち込んじゃって。

そんなときに、今でも親友の、何人か仲間がいるんですけど、すごく友達たちに助けられたことがありまして。中学、高校のときも多分若干引きずってた、いやあんまり友達とか信用出来ないわとか、別に本音とか出さなくてもいいんちゃうみたいな感じがめちゃめちゃ変わって。こんなに安心して自分のことさらけ出したりとか、どういう風に今自分は何を考えてて、それこそ自分の価値観みたいなことベースで話せる仲間っているんだなって気づいた感じです。だからそこからすごく多分オープンになりました。なんか自分の本音とか別に隠さなくなったというか、という転機でしたね大学が。

花梨:大学時代はいかがでしたか?

奈那美:大学のときに1年オランダに留学に行ってたんですけど、そこの自分のチェンジは、イギリスに住んでたので英語は喋れたんですけど、結構英語喋れることと、英語で大学の勉強、授業を受けて、ちゃんと勉強出来ることって結構自分の中では、なんか大きく差があって。簡潔に言うと、全然駄目駄目だったんですよね、自分が。で、すごく自分の駄目さ、自分の出来なさみたいなところとの戦いの1年だったというか。なので、あらねばさんがめちゃめちゃ強かった学生時代だったんですけど、良くも悪くも、自分のことであったりとかいろんなことを少し許容出来るようになったというか。許容出来ることによって、なんかちょっと自分が強くなれた1年間でした。オランダ留学っていうのは。

花梨:例えば、どんな感じで許容していったんですか?

奈那美:具体的なアクションっていうよりも、そのときの自分の心の持ちようの話なんですけど。それまでの自分はなんかこうあらなきゃって思ってたし、出来ないことがあっても。出来ないことですごい落ち込むことがあっても。じゃあそれを、なんだろうな。落ち着かせるのを対外的にすごく求めてたと思うんですよね。

それがあって、友達を信用出来るようになったっていうのは良い側面なんですけど。そういう状態から、出来ない自分もしょうがないというか。出来ない自分もしょうがないし、うまくいかないことがあるのもしょうがないっていう思考を持てるようになったというか。自分でそう思ってあげないと、留学時代も結局友達も出来ましたけど、最初1人だし、自分で自分のことそう思ってあげないと生活が回らないというか。っていう感じでそういう思考が生まれたし、自分の中でなんか定着したって感じです。

花梨:大学をご卒業されて、働き始めた頃はいかがでしたか?

奈那美:働き始めた頃は、仕事は楽しいって言ってました。多分ずっと、やっぱりなんだろう、またあらねばさんが登場するんですけど。就活時代というか、ちゃんと自立せねばじゃないですけど、したいと思ったんですよねちゃんと自分で。自分の生活、当たり前なんですけど養うだけの給料稼いで、ちゃんと自分の住みたいとこに住んで、ていう、気持ち的にも自立。自分で自分のことを自立させたいし、経済的にも自立したいしっていうのをやるために、なんかいわゆる多分キャリアウーマンみたいなものに憧れてて。そうなりたいし、ならなきゃって思ってたので、割と半分暗示のようなところもあったと思うんですけど。

仕事は楽しいって言ってたし、実際にIT系って全然それまで触れたことがなかったというか、専門的にそういうことを勉強してたわけではないので、大学は。知らなかったことを知る、出来なかったことが一つずつ出来るようになる喜びっていうのは、すごく感じてたと思います、就職したとき。

花梨:先ほどから「わくわくさん」と「あらねばさん」を使って説明していただいてると思うんですけど。何となくで大丈夫なんですけど、幼少期から就職までその比率はどう変化してきたんですか?

奈那美:ビジュアルで出したい! みたいな感じですけど(笑)

花梨:そうですよね(笑)

奈那美:子どものころは基本的にはそんなにあらねばさん強くないけど。でも、イギリスにいた1年間はやっぱり、あらねば心で頑張ってたと思うんですよね。自分が一回行きたいって言ったからには、行きたくやめるって言えないみたいな、頑張らねばみたいなところがその1年が強くて。他はそんなにね、小学生の頃ってそんなにあれだったんで、わくわくしてたと思うんですけど。

中学に入ってもう多分、1、0.5と9、9.5ぐらいの勢いで基本的にあらねばさんだったんですよ。多分中学の、特に初期って。で、3年間の中で、あらねば7、わくわく3ぐらいに多分中3ぐらいでなれたと思う。生徒会とかやって、そういうわくわくする自分っていうのが後半になればなるほど中学時代出てきた。あらねば7わくわく3か、7、3から6、4かぐらいかな。5、5までいってたかもしれないんじゃないかな、みたいな感じの高校時代。

大学入って、わくわくバーンってきましたね。わくわくが7、8ぐらいまで来たんじゃないですか。形勢逆転です、大学で。でも、ピンポイントに多分あらねばさんが出るときってあって。留学行ったときとかも、最初はやらねば、やばいちゃんと来たからには頑張らねばみたいなところが、今度はそっちがダーって出たりしたと思うんですけど。でも1年暮らす中で徐々に均衡がとれるようになって。就職してまたあらねばさん、就活ぐらいのときからドーンと大きくなってまた新たな大きくなり。わかんないですけど7、3とか8、2ぐらいになって。ちゃんと就職しなきゃ、ちゃんと稼げるようにならなきゃみたいな就職期はありましたね。

就職して2年目の時におとなの図工クラブを、会社で働きながら始めて。わくわくさん、久しぶりにこんにちはみたいな感じです。あらねばさんがいなかったわけじゃないですけど、気持ち的にもわくわくさんに一瞬めちゃめちゃ満たされる瞬間が、おとなの図工クラブの最初のイベントをやったときで。こんな喜びがあるのかみたいな。自分でイベント企画して開催する自主イベントだったんで、知り合いと知り合いの知り合いが来てくれるみたいな、そんな一番最初のイベントだったんですけど。でも、そこで自分が企画したものに対して、人が本当に楽しんでくれたりとか、そこで交流が生まれたり、笑顔が生まれたりっていう経験がわくわく、バーンなって。やばい、もっとわくわくして、仕事したいって思ったって感じですね。

花梨:詳しくありがとうございます。最後に、過去についてこれだけは話しておきたいことがあれば聞いてるんですが、いかがですか?

奈那美:結構詳細には語ったんですけど、でも最後に言ったことですかね。ちょっと幼少期の話ばっかりしちゃったんですけど。やっぱり1社目のIT系の会社に入って営業してつらかった自分に対して、そのとき望んでたものを作りたいっていうとこから始まったんですけど、それで、自分で自主企画でイベントやりますみたいなときの高揚感というか喜びは忘れられないというか、それがやっぱり。それですね。

未来:そうやって足りない、もっとこうしたいって思って、追い求め続けていたいなって思います。もちろんそれをわくわくしながらっていう感じで。

花梨:5年後、10年後あるいは亡くなるときまで想像してもらって、奈那美さんは未来に対して、どういったイメージをお持ちですか?

奈那美:すごい大きな質問ですね(笑)個人的にはですけど、何が成し遂げられるかよりも、自分がどうあれるかっていうのが、自分にとってはすごい大事なことで。じゃあどうありたいのかって言われたら、さっきの変化こわがってんじゃんって話、親友に言われた話もありますけど、やっぱり自分は常に変化をし続けたいんだろうなって。なんか思います。

それがどんなものであっても、変化し続けていたい。今までなかった思考で考えられるようにもなりたいし、今まで出来てなかったことも出来るようになりたいし。もしくは年を取る中で、出来ないこともこれからね増えてくるんだろうけど。増えてくるとか出てきたりはするんだろうけど。でも、出来ないことが出てきたからこそ、見える視点があったりだとか。

そういう風にいたいし、さっきのわくわくさんとあらねばさんは、これからも多分自分の中で飼っていくものなんだろうなと思ってて。あらねばさんも絶対100%はなくならないから、常に、またこれが足りないとか、でももっととかってきっと一生思い続けるんだろうなって思うけど、それでいいと思う。そうやって足りない、もっとこうしたいって思って、追い求め続けていたいなって思います。もちろんそれをわくわくしながらっていう感じで。ちょっとすいません、仕事っていうよりは、自分がどうありたいかっていう話なんですけど。

花梨:何を成し遂げるかよりも、どうありたいかを大事にしたいのはどういった考えからですか? ちなみに、成し遂げたいことは、今何か思いついていますか?

奈那美:成し遂げたいことは、もちろん、その時々個別具体的なことってあるんだと思うんですけど。ちょっとインタビューとかとりあえず置いておいて、結構ぶっちゃけ自分の思ってることですけど。でも、どんなことをするかは時々で違うし、それは結局なんか手段、結果だし手段でしかないのかなって思って。なんだろう。

いや例えば、おとなの図工クラブをもっと広めていきたいっていうの、もちろんすごく思ってるんですけど。それが具体的には、今いる会員さんを何百人にまで増やすということもそうだし、おとなの図工クラブを企業研修というだけじゃなくて、例えば医療の領域の中でも使ってもらえるサービスにするっていうことも、とは思うんですけど。それは本当に時々の具体的なことであるよねみたいな感じです。なんだっていいと思うんですよねそれは。なんだっていいから、その時々によって、きっといろいろあることが大事みたいな感じ。

花梨:どちらかというと、どうありたいかはこれからも長期的に持ち続けていたいものという感じですか?

奈那美:そうですね。そういう自分であったら、その時々で絶対なにか具体的に目指すのでっていう感じです。

花梨:もし奈那美さんが変化をずっとし続けられるような、自分であれたとしたら。将来、ご自身の中ではどんな感情が生まれそうですか?

奈那美:うーん...。二つあって、やればやるほど、そうあればあるほど、自分にまだ足りなさっていうのを多分感じると思うんですよ。いや、でももっとこうしたいっていう。一方で、やっぱり自分の人生を積み重ねていく中で、育んでる気持ちとしては、でもなんか自分のことが好きというか。自分に自信って言ったらちょっとあれですけど、上手くいってること、上手くいってないこともあるけど、ありたいようにあれてる自分に対する肯定感っていうのはすごく増していくものだなと思ってます。でも、両方は気持ちとしてずっとありそうです。

花梨:もしイギリス、オランダにいる期間がなかったとしたら、どんな人生を歩まれていたと思いますか?

奈那美:どうなんだろう...たられば論をどう考えるかって話になっちゃいますけど、私は結局何をどうやっても、なんか行き着くところは一緒なんじゃないかなって気もしてます。イギリスに行っても行ってなくても、オランダに行ってなくても、違う形でそういう自分を変化させてあげるきっかけは、あったりしたんじゃないかなって。だから、結局形が違うかもしれないけど、今の私に近い私は、形成されてたんじゃないかなっていう風に個人的には思います。

花梨:もしイギリスとかオランダの経験がなかったとしても、今と同じような図工クラブといった活動をされているかもしれないということですか?

奈那美:具体的に何をやるかってことは違ったかもしれないですけど、でも自分の考え方とかあり方は、結局巡り巡ってここにたどり着いたんじゃないかなっていう、もしも話をどう捉えるかって人生運命論みたいな感じ。私は個人的にはそういう風に考えるって感じです。何があってもどんな道を歩んでも、結局同じところに道は繋がってるんじゃないかなっていう感じです。それが、もしかしたらケーキ屋さんだったかもしれないですし。絵描きだったのかもしれないし、アート系じゃなかったかもしれないけど。でも、自分のこういうわくわくしながら何かを作るとか、でもこういう風に頑張らなきゃみたいな感じの自分で、きっと今もいるんじゃないかなって思います。

花梨:最後に言い残したことをお聞きしているんですが、いかがですか?

奈那美:脈絡ないかもしれないですけど、すごい楽しかったです。わちゃわちゃしながら、なんかわくわくしながら話をさせてもらいました。ありがとうございました。なんか自分自身も、そうね...。表現することもそうだし、今日お話させてもらったような今までの自分の歩みであるとか、今自分がどういう気持ちを味わってるのかとか、どんな時どういう風に自分のこと捉えてるのかっていうのを考えるというかアウトプットすることも好きなんですよね。ってかそれはすごく楽しいことだと思っていて。

途中で言ったんですけども、おとなの図工クラブはシンプルにアートを楽しむっていうものもあれば、どっちかっていうと、自分自身のなんか内面を使って表現いただく。それを講師の方で引き出させてもらうっていうワークなので、私が今日味わってるわくわく感みたいなところをアートを使って提供してるっていうところもあるんです。本当にそういうことの楽しさ、まあ私はそういうのはシンプルに楽しいと思うんですけど。楽しいもそうだし、それをすることによって、やっぱ自分自身のことがより好きになるっていうのもそうだし。なんか自分の今が見える化出来る。今日は言葉で語ったけど、それをおとなの図工クラブでは絵を使ってやってて。

それが見えることによって、自分がちょっと思ってるもやもやだったり苦しさが、ちょっと落ち着けることもあったりするっていうことをやっぱりもっと届けていきたいなっていう。それが途中にあった、どんな形であってもというか、その時々によって形は変わると思うんだけど。やっぱりすごく自分が届けていきたいのは、そういうことだなと思わせていただきましたっていう感じです。

あとがき

就職活動の面接でよく聞かれたんですよね、
「あなたが会社に入って成し遂げたいことはなんですか?」って。

まだその会社に入ってすらないのに、何無茶を言っているんだと心の中で毒づきながら、
なんとか必死に、絞り出して、答えていました。

だからこそ、
「どんなことをするかは時々で違うし…」という奈那美さんのお言葉が、
すごく自分の心に響いて。

自分が置かれている状況によって、
きっと、また違う成し遂げたいことが出てくると思うし、

いつか成し遂げたいと思っていたことへの熱量が下がっていったとしても、
それはそれ。

新たに出てきた自分の興味に、真正面から向き合えばいい話。

でも、成し遂げたいことにちゃんと向き合うには、
その時の自分のコンディションが重要だと思っていて。

それが、奈那美さんのおっしゃっていた、ありたい姿というところに繋がってくるのかもしれません。

アートを通じて、大人が、自分のありたい姿や内面を見つめられる場。
今後の、「おとなの図工クラブ」の活動もとっても楽しみですね。

改めて、インタビューへのご参加ありがとうございました!
次回の無名人インタビューも、お楽しみに。

【インタビュー・編集・あとがき:花梨】

【文字起こし:クイナ】

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #アートセラピー #図工 #おとなの図工クラブ

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