無名人インタビュー:自分を後回しにしてきたから大変だったけどもまあ良かったんじゃないかなと思ってるギフテッドかもしれない人
自分って、どこからどこまでが自分だと思いますか? だって親の影響はあるし、一緒に住んでいる家族の影響受けるし、会社も、家族も、影響受ける。影響ってつまりさ、知り合いの誰かが機嫌悪いと、それにひきずられて機嫌が悪くなるじゃん。
コロナだってそう。ウクライナだってそう。「そう」っていうのはつまりさ、身の回りで起きている環境からだって、影響されるじゃん、てこと。なんなら、暑い寒いで気分も変わるでしょうが。
こういう前提のときに、自分って、どこからどこまでが自分? ウクライナで戦災に遭う人たちの嘆きに共感するとき、自分はどこからどこまでなのかと。あるいは、身近な人の心配をあまりしないくせに、遠くの事件について胸を傷めたりするのは、なぜなのでしょうかね。
人間が、自分自身だけに注目することって、できるのでしょうかね。あ、まあ、注目しすぎはただのワガママになるか。むつかしいねえ。
今日の無名人インタビューも、おっ楽しみにねー!!
今回ご参加いただいたのは Kaori さんです!
現在:HSPエンパスなどの性質で、以前は、その性質を知らずいろいろ大変でした
qbc:どのようなインタビューにしたいかというご要望はありますか?
Kaori:noteを始めた理由は、私、stand.fmで去年の11月29日からずっと投稿してたんです。話す内容がどんどん展開していって。
そうすると、概要欄に話す内容、ポイントを書いて、それを見ていただきながら聴いてていただくという形にチャレンジするようになっていったんですけど。
stand.fmの概要欄には800文字しか書けないんですよ。それで、noteを登録しっ放しだったので、じゃあ、noteに自分の書いた図とか、そういうのを投稿して、それを見ていただきながらラジオで喋ろうっていうのを、ちょっとやってみようと思って。それでnoteへ投稿し始めたんですよ。2月の下旬かな。
じゃあ、なんでそれをやってるかっていうと、私自身がいろいろ特異体質で幼少期から大変だったんですね。その原因情報が少なくて。今みたいに「ハイリー・センシティブ・パーソン」(Highly Sensitive Person=HSP)とか「エンパス」(empath)とか「ギフテッド」(Gifted)とか。私、そこらへんの性質を持ち合わせているんですけど。
全然情報がなかったんで、自分の性質を全く知らないから、すごい活動しすぎたり、働きすぎたり。
でも家族に誰もそういう人がいないんですよ。親も私のことを、父なんかは「感受性が強すぎて怖い」とか言うぐらいで。(笑)
(やっと情報が私の中でまとまって来たので、発信しようと思いました。
初期の頃は特定の人達に向けてお話していましたが、現在は、どんな方にも聴いて頂けるようなお話へとシフトしています。このインタビューが多くの方に届いたらと思います。)
qbc:はい。
Kaori:それに思考が複雑なんで小難しく感じるみたいで。でも、私はそういう理由が全くわからなかったんですよ。それで、徐々に徐々にいろんな情報が入ってきて、最後、自分がこういう性質のために働きすぎたり活動しすぎたりしていたことが解ってきたのです。
結構前なんですけど、20年前ぐらいかな。副腎疲労っていう状態になって、うつになったんですね。
副腎はストレスでやられる臓器ですね。「副腎疲労」っていう病態自体はないんですけど、結果として副腎がやられるんで「副腎疲労症候群」みたいな言い方をされているんですけど。
それでうつになったんです。結局のところ、うつ病の治療をしてもダメだったんですよね。「副腎疲労」なんて、そのころ知らないし。
私はまず、体が動かなくなってしまって。体が動かないっていうことは、副腎疲労もかなり悪い状態だと思うんですね。でも、それ以外に私は「エンパス体質」って言って、人の感情とか、身体的なエンパスもあるんで、感情以外に体でその人の状態を感じ取ってしまうとかもあるんですね。
あと、エネルギーに繊細とか敏感とか、エネルギーを吸収してしまうなんていう性質があるなんて知らないから。
私は大学病院で看護師をしてたんですけど、8年間、どうにかこうにか続けたんです。でも、すごいボロボロになりながら8年間なんとか続けてたんですね。
私は、そこでもまだ自分の性質を知らなくて。仕事をしてると情報がすごく多くて。
そのころはまだ、看護記録が電子カルテに移行する前だったんですね。
今は電子カルテの病院がいっぱいあると思うんですけど、今はだいたいそうなのかな。
その記録を書いても、私だけすっごい情報量なんですよ。あと、病室へ入るといろんなものが目に入ってきて、あれこれやりたくなるんですよ。患者さんの点滴のテープが汚いから替えてあげたいとか、あれこれやって出てくるっていうのをやってると、やることがいっぱいなんですね。
それで、病棟の主任にも「手を抜きなさい」って言われるんだけど、たくさんいろんなものが見えちゃってるってわかってないから、それでやり過ぎてることも気づいてないから、手を抜けって言われてもわかんないよって思っていたんですよ。
そんな感じで仕事すると、仕事もたくさんあるし、いろいろ頭の中で展開して動いてるわけですね。人の気づかないことにもやたら気づくから、急変対応がすごい多いんですよ。急変に当たることがすごく多くて。
いわゆる、ドラマで急変の対応してるのを見たことないですか?
qbc:急変?
Kaori:急変って言って、突然患者さんの状態が悪化して
qbc:あーわかりますわかります。
Kaori:先生が心臓マッサージしたり、AED使ったり。あと、急いで人工呼吸器つけたりみたいな展開。私、あれがやたら多くって。
すごく疲弊してるんだけど、まだそのときは、相変わらず自分の性質を知らないし。
病院って、やっぱり患者さんって病気だから、ネガティブなエネルギーもあるわけですよね。たぶん、そういうのも吸収していってるんですよ。
でも、わからないしっていう感じだったんですよね。
いろいろボロボロになってきてるのに。エネルギーレベルで不具合が来ていることも理解していなかったし、だんだんストレスが溜まってっていることも、あまり自覚していなくて。
でも8年で限界が来たみたいで、当時「お花の学校へ行きます。じゃあ」って言って辞めることにして、お花の世界へ行こうとしたんですね。
学校へ行きたいから、派遣で看護師を続けてったら、いろんなドラマみたいな職場が多くって。「家政婦は見た」じゃないですけど、看護師は見たみたいな感じなんですけど。
理事長の愛人の方が看護師長になったとか、あと、内縁の妻がどうのこうのとかいう職場が結構あって。(笑)
私、こういうことがあるんだと思って、そういう方たちがちょっと厄介だったわけですよ。
それで、派遣会社の人とかに報告すると、「いや、ちょっとそのクリニックと契約切ろうかと思ってたんですよ」とか言われたり。
病院を出た後に一瞬、変な職場へ行っちゃったんですね。病院では、私、守られてたんだなと思って。外に出て、すごく風当たりが強い感じがして、ちゃんと守ってもらってたんだなと思って、あらためてそのありがたみを感じて。
その看護師長は、要は自信がないわけですよ。そんな突然。4年ぐらい手術室で看護師をやった後、アメリカへ行ったぐらいで看護師長になられたみたいで。
「何をやってたんですか?」って言ったら、「別に看護を勉強してるんじゃなくて、遊んでた」って言うんですよ。で、戻ってきて看護師長になったんですけど、たったそれだけで、それは自信がないに決まってるし。
その病院の隅の健診センターに、その方は追いやられてたんですよ。私は、その健診センターに勤めてたんですけど。そしたら、その自信のなさとかいろんなプレッシャーで、一生懸命指導してるつもりなんだろうけど、ちょっとパワハラ的だったんですよ。私の前の人たちが、みんなターゲットになっちゃったんだけど、私が来たら何が起こってるのかがわかって。
それで私も少し追い詰められてってたんですけど、でもこれは無理だと思って、2ヶ月で辞めることにしたんですね。それで人事の人にいろいろ伝えていって、そしたら「君は病院を8年も勤めてたのに、なんで辞めるんだ」って言われちゃったんで、「指導かもしれないけど、行き過ぎてますよ」と伝えました。
他の人によくよく聞いたら、そういうので他の看護師さんがおかしくなっちゃって、師長と主任を相手に裁判を起こしたらしいんですよ。最後に私がそこでストップをかけたっていう感じで。私が事情をバーって話して、私が辞めた後で、やっぱり簡単には人を雇わなくなったみたいですね。
だけど看護師長の気持ちもよく分かったし看護師長をサポートできる人はいないものか?
辞める直前に、もう少し時間があったらお互いを理解し合えるのも感じる方でした。
そんなことも考えていました。
そういう感じで、なんかこう、何か問題がある場所へ行って再生させなきゃいけないとか、その問題をストップさせないといけない職場だったり、個人だったり。
引き寄せの法則で言うようなのは、自分と共鳴したものが集まるのも理解できるけど、そんな話で片付けられないような私に必要な体験であったと、今は深く思ってますが、その当時は、よくつながっちゃってたんですね。
あと、他は、新しいことを始めなきゃいけないところとか、やたら多いんですね。自分ではそういう気持ちで行ってないのに、行くとそれっていうか。再生させなきゃいけないか、もしくは新しいスタートを切らなくちゃいけないか、みたいな。
就職するとそんな展開なんですよ。なんでこんなに大変なんだと思って。どうしてこういう場所とご縁がつながるんだろうなとも思ってたんですね。そういう感じで、どんどんいろんなストレスが溜まって、それで副腎疲労のうつになったんですよ。
qbc:副腎疲労になったのは、大学病院8年間のところでですか?
Kaori:その後、パワハラ系のところとかへ行った後です。
qbc:お花の勉強したいって辞めた後ですね。
Kaori:そうです。
qbc:なるほど。今現在は、何をしている方でしょうか?
Kaori:派遣で、大学の保健室とかで働いたり。あとは、今はちょっと止めてるんですけど、オーガニックの美容系の仕事を週1-2回とかやって、看護師の仕事で生計を立てるみたいな感じでバランスを取ってたんですね。
今はときどき、積極的には宣伝したりもしない、そういうことはしないんですけど、人の仕事とか恋愛とかいろんなご相談に乗って。
恋愛相談だったり仕事の相談かもしれないけど、その人の現実を妨げてる原因は、その相談の内容以外にもあるから。日常生活から伺ったり、他にストレス要因とか何かないかとか伺っていくと。
恋愛相談のはずなのに、今、病院へ行ってもらわなきゃいけない人だったりとか。私と接触したことで、全然違う方向へ行っちゃうことがあるんですよ。
今、優先順位はこっちでしょっていうのを、私が発見しちゃうから。
その方は、そんなつもりは最初はなかったんだけど、あらためてことの重大さに気づいたりとか、そういう展開が多いんですよね。
結果的にいい方向へ行ったり、ご両親に協力を得るところまで話を持って行ったりとかして。
お1人だけ病院へ付き添って行ったことはあるんですけど、そのときはちゃんと、時給じゃないけどお金はいただいたんですけど。そういうことをときどきしていて。
でも、それをなんで大々的にやらないかっていうと、私、情報が制限できないんですよ。あらゆる情報が入ってきますよね。それを処理していくのに、普通、脳って情報をフィルタをかけて制限するらしいんですけど。
いろいろ調べててわかったんですけど、脳に側索被蓋内っていうところがあって。そこのドーパミンのレベルが高いと、情報を抑制できないらしいんですよ。
さらに調べて行ったら、「ギフテッド」っていう性質そのものも情報を制限できない方もいたり、みなさん苦労してるんですね。
だけど、どうも、潜在機能抑制って言って、情報が制限できない状態っていうのはあるらしいんですね。
私、それなんじゃないかなと思って。
なんでそれに気がつけたかっていうと、バランスが取れないから、脳のことをいろいろ調べていったんですね。
そしたら海外ドラマの『プリズン・ブレイク』の主人公の話を書いてる方がいて。その方、おそらくすごい天才の人で。私は軽度のギフテッドだから、別にIQが高いとか、そういう人間じゃないんですけど。
たぶん、その人はもっとすごい人で。その潜在機能抑制の障害を持ってたから、例えばランプを見たときに、いろんな細かいディテールが目に入ってくるんですって。私もそんな感じなんですよ。細かいとことかいろんなのが気になるし。
ドラマがどんなものか見ていたら、結局その方は人の気持ちがわかるから救済者になってしまったんだっていうふうに、その主人公のセラピストが言っているのを見たら、もう号泣しちゃって。
まるで私みたいだなって思ったんですよ。
私も、いろんなことが見えたりわかるから、すっごい人助けしてきちゃったりとか、いろんなピンチを助けるみたいな展開、すごい多いんですね。
だから、友達を精神科へ連れてったこともあるし。
qbc:そうすると、今は友達を助けたりなど、人助けをすることが多いですか?
Kaori:今は、もう自分の性質を理解して、人にはその人それぞれの力があるし、自己治癒能力も持ってるし、それを信じることにしようって決めて。
過剰なサポートをついしてましたが(情報量が多くて)、自分が後回しになって自分が大変だから、そういうのを信じることにしようっていう方向へ今は来ました。
自分の性質をちゃんと理解して、自分を愛するとか大切にするとか、自己受容ですね。それができるようになった。
自分をちゃんと受け入れたり許していくっていうことを、自分で自己セラピー的なのもたくさんして。で、結果、受け入れられるようになったことで、過剰に人のために動くのは、今はもう止めていこうっていう方向に決めたんですね。
今は本当に必要なときとかタイミングで、人を助けることはあるかもしれませんけど。
自己愛や自己受容ができていくと、健全な境界線とスペースを保ちながら、人とコミュニケーションがとれるようになるものなんですが。
かと言って、HSPやエンパスの性質がそうさせてしまう場合もあったり、緊急事態に自分がどうのこうの言ってられない場合もあるから心理学や引き寄せの法則に詳しい方は、この状況をどう考察するかは想像がつきますが、私がしてきた人助けには、様々なことが言えるように思います。
私自身の内面的な問題や性質や私のエネルギーに共鳴してきただけでは語れない要素もあるように思います。
自分自身を大切にする以前に、利他的な性質が元々ある場合もあって。
過去は、今みたいに、人の心理や精神性やスピリチュアリティー、ましてやエネルギーなんて理解していなかった人が、私自身も含め沢山いたころの人助け話や体験談になるのかなとも思いますから。
今もですが今よりも悩んでいる方が沢山いたのでは? と思います。
自分のみならず、周囲を見てなんとかならないのか? そんな事を沢山考えてきました。
ですがここ数年は自分のための生活をしていましたね。
qbc:では、どちらかというと今は自分に注目してる?
Kaori:自分にも注目してきたんだけど、そろそろ、その集まった情報をアウトプットする時期が来たんじゃないかなっていうんで、たぶん、stand.fmとかnoteとかっていう方向へ来てるんですね。
そんな感じですね。二転三転してすみません。
過去:人間関係の橋渡し役
qbc:過去についてお伺いしていきます。どんなお子さんでしたか?
Kaori:子どものときは、やっぱりちょっと冷めてるところがあって。大人顔負けのことを言うから、まず母が怖がってたみたいで。
父曰く「お前は答えを用意して話すから、お母さん、昔怖がってたんだよ」って大人になってから言われてしまって。
子どもなのに、感覚的にわかってることがあるんですよ。なぜか。
学校で友達と遊んだりとかいろいろしますよね。例えば、いじめる側にはならないし、いじめられる側にも全然ならないんですよ。
意思表示をちゃんとしたりするもんだから、しつこい人とかにちゃんと伝えちゃうもんだから、いじめられるようなこととかはないんですけど。
でも、突然無視されるぐらいはあったんですね。そのときとかも、その背景がなんとなく感覚的に頭の中でキャッチできちゃってるんですよ。
家庭環境が悪くて、私に当たりたいんじゃなくて、辛いんだけど当たる場所がなくてこれなんだなっていう感覚です。
私のことを無視したのは、私が原因じゃないんだなっていう感じが、私は感覚的に子どもなのにわかってたんです。そんな感じですね。
あと、いろいろ情報が入ってることをそのときはまだ知らないから、たぶん神経が疲れるから、結構1人になりたいことが多くて。
友達と遊ぶよりも図書館へ行ったりとかしてる方が好きだし、家に帰っても私を含めてきょうだい3人なんですけど、1人の方が落ち着くっていう感じで。
それでも友達に遊ぼうって言われるんですよ。どうやって断ろうかなって考える変な子どもでしたね。
断る理由ばっかり考えてて、別に遊びたくないんですよね。だったら、本を読んでた方がいい感じだったんですね。
あと、母が、おそらく祖母から虐待を受けてた過去があるみたいで、自己形成に問題があるのか。虐待による脳の影響を受けていた可能性は、あるのですが、絵を描いたり歌を歌ったり、料理が上手で、妹と私の服を作ってくれたり。すごいんですけど、やっぱり人間関係がうまく営めてないんですね。
qbc:うまくっていうのは、この場合、どういうことを指してますか?
Kaori:私も現場にいないから、よくわからないんですよ。ただ、子どもながらに気づいてたのは、私のお友達のお母さんたちと集まって話してるのを聞いてるときに、子どもの私が、お母さん、今ここでこれを喋るとこじゃないよねとか思うんですよ。お母さん、それ違うからって、子どもで人生経験も社会経験も全然ないのに、明らかにおかしいことがわかることがよくありました。
あとにやっぱり、私のお友達のお母さんとか、職場の方だったりとかのクレームが、うちの父に来ることがあったらしくて。子供ながらに疑問を持つことが沢山ありましたね。
母ができないことを、何か私がサポートしたりするんですね。そんな感じでしたね。それでストレスが溜まっていくみたいな。
qbc:どちらかというと、Kaoriさんが言う、うまくいっているというのはどういう状態なんですかね?
例えば、何かにめちゃめちゃ時間かかって人と一緒に行動できないとか、人の悪口を言いまくってしまうとか。どのレベルがうまくいって、どのレベルはうまくいかないと考えているのか知りたいですね。
Kaori:母は、別にピュアだし優しい人だから、そういう変な文句を言うとか、変なアクの強いような人ではないんだけど。なんかピントがズレてて、それでママ友さんたちを困らせてたらしいんですね。
一度だけ、私も不思議だなと思ったことがあって。あるとき家に帰ったら、私の友達のお母さんが私の家に1人でいたんですよ。なんだこれはと思って、私、友達と約束してて遊びに行かなきゃいけなかったんですね。でも、それを言ったらそのおばさんが「いいわよ」って言ってくれたんで。
でも本当は、感覚的に、子どもの敏感に察知した感じでは、なんとなくそういうふうに思えなかったんですけど。
それで、私が遊びに行って帰ってきたら、私はそのおばさんと何のやりとりもしてないのに、母とのやりとりの関係で家にいたんだと思うんですけど、私のせいにされたんですよ。
「怒ってたわよ」とか言われちゃって。本当は私のことを怒ってたわけじゃないみたいなんですね。っていう不思議な展開のやりとりが、ちょこちょこあるっていうか。
そういう意味で、人間関係がうまくいってない。
qbc:それは不思議っていうか、お母さまは、自分が悪いとか認められないタイプの人だったんですかね?
Kaori:それもまた違うんです。なんかピントがズレてて。反省するときはちゃんとあるし。そこから私が大分大人になったときに、子どものころから考察してきたことを全部伝えちゃったことがあるんですね。
でも、それを素直に聞いてしまうお母さんなんですよ。(笑)「そうなのかもしれないわね」って言って。
母のことを理解してくれる人が本当の意味でいなかったのだろうなと思います。やっと、大人になった私が、母に何が起こっていて大変だったのかを伝えてあげたんですね。
そしたら、「わかってくれた!」みたいな感じになって。いろいろあって10年近く会ってなかったんですけど、そこから急に私のサポートをしてくれるようになったということがあったんですよ。
そこで和解しました。
私の特徴としては、周囲の人たちが、なんでこの人おかしいんだろうっていう「おかしい」内容の部分に、私が気がつけるっていうか。なんでこうなってるのかっていうことを理解できるから。
いつも上司とか部下とか人をつなげる役割をしてたり、こうでこうできっとこうなんだと思うんで、こういう関わり方しないとうまくいきませんよとか。上司の方、こういう気持ちでこういうはずだからこうなんじゃない? とか、やっぱりそういうのを昔からよくやってて。それは、子どもときから培われていっちゃったみたいで、そういう感じなんですよね。
qbc:好きだったものは、何だったんですか?
Kaori:好きなものが、植物。庭に咲いてるお花とか、散歩すると植物に声かけてしまうようなことがあって。(笑)
小学生のときは薔薇が好きで。家の前に咲いてたんですよ。図書館で推理小説とかよく読んでたのに、『ばらのいえのリカおばさん』っていう本があって。それがすごく大好きで、高学年になっても好きで。それ以来、私、未だに薔薇が好きなんですけど。
Kaori:あとは、音楽も好きなんですけど、私、今年49歳なんですよ。で、小学生ぐらいの頃は、、マッチとかトシちゃんとかたのきんトリオとかそういうのに興味がなくて、子供っぽくみえて、ジュリーの方がカッコいいと思ったり。あと、そのころYMOが急に出てきたときも、カッコいいとか思ったり。
いわゆる普通のみんなが好むようなものを好きにならない、子どもが好きになるようなものを好きになってなかった気がしますね。そんな感じでした。
qbc:はい。
Kaori:それから、母のことが原因で、父は別居したんですよ。
別居して、また母との生活になって、いろんな問題がまだ続くから、嫌気がさしていたんですね。
私が13歳かな、当時9歳の妹と6歳の弟と一緒に、ちょっと母のことを見かねて父に訴えに行こうと思って、助けてもらおうと思って、3人で電車に乗って、父が当時東京の千駄ヶ谷に住んでたんで行ったんですね。
父のほうにまだ受け入れ態勢ができてなくて帰されちゃったのと、情報がいろいろ多過ぎて肝心なことを私がちゃんと伝えられなかったんですね。母がこうでこうだから困るとか、そういうことをちゃんと伝えられなかったんだと思うんです。
qbc:子どものころに離婚があったんですか?
Kaori:そうです。私が13歳のとき。10歳から別居してて、13歳で離婚して。それでもう、どうにかこうにか訴えに行ったのに、訴えが通らなかったから。
13歳で問題解決行動を起こしちゃったんですけど、通らなくて。
そこで大人は当てにならないんだって、何となく思い知らされて。勝手に思い込んじゃったんですよ。それで、そこから何でも自分でやるようにっていう感覚に陥っていって。
両親が離婚してから引っ越しして、その転校した先の学校へ行きたくないって言って。ストレスから「行かない」って言い出して、1年間行かなかったんですね。
でも、母は優しいところもいろいろある、問題もあるのに優しい人で、手紙を書いてくれて。「このままじゃ進級できないよ」って手紙を書いてくれて、これはまずいなと思って。
qbc:一緒に住んでるけど、手紙をくれたみたいな?
Kaori:そうなんです。そういう人なんですよ。優しいっちゃ優しいんですよ。それで、その手紙を見たときに、このままじゃダメだなと思って、「じゃあ行く」って言って、中学校3年生から行くようになってっていう感じだったんですね。
母がほぼ専業主婦をやってて。それで離婚後、仕事に就くのがなかなか難しかったんで。デザイン学校を出て専業主婦だったんで、あんまり仕事がなかったんですね。でも、いろいろ仕事をすると、ある程度のとこまで母もうまくいくんだけど、やっぱり人間関係でたぶんダメになってて。
高校2年生ぐらいのときに、このままじゃまずいなって、また思ってしまって。それで、こうなったら結婚してもしなくても、何とかなる仕事をしようと思って。
どうしようと思って、私、全然看護師に憧れてたわけでも何でもないんですけど。ちょうど仲良くしてた友達が看護師になりたいって言うから、一緒に説明会を聞いて、じゃあこれかなと思って、大学行くより、学費も専門学校なら安いから、受験して、勉強して、その後、働いたんですけど。
qbc:うんうん。
Kaori:私、援助職向いてるみたいで。だから続いたんですね。看護学校時代とかも、志が高い人ほど挫折してるんですよね。私、目的がそこじゃなかったから、それで何とか。どうにか8年続いて。
病院は、看護学校からそのまま入れたんですね。で、実習してるときに、まず患者さんで初めて人の死に直面したんですね。身内で亡くなった人とかいなかったんで、既に亡くなってたとかだから、私自身は経験がなかったのに、患者さんでそれを経験したんで、死っていうものを考えさせられたし。
あとは、不謹慎に聞こえたら嫌なんですけど、その患者さんっていうのが肝硬変っていう肝臓が萎縮していく病気だったんですけど。糖尿病とかも合併したり、いろいろ。腹水って言ってお腹に水が溜まったりしてたんですね。
肝臓の働きが奥深くて、面白くなってしまったことがありました。
看護学校で、患者さんの看護記録を書くことを教わるのですけど。患者さんの全体像を見て、看護計画っていうのを立てていくんですね。全体像を見るっていうことを教わったおかげで、今の私があるんですよ。
急に、私のいろんな情報をつなげていく性質に拍車がかかっちゃったみたいに。なので、全体の中の立ち位置はどこなのかとか考える癖がついたのは、たぶん看護学校の全体像を見て看護計画を立てていくっていうのから始まったみたいで。
マインドマップってありますよね?
ああいうのとか、すごい好きなんですよ。これには何が考えられるか、とかっていろいろつなげて書いていく。それが結果的に自分の情報量の多さみたいなものにも、だんだん気がつくようになっていって。
あるとき、私、消化器内科だったんですけど、後輩が整形外科から異動してきて。で、勉強のポイントを教えてあげたんですよ。これとこれとこれとこれをやれば、このへんに目を通せば平気じゃないみたいにまとめてあげて、ぽんと渡してあげたんですけど。
たぶん情報量が多かったみたいで、相手の負担になったなって、何となく一瞬思ったんですよ。それで、私、なんか知らないけど情報がちょっと多いんだと思って。そこから、人によっては情報の量を変えなきゃいけないんだなって、そこで学びましたね。
あと、資格があればっていう時代だったと思うんですよ。資格さえあればとか、安定がとかあって。週休2日で、当たり前のように、みんな働いてたじゃないですか。
でも、自分のコンディションとか体を考えながら仕事をするなんて発想が、まず全然なかったんですよね。
なので、私がいろいろストレスにも弱いし、いろんなエネルギーの影響を受けて、いろいろ大変なことになってるけど、それすらもあんまりわかってなくて。っていう感じだったんですよね。
だから、中学校のときにちょっとダウンしたぐらいで、それまではそんなに健康問題がなくて、風邪も1年に一度引くか引かないかだったし。ずっと母との生活で、メンタル的にはストレスがあってアップダウンはあったと思うんですけど。
たぶん副腎疲労でうつになったときに、あらためて自分の心と体と向かっていく方向へ行って。
そこからですね、自分の性質をいろいろ理解していくことが始まった。今振り返ると、そこからスタートした感じでしたね。
ダメになったからわかった。
qbc:お花の学校へ行って、うつになって倒れた後っていうのは、どういうふうに過ごされていましたか?
Kaori:4年間、闘病生活でしたね。薬が先生に40錠近く盛られてて。副作用とかいろいろ言ってたら、今じゃ考えられないんですけど、どんどん増えました。
今は7剤以上の薬のリスクを、薬剤師さんなどが注意されてるんですね。だから、今はそんなのないと思うんですけど、当時ってうつ病バブルって言われて、うつの人がグンって増えた時期なんですね。
2000年初頭なんですけど。
それで、薬が増えていく。あと、私、SSRIって言って、パキシルっていう薬なんですけど。選択式セロトニン再取り込み阻害剤っていう薬を処方されたんですけど、私、典型的なセロトニンとかドーパミンが不足しているタイプじゃなかったんで、その薬で悪化しちゃったんですよ。
でも、そのころはその情報を知らなくて、おかしなことになっていったんですよ。それでどうしたものかなと思ってて、先生に減薬したいって言っても、私の状態じゃ無理って言われてしまって。
あと、私、そこで入院もしたんですよ。映画「17歳のカルテ」のウィノナ・ライダーみたいな気分でした。
確か彼女は、境界性パーソナリティ障害の診断で入院した女性の役だったと思います。実話でしたね。
病院は、HSPやギフテッド、ASD、ADHDの方も沢山いたのではないかと、今は思います。個性あふれる人が沢山いましたね。自分が入院しているのに、看護師目線でも沢山観察してました(笑)
一時入院ですね。日常生活が成り立たないと思って、助けを求めて入院したんですね。
それで退院後、薬を止めさせてくれないし、んーと思って。
qbc:入院されたんですか?
Kaori:入院したことがあるんです。2回か。最初の入院が3ヶ月で、次の入院は無理矢理っていうか、そんなに入院させてもらえないんで1ヶ月。だからトータルで4ヶ月かな。
副作用で、私、体重が当時43kgから78kgまで太っちゃって。薬を飲んでると太る人、多いんですよ。
私、太ったことより、調子が悪いのは、薬のせいでおかしいと思って、これは真似しないでいただきたいんですけど、ちゃんと徐々に減薬していく必要もあるし。
あと、栄養学的な観点でもちゃんと栄養を摂っていかないと、神経伝達物質のバランスが崩れるから、そんなやり方を他の人にしてほしくないんですけど。
私は自己責任で、全部止めちゃったんですよ。本当は徐々に減薬していくべきだけど、全部止めちゃったから、最初の1ヶ月はものすごく頭が痛くて。
でもそれが抜けていって、そのタイミングで分子栄養学に出会ったんですよ。溝口徹先生の『「うつ」は食べ物が原因だった!』っていう本です。タンパク質不足とか貧血とか、そういうのが関係するっていう。神経伝達物質を合成するのに必要な栄養素が、タンパク質、鉄、ビタミンB群、葉酸とか、そういうものなんですよ。
また女性は月1回は、月経があるからたんぱく質と鉄を喪失しているから、注意が必要なことも理解しました。貧血でもうつっぽくなります。
分子栄養学は、精神疾患や発達障害、PMSやPMDDなどの方にも知って頂きたいと思っています。
内分泌ホルモンと神経伝達物質の相関関係が高いです。特に性ホルモンは。
こんなふうに神経伝達物質が合成されていくルートがあるんだってわかったので、その本を読みながら自宅で食事日記をつけて、ご飯を食べて。そしたらタイミングよく、友達が実家住まいでお金の余裕があったのか、急に私に余ったサプリメントとか突然くれるんですよ。マルチビタミンとか、タイミングよくですよ。
私にサポートっていうか、助けがまるで神様から入ったかのような展開で。その本を読んでたから、まさにタイミングだったんですよ。
自分でサプリを買おうかなって考えてたんで。
そしたら、だんだん落ち着いていって、体重も減ったんですね。ダイエットして痩せたい方は、ちゃんと食べると痩せるなんて思わない方もいるかもしれませんが、その方のバランスがとれると食べて痩せます。
ただですね、その一気に止めて、神経伝達物質のバランスが崩れたんで、自分のことをADHDかと疑ったんです。疑ったのに、栄養を摂ったらぴったり収まったんですよ。
私の場合、どういうことが起こったかというと、薬を止めてすぐに社会復帰してるんですけど。
職場でミスはしないんだけど、いろんな方向に意識が向いて、話がコロコロ変わって。でも、みんな、私のキャラ的にかわいがってくれるから笑ってるけど。あちこち意識が飛んで、話が変わってたんですよ。
落ち着きがない感じだったんですね。それも、栄養を摂ってご飯を食べていったら、落ち着いちゃったっていう経験があって。
そこから大分経ったあとに、また分子栄養学の宮澤賢史先生の『宮澤医院のブログ』に目を通したら、典型的なセロトニンとドーパミンのレベルが低くないタイプがいるっていうのがわかったんですよ。
で、そうすると、さっき言ったSSRIっていう薬を飲むと悪化すると書いてあったのを発見して、これだー! と思って。
私、これだったんだーって思って。それと同時に、私のタイプが、どっちかっていうと代謝回路が回転しすぎるタイプで。そっちの回転しすぎるタイプには、ADHDとかが多いんですよ。(高メチレーションタイプ)
だから、私は代謝によってはADHDふうになる可能性があるってこと。でも、脳に器質的な問題がある方もいれば、脳に器質的な問題が無い方もいらっしゃいますけど、栄養や代謝を整えることで発達障害とか精神疾患の効果を上げてる治療ですね。
そこで、栄養の代謝でADHD側になるタイプと、ASDって言って自閉症とかアスペルガーの方向に行くタイプ(低メチレーションタイプ)。メチレーション回路。この代謝の違いで2つに分かれることを知ったんですね。
で、いろんな謎が解けて、これだー! と思って。これ、知らない人たちいっぱいいる! と思って。みんな結構苦労してるし、そこに後にギフテッドのことがわかって。ギフテッドの人も精神疾患になりやすかったり、発達障害の誤診を受けたりするのが問題なんですね。
なので、いろいろつながっていったわけなんですよ。
HSP、HSS、ギフテッド、ギフテッド2E、ASD、ADHD、発達障害グレーゾーン、エンパス。この辺は、バラバラに語られることが多いですが被る場合があります。分子栄養学を知って頂きたいと思う性質の方たちです。
脳と腸内環境が大事な方たちです!!
未来:未来
qbc:今度は未来についてお話を伺います。未来のイメージはどんなものでしょうか?
Kaori:今、欲がなくて。いろんな欲しいものも別にないし、ものすごくやりたいこととか、自己実現したいとか、あんまりそういう欲求がなくなっちゃったんですよ。20代、30代、40代前半と病気になりながらもある程度自分の好きなことはしたし。
オーガニックの美容業界へ行って、ただの販売員で入ったはずなのに、気がついたらいろいろなお仕事をさせて頂いて、お客様の肌をきれいにするっていう喜びを感じるような体験とか。
大変なんだけど、そういう嬉しいこともいっぱいあって。もうやりつくしたなって、そのときに思って。
上を上を目指そうとしたり、ちょっと意識高くなりすぎて現実と理想のギャップに悩まされてもいたこともありましたね。
どんな自分でも全然許せなかった時期もあったし。(ギフテッドのOEという性質も関係しているかもしれません)
でも、もうそれがなくなったんで、今は細々と、私みたいに情報がないために困っている人って結構たくさんいらっしゃるから発信してみようと思いました。
ある程度の情報は私の中に集まったんで。
今回、主にしているお話は現実的な話の方が多かったと思うんですけど、スピリチュアル系の人たちのこともわかったから。
どちらの人も、私が持っている性質と被ってきたり、スピリチュアルで語られている人の性質で、同じ性質を持っている人はたくさんいるから、何かヒントになるんじゃないかと思って。
みなさんのヒントというか、きっかけづくりぐらい。それを知って、そういうことがあるんだって結構救われるから。こういう性質があるんだと思うと救われたり、私もたくさんあったんですよね。
でも、そこからが始まりなんですけどね。じゃあ、具体的にどう自分をメンテナンスしたり、大切にするにはどうするかっていうのはそこからだと思うんですけど。
でも、それだけでも救われると思うし。
今は、そのぐらいの人でいいかなと思ってますね。ヒントをお伝えして、方向性を見いだせたらいいなって思うんですよね。
そんな感じで。
qbc:自分が集めた情報を他人に伝えて、その人の役に立ったと思ったときに、どんな気持ちになるんでしょうか?
Kaori:役立ったときにですか? 私がその情報で救われたから、こんな情報あるんだっていうことで、そこからその人なりのいい方向へ行ったらいいなっていう感じですかね。
qbc:気持ちの面ですね。そのときに、どんな気持ちなのかなって。
Kaori:私、そこがまた不思議なんですけど。そこで普通に承認欲求があったりすると、それに対してものすごく反応して喜ぶんだと思うんですけど。
私の力というより御本人の力だと思うし。
あ、良かったねって本当に思って、いい方向に行くといいねっていうぐらいの冷めた感じなんですよ。ごめんなさい。
qbc:今の「ごめんなさい」はなんですか?
Kaori:すごい冷めた感じなので。
qbc:冷めてるっていうのは、悪いことだと思ってるんですか?
Kaori:悪いこととは思ってないんですけど、どっか静かに見ちゃうところがあって。
qbc:それも全然悪いことではないですよ。
Kaori:ないですか?
qbc:どうして謝ったりするんですか?
Kaori:なんとなく謝っちゃいました。冷たいかなって思っちゃったんですよ。
qbc:冷たいことは悪いと思っている?
Kaori:それは思ってないけど、何となく冷たく感じるんじゃないかっていう。
私、ときどき率直にものを言うことがあって、人を驚かせちゃうこともあるんですよ。
あと、褒められても、普通はたぶん喜ぶと思うんですけど。
褒められたときに、でもさ、いや、これってタイミングとかたまたまなのもあるしねっていう感じになっちゃうんですよ。
だから、側から見たらいろいろできてるのかもしれないけど、私からすると、そんなにできてる感じもしてなかったしっていう感覚ですかね。
qbc:スピリチュアルは、いつごろからご興味が?
Kaori:それは必要に迫られてっていうか、この自分の性質がわからなくて困ってたんですよ。
それで主に、具合が悪い前からの話だと、江原啓之さんの本を最初に何冊か読んで。
でも、昔の江原さんの本って、自分を愛するとか大切にする話は出てこないから、「魂の修行」とか言われても、意味は分かるけど、今の私には何だろうっていう感じで。
そしたら、平池来耶(ひらいけらや)さんっていう前世などの本をだしてるセラピストさんみたいな方にたどり着いたら、自分を愛するとか大切にするっていうことを、まず教えている方だったんですね。
なので、スピリチュアルを知るにも、まずステップがあるよなってそこで思って。ハードルが高いって思うことが何度かあった。
2000年前後ぐらいからかなスピリチュアルは。そのあと2007-2008年ぐらいから、インディゴチルドレンが、みたいな話。インディゴチルドレンっていうのを調べていたら、既存のものを壊していくような性質があって。世の中を変えていく的なことを書いてあるんですけど。
わかるようなわからないような、でも何となく当てはまるなと思って。
ギフテッドの性質と被ってるなと、今は思って。ギフテッドを知ったから、ギフテッドの人たちって、そういうとこがあるよなと思って。
あとエンパスっていうのを知って。感情、身体的なエンパスとか種類、いっぱいあるんですけど。
中には、ミディアムエンパスって言って、霊媒的なエンパスもいるし。アメリカだと、精神科の先生がそういう本を書いてたりするらしいんですね。そのへんを知って、なんかわかるけれども、じゃあどうしたらいいんだろうと思っていて。
その後、どんどんライトワーカーとか、地球の波動を上げて人の気持ちを解放していくとか、そんな人がどうのこうのとか見聞きしていって。なんか、わかるっちゃわかるけど、かといって、現実的にどう私は生きていけばいいんだっていうのを悩んでたんですよね。
そしたら、だんだんハイリー・センシティブ・パーソンとかギフテッドの情報がやっと入ってきて。現実的に、私はこういう性質があって大変だったなって気がつけて。そうすると、あらためてスピリチュアルに戻っていったら、なんかまとまったんですよ。現実的に理解したおかげで、あやふやだったスピリチュアルもまとまってきたんですね。
っていう感じです。
qbc:この無名人インタビューでは、もしもの質問っていうのをしてまして。
もしも自分が今のHSPや情報を取捨選択せずに敏感に吸収してしまう性質がなかったとしたら、どういう人生になっていたと思いますか?
Kaori:想像つかないんですよね。もう激しすぎて。
でも、そしたら、もうちょっと普通の女の子とか子どもをやってみたいですよね。
なんで思うかっていうと、職場の女性とかに私が話すじゃないですか。そうすると、「そんなことまで考えたことなかったです」って言われちゃったり。人は少し違うことを実感するようになっていって、あと、自分の性質がわからないから、サバイバル的な生活が多かった気がするんですよ。
子どものころから、落ち着かなかったんですよね。ご両親が揃ってるからって、みんながみんな家庭の状況がいいわけではないと思うけど。
のんびり育って、テレビ見て。私みたいに母親の影響から子どものころにお金どうしようとか思ったりする生活をしてない人ってどんな感じなのかを知りたいと思いました。
それがうらやましいとかその人たちが嫌だとかじゃなくて、私の体験していない生活をしている人たちなんだよなって思ったんですよ。
常に成長を急かされてるし、サバイバルだった感じだし。だから、安心して生活をしている人の性質も、ちょっと身につけてみたいなと思って、そういう観察もしてたんですよ。
こういうふうに穏やかに安心して過ごすっていうことを、私はやってみたいなと思って、今、やっとそれをできるようになったんです。
すみません、ガーっと喋っちゃったけど。過去の話をしたんですけど、実はもう結構終わってる話を、過去へ戻って話してるけど、自分の中ではいろいろ自己受容が終わっていて。
この話をしてても、全然痛くないっていうか。もうちょっと10年前ぐらいだったら、もっと痛かったと思うんですけど。
過去の話をしても、全然大丈夫なんだなと思って。自分の中で完結して、最後の方のステージっていうか。人生100年時代だから、まだまだいつまで生きるかわかんないけど。
qbc:なるほど。自分にHSPという性質があって、良かったなと思いますか?
Kaori:良かったなって思うことは、
やっぱりちょっと冷めてて、あんまり人に褒められたり喜ばれたりしてもそれで終わっちゃうんですけど。
でも、それでもこの私の、人の気づかないことに気づけたことのおかげで、患者さんに慕われたりとか、友達を救出することができたりとか。自分を後回しにしてやってたから、正直、大変だったことはあったけども、まあ良かったんじゃないかなと思ってて。
感受性が強かったりするおかげで、自然や色とか音とかいろんなものに反応して感動もするし、映画見て泣くし、笑うし、本当良かったなって思うのと。
あと、ギフテッドの性質のおかげで、全部謎に迫れた、謎を解決できたんで。自分がどうしてこんなに大変なの? っていうのを追求する性質があったおかげで、他にも病気してるんですけど、自分の中で全部解明してるんですよ。
人間関係も、毎回理由から何から、何度も考察してるんですよ。相手が悪いだけじゃなくて、自分がどういう関わり方をしちゃってたかなとか。相手はどういう心理的な背景があったのかとか、その都度やってたんですね。
そのおかげでどんなに嫌な人のことも、もう別に嫌じゃないし。許すって言ったらおこがましいんですけども、なんか許せているし、それは自分が許せるようになったからかなっていうのと。
先日、『名建築で昼食を』っていうドラマで、池田エライザさんと田口トモロヲさんが出てるんですけど。トモロヲさんがセリフで、「許すって人を許すことかと思ってたけど、自分の気持ちを許すことだと思うんだよね」って言ったんですよ。それ、すごいいいなと思って。どんな自分も受け入れられることはいいなと思いましたね。
ダメなところもあるし、未だにバランス取れないところもあるし、一応取ってはいるけど。その不安定さとか感覚の鋭敏さとか感受性も強みなんだなって、やっと今、思えるようになってきて。
qbc:うんうんうんうん。
Kaori:それが一番の収穫かな。
qbc:何歳ぐらいのときに、鋭敏すぎる感覚でも良いって気づけたんでしょうか?
Kaori:この2-3年の話ですね。やっとです。やっと思えるようになった。ギフテッドなどのことをやっと理解できたから、どんな自分でもいいやと思って。
あと、そもそも世間的な成功みたいなこととか、周囲の人が羨むようなことに、実はあんまり興味がないのもあって、人と違っても良いかと思えてます。
だけど人の幸せはちゃんと喜べるんですよ。「良かったね」って言って。でも、その人の幸せであって、自分の幸せじゃないって、さっき言ってた冷めた感情がまた出てきちゃって。
qbc:なるほど。
Kaori:私は私だし。でも、そういう考えじゃない人ばっかりだから。とまどったこともあります。
qbc:ここまでKaoriさんにお話いただいて、私はKaoriさんにのことを冷たいだなんて、全然思わなかったですよ。
Kaori:良かった。割り切って考えちゃうとか、問題をさっさと解決したくなっちゃうんですよ。ドライになっちゃうんですよね。
あと、多くの女性より、私はどっちかっていうと感覚的なものも沢山あるんだけど、結構左脳も使うんですよ。
qbc:人間関係とか、組織の悪い部分が見えちゃう人は、後ろにちょっと下がってるくらいの方がいいんですよ。自分の手作業が増えちゃったら、考える時間がなくなっちゃうから。
そういう役割分担だと思うので。
Kaori:そうですね。自分の役割をなんとなく意識するようになったかな。
qbc:最後に言い残したことがあれば、お伺いしてます。
Kaori:どんな人でも、どんな状況でも、みんな頑張ってると思うんですよ。それぞれの状況と立場で頑張ってるはずだから、些細なことでも何でもいいから自分を肯定してほしい。
今、どんなにくすぶってても、明けない夜はないじゃないですけど、朝は来るから。そういうくすぶってる時間とか停滞してる時間って、自分を知る時間なんじゃないかって思うんですね。
もしそういう方がいたら、そういうふうに思って過ごしてもらいたいと思いますね。
必ずみんな、上向きになっていくときって来るから。多少、努力は必要かもしれませんけど。だから大丈夫なんだよっていうことを伝えたいなと思って、よくstand.fmで話してます。
qbc:ありがとうございました。
Kaori:最後にいいですか? 私、最初にギフテッドの指摘を受けたのが42歳なんですよ。
次が44歳だったんですね。
42歳のときはスピリチュアル系の心理カウンセラーが、いきなり話をされて。
44歳のときは美容系の会社がシェアオフィスに入ってたんですけど、その代表の私より年下の女の子に、私の仕事の仕方を見て「ギフテッドじゃないの?」っていきなり言われたんですね。
その2年前だと情報がわからなかったんですけど、2回も言われちゃったからあらためて調べていって、今がある感じなんですね。
ちなみに、文部科学省で日本人のギフテッドのアンケート調査をしてるんですよ。
大人の窓口が私が調べ始めた7年前は無かったのですが、ギフテッド外来のあるクリニックが都内に2つ出来ました。(病気ではないから診断つけるようなものではありませんが)
東大でギフテッドの日本人の研究が始まって。その系列の
医療メディカクリニック
そのギフテッド外来で、知能検査や心理テストなどを各種して、更に私の自己理解が深まったところです。
もう一つは
ブレインクリニック
千歳烏山の
どんぐり発達クリニック
は16歳まで受診可です。
日本でもちゃんと徐々に動きがあるんですが、まだまだなので。困っている人、いっぱいいると思うんですけど、その情報にたどり着く人が増えてきてるから、更に、それを知ってくださる方が増えるといいなと思いますね。
qbc:ありがとうございます。
Kaori:本当にありがとうございました。
少しでも私の情報を必要とされている方に届きますように!!
qbcさんや無名人インタビューのメンバーの皆さんは、表現者としてのライトワーカーだと思います。お互いの活動がより良いものでありますように、そして地球で生きている全ての皆さんが健康で幸せでありますように!!
あとがき
背負う人がいる。背負う人はいつ背負わなくなるのであろう。あるいは背負う背中を大きくすることで大きくなるのだろうか。わからん。
能力のある人が、環境によっては雑務に追いやられてその真価を発揮できない、ということがある。人間は、才能よりも環境だと思う。マネジメントの問題でしょう。
わからんことや、うまくいかないことが、世の中、ある。けっこういっぱいある。
まあそんな評論なんてどうでもいい。今そこに辛かったり苦しんだりしている人がいるということを、まず見つめることから始める。それが、その人の話を聞くこと。その人の持っている物語を聞くこと。そういうこと。
あなたさまからのコメントをお待ち申しあげております!
編集協力:有島緋ナ
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