見出し画像

ぐるぐる回っている人(未来)

さいきん、言語処理は脊髄でやってるんですよ、なんて言説を聞いて(パブロフ以降、脳を直接切って調べることができなくなったので、脳についてはよくわかってないらしい)、えーそうなの? なんて思ったり。
でも、たくさんのインタビューをしていく中で気づくのは、たしかに人間なんてよくよく考えて喋ってないし、ろくろく思いつきがほとんどの生きものだよ、って思ってる。喋るのはさ、だから気分爽快を味わうとか、体調が良いか悪いかを声音で判断するくらいの意味しか、持ってないんじゃないのかな、って。
だからこの、5時間にわたってくりひろげられたインタビューも、記録にはまったく意味がなくて、その二人で過ごした時間、感じたこと、思ったことのほうに、より意味があるのではないのかな。と。
まあだから、読者よ、スミスさんと私の言葉に触れている最中に脊髄反射で感じたことの意味を、よくよく感じてくれたらうれしい。
まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)

まず当たり前のことをちゃんと、当たり前のことをきちっとやる。

qbc:
そうですね、じゃ未来。5年、10年先。最後、とりあえず自分が死ぬぞっていうところまでイメージしていただいた上で、今、未来ってどういうふうに思われていらっしゃるんですか? 

スミス:
そうですね。この10年、ほぼ1人単品で生きてきたようなもんなんで。
自分で関係を切った、切られた。そういう部分も関わらない、関われなかった。どれが正しいのかわからないし、全てその3パターンは全て私の人間関係においてあったのかもしれませんが。

今後はね、やっぱり自分の価値観とか、何がいいか悪いかっていうのと同じような考えを持っている人と、もっと繋がりたいなっていうのはありますね。
だったらその上から目線何とかしろよとか、いろいろあるんですけど。

やっぱり仲間が欲しいっていうわけじゃなくて、違っててもいいんですよ、別に考え方が。でもあなたはそういう考え方なのね、私はこういう考え方です。どっちもいいよねとかね。そういうふうに言える関係を作りたいな、作っていきたいなって感じです。
これは子どもの時から実は思っていたことだったりするんです。
違っていて良いじゃないって、なんで同じ価値観や考え方じゃないのとダメなのだろうと。
だから、何か全てに通用する価値観というものがあって、それ通りというかそれに合わせれば良いんだな、と思い込みを作り、どんどん大きくさせていたのねと。

もちろん恋仲になって結婚するだの、しないのだの ,それはわかりませんし。そういう機会があればね、別に断る必要もないし。
あまりにも一人で生き過ぎちゃったっていうのは、あるのかもしれない。

もちろんね、今となってはいろんな人達のいろんな世話っていうのかな、いろいろしてくださったから今があるんだなと。
もちろんいいことだけじゃなくてね、私にとってはネガティブなことも含めてね、いろいろあったがゆえに、気付かせてもらったこともあるし。
そういうのは大事にはするけど、それに縛られないっていうか。

自分が実際、死ぬ時って誰もいない状態で、火葬場で骨を拾ってくれる人もいないのかもしれないけど、それはお金払ったら何とかそういう人が出てくるのかな、そういうなんだろうね、身元保証人みたいな契約をしなきゃいかんなあとかね、いろいろ思ってはいるんだけども。

最終的に人間って一人で死んでいくんですよ。結婚していようがしていまいが、子供がいようがいまいが。
一人で死んでいくから、それをどう処理するのかっていうのは、もちろんね、親族にお願いするのか、お金払って契約に基づいてやってもらうのかわかんないんだけど。結局のところ、なんであっても、死んでいくのは一人だから。
そのときに、生き抜いたぞと思って、まだあれもやりたかった、これもやりたかったっていう未練で死ぬんじゃなくて、あぁもうやり切ったと。そういうふうに死んでいけたらいいよねっていうのは最近思ってます。死ぬことのイメージがもうほとんど無かったですからね、もう今が必死が延々と続いていたからね。

でもなんだかんだ、過去において余りに辛くて、自らこのゲームを降りよう、降りたいと思ったときもありましたが、そうはさせてはくれなかったし、まだこの世界で辛い苦行を積まなきゃいかんのかと思っていた時期もありましたけど。

今となってみれば、それが必要だったんだよねと。
まだ何もしてないじゃんと。心の声というかね、あの世?からの声などによると、あちらの世界(この世)の苦行しながら生きてる感じで私が言うと。まだ何もしてないじゃない、ずっとあなた(スミス本人)は山にこもって修行してたようなもんでしょと。
で、何すんの? っていうふうに今、日々問われている。そんな感じですね。
死ぬまでが10年後死ぬのか、30年後死ぬのか。50年ぐらいあと持つのかそこはわかんないですけど。

ただやっぱり皆さんおっしゃるけど、ぽっくり死にたいっていうのはあるよね。苦しむんじゃなくて。ある日突然ぽっくり死ぬっていうのが最高の死に方だなと思うんだよね。昨日まで元気だったじゃんみたいな。
それが多分一番のいい死に方なのかなと思ってます。

qbc:
突然ですが、死ぬのが決まって、7日後に死ぬとします。

スミス:
7日後に死ぬ。

qbc:
それがわかったその日って、どうします? 

スミス:
10分ぐらいは打ちひしがれるんだろうね、今だったら。
そうしたらもうしょうがねぇなっていうので、当然仕事なんて行かないよね。死ぬの決まってんだったら。

会社辞めるのかどうかまでっていうのわかんないけど。辞めるんだろうな。それで軍資金で退職金をよこせよみたいな感じなのかもしれないけど。

qbc:
7日後に死ぬという宣告を今日受けたって展開なので、すぐ退職金が下りるかどうかというと、おりないですね。

スミス:
であれば当然会社なんか行かずに、疎遠になってる親のとこに行くのかな、一回。
別に「逝くんです」っていうふうに言いに行くんじゃなくて、覗きに行くって感じ。
普通に会話をして、あ、そうですかと。元気そうですね、みたいなそんな話をして。

あとは会いたいなと、疎遠になって会いたいなと思う人に会いに行くのかな。それは別に会話をしに行くってよりも、覗きに行くっていう感じかもしれない。あ、生きてるな、こいつって。

qbc:
誰ですか。

スミス:
友達の何人かですね。2人かな。

qbc:
誰と誰?

スミス:
学生時代に仲の良かった人ですね、男性ですけど、2人とも。今はちょっと全然交流が無いという感じかな。

qbc:
ちなみにいつから会わなくなってる? 

スミス:
そうね、10年以上前ですかね、一人は。一人は5年ぐらい前。11年ブランク期間がありましたけどね、ちょこっと会って、また疎遠になったみたいな感じですけど。

生き方が違うっていうこともあり。昔はね、気が合ってたかもしれないけど、それぞれ違う道を歩んでいく中で価値観が合わなくなっちゃったっていうところだったんですけどね。

qbc:
SNSでは?

スミス:
一応一人は繋がってるけど、やりとりはなし。一人はそもそもやらない人だったから。

qbc:
未来においてどんな気持ちでいたいかっていうのはあります? 

スミス:
そうね。
今思えば、何かきちんと自分の一日を終えて、それに感謝をするみたいな暮らしが、その積み重ねができてればいいのかなっていうふうに思いますよね。
なんかすごくわかりにくくて申し訳ないんですけど。

qbc:
一日を終えたなっていう感じ?

スミス:
例えばね、朝6時半に起きますという決まりを決めたとしましょうか。
きちんと起きれましたと。起きてその日のタスクというのかしら。例えば窓を開けて掃除をしますとかっていうのをやって、仕事に行きますと。
普通に、普通にあれやるって言ったらあれだけど、可もなく不可もなくちゃんとこなせましたと。関わる人ともうまくやれましたと。

揉め事を何か追加で起こすとか、自分を起因として何かトラブルを発生させるミスをする、そういった揉め事もありませんでした。
家に帰って自分で食事を作るでもいいですけど。きちっとその日の日課じゃないけれども、ちゃんと風呂に入ってね、自分でこの時間には寝ようかと。あとやるべきこと、例えば本を読むとか、何をやるとか、そういうのもきちんとできて、今日一日を終えられましたねと。
っていうのをなんか積み重ねていく、っていう感じなのかな。
なんかもう、すごい老人みたいな感じにちょっとなっちゃってるから自分もよくわかってないところもあるんだけど。
ふと気づいたときに唖然としたけどね、なんだか爺さんみたいなこと言ってると。

qbc:
そういうふうな一日を終えたときっていうのは、どういう気持ちで終えるんですか? 

スミス:
多分ね、それはその一日を全うしたっていう感覚が欲しいんだと思う。

そんなに風になれる目標や対象が、今あるの? って言われたときに、なんかもう一応こなしてはいるけど、なんか自分の本来考えたようなことが3割もできなかったとか5割しかできなかったとかっていう、家がとても整ってないとかね、そう言うのが続いているし、そういった意味ではある意味で自堕落な暮らしをしているから、それは整えたいっていうのがあると。

家の家事だ、もろもろね、そういったものがきちんとできて、維持できるような、良い状態が維持できるようなそういう習慣を身につけよう。そういうところ。

で、もっと踏み込んで、自分が将来こういうことをやりたいからこの勉強しようとか、何とかしようとかっていうのがきちんと自分で決めて、その内容がこなせてっていうところかなみたいな。
ちょっとそれはやってない、やれてないから憧れで言ってるっていうところもあるのかもしれないんだけど。

なんかね、多分大事なのってそういうところなのかなっていう気付きなんですね、今の感じ、心の感じ方で言うと。
だからもっと何か大それたことをしたいとかっていうのを前はものすごく意識していたし、人から比べられたくもないとかね。いろいろ言ってたんだけども。

まず当たり前のことをちゃんと、当たり前のことをきちっとやる。
これってすごく難しくて、でも難しいことこそやっぱり本質なんだろうなっていうのは感じてるから。
そういう一日っていうものを過ごしたい。それを一日できたら二日やれたらいいな、二日できたら三日できたらいいな、それが積み重なって今月、まさにそれでずっと通せましたと。

それが年単位になってくるとね、やっぱ大きくなってくるかなって。
やっぱかなり時間とか、自分の時間、自分の有限時間というかこの世の残り時間だよね、そういったものを無意識的に何も考えずに過ごしてたなっていうのは感じますね。

qbc:
その考えに至ったのっていつ頃だったんですか?

スミス:
薄々感じてたのはもう2,3年前かな。
だけどやっぱりやりたくないんだよね。掃除とか何とかって、もういいや、先延ばし。だけどもう逃げられないぞぐらいの状態になってきて。

で、今引っ越しを考えていて、なかなかうまくものが見つかりませんねとか、自分の家計管理とかもろもろ直視しないといけないっていうような状況の中で、やっぱりそこなんだな、その自分で決めたことを、まず何をやるのかって決めろよって話なんだけど。

それすらもちょっと怖かったから多分決められなかったんだと思うんですよね。それを決めた上で自分のタスクを作る。日課を作る。

一日の行動スケジュールっていうのかな、別にそれに縛られる必要ないんだけど。それを着実にできるのかできないのか。当たり前のことほどやるのってすごい難しい。人に親切にしましょうとかね、一番簡単で一番実は一番難しいので。

そういう自分の過ごし方、自分の時間の使い方、自分でその時間を使って何をするのかっていうことが多分本質だから、そこに他人がどうのとかってあまり関係ないんだよね。

もちろん他人と関わることで何かトラブルが発生しました、だからその対応に時間を取られていて、本来自分はこれをやるって言ったのに、それができませんでしたっていうのは当然ありうる話で。それができないから駄目っていうわけじゃなくて、例えば一週間の中でうまく調整するとかね。
一週間でちゃんときちっとできましたってなことをやりたいのかなとかね、なんかそういうのは思ってますけど。

正直今、自分の中で実体験じゃなくて概念上のことで言ってるから、ちょっとほわっとわかりづらい感じになって申し訳ないんですけど。

物件

qbc:
ところで、これまでの4日間よりも遥かに落ち着いたのは何かあったんですか?

スミス:
端的に言うと、引越を考えていて検討してた物件がいいなと思っていたんだけど、考えすぎちゃって。具体的な資金繰りとか、ローンが借りれる借りれないとかじゃなくて、借りれるんだろうな、借りれるってのは確認はしてるんだけど。

資金繰りの入り繰りがちょっと大変だなとかっていうのを、勝手に自分の頭でシミュレーションしてたんですよ。シミュレーションだけどそれは杞憂だったんだよね。杞憂というか何ていうのかな。自分の妄想の世界での話で。そういうようなことに頭が取られちゃってて、実際に具体的に話を進めるっていうのが疎かになっちゃったんですよ。

そしたらば、先週の今日なんだけど、もう先の先の希望者の人で契約になりましたと。もうこの物件は終わりましたって言われたんですね。

一日へこみましたよ。一日へこんでたけど、じゃあ次何かあるかなって探し始めたんですが、その絡みもあって、占い師の先生にちょっと観ていただいて。
物件そのものの相性じゃなくて、この一連の繋がりっていうのはなんか僕にとってすごい意味のあることであり、何かメッセージがあるんだろうなと思った。

ちょっと鑑定してくださいと。そこでいろいろ言われて、確かにそうだったよねっていうところが、自分の中で刺さる部分が多々ありましてね。

じゃぁ本当は何やりたいのかしらと。
どこそこに住めば、そういう自分の理想になるの? 
それを求めてたわけですね、私の今までの人生っていうのは。

ここでこういう人たちがたくさんいるであろうところに引っ越せば、自分もおのずとそうなるもんだという何か妄想の方程式を作っていて。
全然ならないんじゃないか! みたいなね。
その繰り返しでもう、引っ越し25回なんですけど。

都度テーマを決めて、直近でいうと少ないコストでどこまで暮らせるかみたいなところ。
週末は旅に出ちゃうからもう最低限でいいとかね、そういうのをやってきました。

やっぱり何かね、あぁ、自分だけのくつろげる空間が欲しい! って、そういう魂の叫びみたいなのがやっぱり出てきたわけですよ。

これが一年ぐらいかな。一年ぐらい前かな。そういう場所さえあればいいのか、そこでどういう暮らしをすればいいのかっていうのを、この一週間でいろいろ考え始めたってことかもしれません。

qbc:
なるほど。

スミス:
なんか急速になんかね、なんか結局、もう今日の鑑定でも申し上げたんだけど。
ある種、子供の、すごい子供そのまま自由奔放で言うこと聞かない子供の部分と、余生を過ごすおじいちゃんのような老人が共存してて、バランスが無いわけですよ。

ちょっと今日、あるときはおじいちゃん、あるときは子供みたいな感じになってるから、そこのバランスを取るのが、中間が無いわけですよ。
このバランスを取るのはどうしたらいいんだろうっていうのを、鑑定が終わって数時間外に出かけてましたけど、一人で考えたんですよね。

未来のことについてqbcさんに聞かれるから、なんて答えればいいんだろうと思ってて。
今実際、ぶっつけ本番で臨んでますが、その当たり前のことをきちっとやるっていうのはやっぱり難しいことなんで、それに挑戦するみたいな。

qbc:
なんていうか、ほんとう、全然まるで違ってる感じがするんで。

スミス:
別の魂が何か乗り移ったのかな。わかんないんだけど。

自分の中で家っていうものに対する妙なこだわりが、いろんなものを投影してたんだと思うんです。
それは家族関係。すごい幸せな家族だったり、自分の愛する人がいてその自分の世話する子供がいてとかっていうものが家に全部投影して、妄想の原因でもあったわけですよ。
でも、何もないのが現実ね。

なんだけど、もうそんなもん関係ねぇと。関係ないと。
なんでそれが欲しいのって言ったらもう自分だけの空間が欲しいんだと。もうそれだけですよね。

別に広くなくてもいいんだと。今の家は狭いからさすがに狭すぎるのは困っちゃうけど。
適度なサイズであれば、むやみやたらに広くてね、広いところに部屋は3部屋、5部屋あります、でも住んでるのは一人でポツンと住んでますっていうのは、それはそれで掃除も大変だし寂しいし。
そこまでは求めないと。自分にとって不要だからね。
自分で必要だと思える範囲内で、自分の暮らしっていうものを何かコントロールしないといかんのだなっていうのはすごい感じてますね。
ようやっと、自分目線なるものが生まれ始めたのかもしれない。

それが結論かって言われるとそれはわかんないんだけど。
まず少なくとも勝ちや挑戦する価値のあるものは何ですか? って言われたら、当たり前のことがいかにできてませんでしたと。

でも逆の面で言い換えるなら、一周ぐるっと回ったのかもしれない、それは。いろんなことや体験。
普通の人がなかなかやらないようなところまで踏みこんでってやっていたり、世間一般の50歳前後の男性としては、当然結婚してないから離婚歴も無いし、子供は隠し子もいないし。ないないづくしなわけですよ。

ないないづくしという、ちょっと特殊なね、一般的ではない、平凡的な人生ではなかったので、ずっとそれに憧れてたんですよね。
だけど、でももっと言うと、その奥底にある私っていうのはそれを求めてなかったんだよね。
先週までの前回までのお話で言ったんだけど、本当の魂の部分ではそれを求めてなくて。
そういった意味では魂の通りに生きてたのかもしれないなと。

それで幸せなのかって言われると、いろいろやったけど別に幸せとは感じてないわけですよ。

じゃここで何か本当に誰もが描くようなバラ色の幸せとかね、バラ色の未来とか、そういったものってそもそもあるのかなと。私にとってのバラ色っていうものがそもそもあるのかなと。と思ったときに、多分あんまり無いんだろうと思ったの。

もう淡々と過ごして、日々を過ごしてちょっとした、そのレジャーというかね、刺激としてどっかに行くとか、非日常の経験をするとかって言うのが、パラパラパラってあるぐらいで、きちんと自分の日課っていうものを果たせましたと。
で、最後に安ワインでいいから乾杯して寝るとかね、案外幸せって自分のそばにあるんじゃないのっていうような考え方に変わりつつありますね。

何とかが無いと幸せになれないとずっと思ってたけど。
実はすぐそばにあって、それに気付いてなかったみたいな。

qbc:
それはもう、この1週間ぐらいで変わったとか?

スミス:
そうそう、この1週間。
やっぱりそのね、いいなと思った物件を見てた時って、そんな広くない1LDKかな。全然想像もしてなかった場所だったんですよ。
別に積極的に探したような場所でもないし、たまたま見つけたっていう感じでね。
でもそこがね、なんかすごく落ち着いたんですよね、見学に行ったときに。向かいがある大学のキャンパスでね、桜の木が見えたりとかね。

その上、大体街中には歩いて行ける。あるいは電車でそんなにかからないっていうとこだと。
建物は相当、もうおじいちゃんだったけどね、築60年だったから。建物として大丈夫か?というのはあったんだけど。
そういうのもあり、なかなか決断がしきれなかったっていうのはあるんですけど。

qbc:
その物件が、駄目になった?

スミス:
そうなんだよね。、そこは占い師の先生に、物件の相性っていう意味での断易を見てもらったら、かなりいいと。
過去何度となく鑑定してもらっていたけど、軒並みアウトな鑑定結果だったからね。
ようやく出たねって言うので。今までことごとく駄目だったけど、やっといいのが出たよみたいな感じだったから。その気になってもう、舞い上がっちゃったわけですね。

だけどやっぱりさすがにオンボロすぎるし、いろいろ気をつけないといけないポイントが多いな。1個ずつ潰してるうちに時間切れになっちゃったみたいな。

上高地

qbc:
もしもの未来の質問っていうのをしたくてですね。
もしも家もあって、結婚もしていて、お子さんもいらっしゃってっていうような50歳だったとしたら、何をしたいと思います? 自分を。

スミス:
そのご質問というのは、すごく私には、前向きな回答とは限らないんですよね。

今までそういうものを求めていました、必死で。
出世だ、家族だ、子供だ、どこにいい家を建てるだとかね、買うだとかね。それなりのお金を持ってますとか、地位っていうものにものすごいもう、自分は劣後したんだ、落伍者だみたいなふうに思ったんです。

なんだけど、今その質問を聞かれて思ったのは、そういう状態って、そういう状態になってる私を今想像して申し上げると、果たして幸せなのかな? って。

qbc:
何してんのかなと思って。そのときに。

スミス:
そのときに、親父うるせよとか言ってね、多分子供、中高生でしょうから、まぁ小学生、お父さんと一緒にいるの嫌だとかね。奥さんにはもうあんた、うるさいから消えろみたいな感じで言われてるかもしれないし。

睦まじい状態なのかもしれないし、そこはわかんないんだけど。
自分の居場所ってありそうで無いなっていうことに、多分あたふたしてるのかもしれないね。そろそろサラリーマンだった場合の老い先っていうのが大体もう見えてきているから。

数年で役職定年になり、みたいな。そんな状態を想像しつつ、今ちょっと偉そうにしてるかもしんないけど、多分役職も無くなっちゃうしな~、その後どうやって食いつなごうかな~、みたいな。
何か趣味に走ろうと思ったとしても、いやぁこれから子供が大学とか何とか言ったらもっと金かかるんだよな~ とかね。っていうなんか。

qbc:
あんまりはかどっていない感じがしますね、そうするとね。

スミス
そうそう、そういうイメージなんですよね。
かたや、もう一つ本当にやりたかったことをやろうって言ったときになって、今の私のように自分の本性って何なのかしらとか、自分の本当の魂の本当の叫びって何なのかしらとか、そんなものを探しに行くことをそもそもやるかのかと想像すると、やれないだろうね。怖くて。

多分それが真実なんだ、本当にやりたいことなんだと思っても、パンドラの箱だから触らないようにしてたかもしれない。私は逆に言うと何も無かったから、何も無くてそういうご縁も無かった。
だからパンドラの箱を開けるしかなかったんですね。いわゆるパンドラの箱を開けたいっていうのがすごい強かったかものは一切排除してきたのかもしれないんでね。
目の前には1つしか箱がなかった。なんで1つしか箱がない、おまけにその箱はパンドラの箱で、空けるとどうなるか分からない代物しかなかったわけね。開けるしかないわけよ。

そこはわかんないんですけど、先ほどのご質問の通り、全てがある状態で、じゃ何をしたいですか? って言ったときに、多分答えに困っちゃうんだろうな。
最もらしい事は多分言えると思いますよ。もうちょっと時間ができたら嫁さんとどっかに旅行に行くとかね。子供の希望する進路に行って欲しいとかね。

それはその人に対してはそうかもしれないけど、あなたはどうなんですか? っていうことを聞かれて、だから僕が思ってるのはこれなんですとか言って、なんか言いはってたかもしんないね。嫌な大人になってたかもしれないね。

qbc:
そういう意味で、今のスミスさんの状態っていうのが最善のルートでしかなかったのかなと。

スミス:
あら! 自分では最悪のルートだと思ってたのに。

qbc:
感情がね、自分がどう感じるかまた別の話で、結局その望んでたものが手に入ったとしても、欲しくなかったっていうふうに思うんであれば、結果的に今のルートっていうのは正しかった。いろんな苦労も苦痛も嫌だと思うことも。

スミス:
だからそれが正しいというよりもね、それしか無かったって感じ。

自分で正しいものを選んできたんだっていう見方じゃなくて、これしか選ぶものが無かった、それも一つしか入ってないと。行く先々で、与えられたものとか、自分で見つけたものには、一つしか入ってない。

それしかないのかよとか思いながら、全部もらっちゃおう、もらっとこうみたいな。そういうので、それで何かずっと生きてきたような感じ、っていう感覚なんだけど。

じゃぁ他にやりたかったか? って言われちゃうと、この1週間のいろんなね、10日ぐらいのいろんな心の変遷、人の変化っていうところももちろん大きいんだと思うんですけど。
実はそれ望んでたことをそのままやってたっていうことなんじゃないのと。それは私自身の顕在意識では理解できるかどうかは別としてね。とても理解できないし腹落ちしなかったけどもね。

本質的なところはそれを望んでたのかもしれない。
というのも一つあるだろうなって感じはしますね。

自分でもう積極的にこの生き方を選んできたっていう自覚はないんですよ、正直。
なんでこうなっちまったんだ? みたいなのがまだ大きいんだと思います。

冷静にこういうご質問をしていただくような感じで冷静に、もう一回振り返ってごらん。
どうでしたか? っていう感じは果たしてそれが幸せだったのだろうかと。

考え方の一つかもしれませんが、最初はね、人間というのは生まれてきて子供時代を過ごしてどんどん大きくなっていくわけですけども。
子供のときのその自由な感覚。それは他人とちょっと違ってようが何しろ関係なく、自分自身がこうしたいんだ、あぁしたいんだっていうところを通常はそれは学校に入る、何とかその友達とかの影響を受けて、だいぶ消されていくわけですよね。おとなしくなっていくわけですよね。

で、社会一般的な見方みたいなものにどんどん変わっていく。
会社に入ればまたなおさら変わっていく。それが求められるみたいなところはあったし、と思うんですけど。

私はことごとくそれに抵抗してたのかもしれないね。無意識に。
だから冷水も飲まされたし、散々ね。なんだけど、それでも戦い続けたのかもしれないね。

でもなんか戦うのも疲れちゃったんだけど、っていうそこなんだけど。
そうすると、前回までの話と繋がるんですけど、それは猿芝居だったんじゃないの? 一人で勝手に妄想というものを作り出して、戦ってたふりをしている。
で本当は何なの? って言ったら、自分自身を変えたくないとか、自分自身を守りたいとかっていうことをずっとやってたのかなと。
尊重されているとは思えない時期をずっと過ごしていたからね。

それでずっと行くんだったら、じゃ本当は何をしたいんだ? お前はと言われたら、さっき申し上げたような、自分で喋ってなかなかびっくりはしてたんですけど、おじいちゃんみたいなことを言うなとか。

正直ね、今まであれほど海外だ何とかだとか思ってたんですけど、求めてたし実際やってきちゃったんですけど。
なんかね、どんな街に暮らしたいの? って占い師の先生の鑑定でも言われましたが、民度が高い人がいいよねと。

私の場合、結構いろ人が多いところって基本駄目なんですよ、かき乱されてる感覚を強く感じるのと、それががすごい嫌なので。
適度にいても昼間はいてもいいんだけど、夜は静かな場所とかね。
すごいおしゃれな、映えるようなカフェとかが別に無くてもいいよと。言ってみりゃ。

もっと言えば、自分の家でコーヒーを入れて水筒に入れるよと。
それで近所の公園だとか、そういう波動のいいようなところとか、そういったもので、あぁ素敵、この花綺麗だよねとか。なんか美術館がある、じゃ入ってみようか、あぁすごいいいな、よかったよかったみたいな。っていうようなものがそばにあれば、あんまりそもそも求めないんだよね、みたいな。

まぁ必要に応じてね、お店がいっぱいある繁華街って言われてるようなところが比較的近くて、デパ地下で食材を買って家で作ろうとか。
なにかあったときにはちょっと遠方に行くときにも新幹線や飛行機に出やすい場所。であればどこでもいいのかなみたいな。

あんまり、それさえ押さえてれば、なんかそれだけでなんか私は幸せなのかなっていうようになりましたね。
もうあの家の、何とかスタイルのこんな家じゃないと嫌だとか、なんかいろいろ言ってたけど。

場所ってのは大事かもしれないけどね。
あと、幕間の切り替えが早いというか、回転率が高いほうが好きなんだろうね。
いろんな場面やシーンがある場所というかね。

qbc:
7日後に死ぬよって言う宣告の続きで、人と会うことをする。それ以外、何をしますか? 

スミス:
体力とかね、そこが叶うか叶わないかっていうのであれば、一応7日間までは元気に、ぽっくり死にますということだと仮定すれば、もう一回見てみたい美しい景色を見に行きますね。長野とか沖縄とかね。

それはもう、泊りでもいいし、別に泊りは駄目だと、日帰りで必ず帰ってきて何かやんなきゃいけないんだと言われても、わかりました、日帰りで行きますって感じかな。

そこでの、沖縄とかだと知り合いが多いので北海道もそうだけど、こんちは~みたいな感じでたぶん行くんでしょうね。ちょっと近くまで来たので覗いてみました~みたいな。心の中でさよならって言いたいのかなとか。

qbc:
1個に絞ってくださいで、どんな風景だったのか、ちょっと知りたいですね。

スミス:
そうね。それはもう私も去年から何か急にハマっちゃって、年に2回行くようになりましたが、長野県上高地ってとこですね。
山の中ですね。車でそのまま行けないっていう、バスに乗る。東京から5時間以上かかるけど。

元々はその北アルプスの山あいのね、川が流れているところに牧場がありました。
本当に山の中で海抜1500mぐらいのとこなんですけど。

放牧じゃないな。山の中なんだけど、牧場ができるぐらいの少し広がった地域が川沿いにちょっと広い地域が牧草地がありましたと。それがもう牧場やらなくなってから、ここはもう景勝地だから特別天然記念物になりましたと。

日本の競技登山の発祥の地なんですよね。
明治時代だったかな、大正時代だったかなお雇い外国人がこれは素晴らしい、世界に日本アルプスとして紹介し、登山を伝えた場所だみたいな。

でホテルを作ろうみたいなね。外貨を稼ぐための国策ホテルや山小屋から発展した旅籠ね。
それから100年くらい経つのかな、今はすっかり観光地でとんでもなく昼間は人が多く集まる場所なんですけど、夜になるともう泊まってる人、ホテルとか旅館とか、山小屋に泊まってる人しか滞在できないんです。アクセス道路が夕方になると封鎖されちゃうんで。

そこで見た星空もそうだし、その川と山の景色ですよね、時期によっては高山植物、あるいは秋であれば紅葉のシーズンだったりとか。っていうのは、5時間半も使いまくって行くんだけども、なぜかまた足が向いちゃうっていうね、そういう感じですかね。日帰りでも何度か行きましたし。

qbc:
どんな気持ちになるんですか? 

スミス:
いやもうね、全てが美しいからもう勝手に泣いちゃうわけ、涙が出ちゃったのね。
自分でも読めない。もうわかんない。
ちょっとスピリチュアル的な言い方で表現するならば、
自分の魂がいた。細胞が喜ぶと言う感じとでも言おうか、表現がしようがないですね。

占い師の先生の鑑定でもよく言われてるんですけど、ちょうど去年初めて行ったときに、自分の鑑定などで言われた私の魂そのもの。過去生、それがいたと言う感じでしたね。。

qbc:
あ、そこではじめて?

スミス:
そう。去年の6月。
なんかいるんですよ。存在。なんか感覚は理解でき、存在は理解できるんだけどどんな人かもわかんないみたいな。なんか走ってるぞみたいな。

で6月にそれがあって、これは1回どうしても泊まらなきゃいけない、この場所にと。
ホテルなんて全然取れないから。たまたま空きを見つけて、すんごい高かったけど、これはもう研究調査だと思って行ったんですよね。

そしたらもう、ご対面でしたね。
すごい子供でしたけど。なぜかいつもスーツ姿の外国人。

お前か? みたいな。
お前のせいで俺の人生はこんなにハチャメチャになってんじゃないかと。罵詈雑言を言いましたけど。

そこからやっぱり、一体になるようなそのシンクロみたいなのが、やっぱり起きるようになったのかもしれません。

だから死ぬときにもう1回どこに行きますかって言われたら、そのお礼を言うんでしょうね、きっと。

最後の最後でようやく会わせてくれたね、みたいな。
こういう人生というシナリオを形づくった、描いた犯人であるあなたとここで会いましたね、みたいな。
49年かかったんですけど、ここまで来るのにって。

qbc:
和気(岡山県の某田舎。かつてスミスが住んでいた場所であり、スミスが占い師の先生により呼ばれた場所でもある)の風景とは? 

スミス:
和気ね。

qbc:
和気と共通点はあります? 

スミス:
ありますよ、川と山。

もちろん、和気の場合は山と山が迫ってるんで、山があって川があって、すぐまた山じゃないですか。
上高地はもう少し広いんですよ、河原が広いって感じかな。

河原がもうちょっと広くて、やっぱり交通量も制限されてるから、普通に車の行き止まりのところなので、かつ普通の自家用車はまず入れないので、バスと業務用車両しか走ってないし、旅行客はバス停から徒歩しか動けないわけですね。上高地内での輸送サービスも禁止されてるから。

qbc:
自動車で入れないところなんですか? 

スミス:
車も自家用車では入れませんと。バスしか入れません。工事用・業務用車両しか入れませんと。
そこにバス停まで着いた人たちっていうのは、バス停のそばの宿であれば別に問題ないんだけれども。
登山口までに2時間かかる場合は歩くしかなくて、中心地にないホテルや山小屋で宿泊だとしても、徒歩でしか行けませんと。
荷物もあるんですけど、うん、荷物持って歩いてくださいっていうところ。

もう、徒歩しかないんですよ、交通手段が。その中に入って。なので空気が綺麗だっていうのはあるんですよね。排気ガスが無いので。

もっと言うと、電波も携帯の電波も人がいるポイントポイントでしか無い。アンテナ立ってないので。あるAポイントからBポイントまで行く間は圏外だったりするんですよ。

そこら辺はちょっと和気とは違うとは思うんですけど、ただ山があって、川がある。山に囲まれているっていうのは同じです。

もっと言うと、私が北海道で住んでた札幌で住んでたところも、札幌市内なんだけど山あいの町だったんで、山と川なんですよ。

鮭が上ってくる豊平川っていう川があって。
山と川があって、また山がある。その山は自衛隊の演習林だったんで、ドンパチやってるんだけど。
そういうところの河原の一部、ちょっとした、何つうんだろうな。あそこ元々、牧場の後、大昔は牧場、戦後はアメリカに接収されてたところだったんで、それがゴルフ場か、ゴルフ場になって接収されてたのか、それが返還されて札幌オリンピックの会場になったんですね。
その札幌オリンピックの選手村の残地だったんで。
なんかね、そういう山と川っていうのがなんかあるんですよね。

ぐるぐる

qbc:
最近、ぐるぐる回ったりしました?

スミス:
ぐるぐる?

qbc:
子供のころ、ぐるぐる回ってたっていう話を思い出して。

スミス
あ~はいはいはい。曼荼羅とかね、いろいろ。カーペットのラグが何か螺旋状の模様だったから。
ぐるぐる回ってはないけど、もしかすると、あちこち行きまくるというのが、そのぐるぐるなのかもしれない。
1日のうちに例えば新宿に行って銀座に行って、どこに行って、で家に帰ってくるとか。ぐるぐるぐるって。

qbc:
近場でもぐるぐるするんですね? 

スミス:
します、します。今日もだから九段に用があって行って、銀座行って、赤坂に行ってそれで帰ってきましたから。
それは多分そのぐるぐるだと思うんですよ、きっと。今思いました、初めて。
自分で曼荼羅描いているのかなみたいな。

qbc:
それで、それと家っていうのはどういう関係ですかね?  
家って居るっていうイメージだと思ってるんですけど、そこに。それと移動するっていうのはどう自分の中でバランス取れるんでしょう? 

スミス:
だから今は当然、家の状態があまりよろしくないので、居たくないから苦痛。掃除しなきゃいけないとか、整えなきゃいけないと思ってるけどそっから逃げようと思って、多分ぐるぐるしてるところも多分にあるんだと思うんですけど。

私にとって家っていうのは、船着場でいう港なんですよ。
また港から出航して行く、また戻ってくる。また行ってまた戻ってくる、その港でしかないみたいな。

qbc:
でも、なんかその重要なんですね? 

スミス:
そこの港がいいねとかね、どこがぐるぐるしやすいかとかね。 
そうやってみるとゴミ出しの仕方とかね、でもなんだこれはとか言いたくなったりするわけですよ。もっと綺麗にしろとかね、思うんだけど。

そう思ってくると滞在時間は、とはいえそれなりに過ごしますので、港ですけれども。
となるとそこの人の影響も受けるだろうし、影響も与えるかもしれないから、じゃどういうところがいいのかなと。
ぐるぐるしやすいところはどこ? っていうのはあると思います。

何か割り切れてなかったんですね。
いろんないろんな要素がぐっちゃぐちゃで。自分の中でずっと。
どれか優先事項を一つ、Aを優先事項とするなら、もうBとかCとかは後でいいでしょっていうのが、なんかね、AだったりあるときはBが強くなって、あるときはCが強くなったとか、よく整理されてなかったんだと思うんですよね。

それを何か自力で何とか整える、自力で解明するっていうことで何かぐるぐるやってるんだけど。単純にぐるぐるしたかっただけなのかもしれない。

qbc:
なんか、引っ越しでもぐるぐるですしね? 

スミス:
引っ越しはぐるぐるですよ、もう。子供の頃はね、父の転勤とかそういったもので、遠方の移動が多かったですけど。
社会人になってから自分の都合の引っ越しですね、これが十数回ありますが。

もうみんな、東京と言っても神奈川県までですから。
転勤、その遠方への転勤は無かったので。
海外にちょっと研修で行けとか、そういうのはありましたけど。それもね、別に1年も行ってないし。
引っ越しで、東京の都心部のおもだったところは大体行ったみたいな感じでしたね。

qbc:
改めていろいろ考えた中で、今日のこの時間の中で何か未来でやりたいことって、新たに思い浮かんだりしました?

スミス:
やっぱり何回目かのインタビューで申し上げましたけれども、大学の先生とかなれたらいいなっていうのは思っているんですね。それは特定の何かの分野を研究するとかっていう、そういうのもまたやってみたいっていうのはあるんですけど。

そこでじゃぁ何を伝えたいのかと、いうふうに何日か考えるようになったんですね。
何を伝えたいのかっていうと特定のその学問とか学問体系の考え方云々っていうのはもちろんあるんだけれども、人生どう転んだってなんとでもなるよってことを多分言いたいのかもしれません。

昔は自分のような生き方になってはいけないっていうのを伝えたかったと言っていましたし、私もそうだと思ったんですけど。

実際に25歳ぐらいですかね、それを大学の先生なりたいって言ったのは。
25年経ちましたと。即、25歳の当時で、ちょっと例えば30歳とか30数歳で大学の先生になりましたっていうのはなんか望んでないと。いい年になってからやるべきこと。それまでは勤め人だとか自分で会社を興すとかわからないけど、何かビジネスの世界にいて、その後、その実績などを持って大学の先生に行くと。おぼろげながらに思ってたわけですね。
なんかそのまま修士には行ったけど、博士には行かずに就職をしたっていうのもそれなんですけど。

今思ってみると、まさにそれはそれでOKだったなと。
大学教員になる、なれないっていうのは、なかなかなるのは難しいかもしれないけどっていうのはあるんだけど、もし仮になれたとしたら、じゃぁどうしたいのかって言ったらば、自分のような生き方をしないでねっていうのは、もちろん触りでは言うものの、どう転んでも何とかなるからっていうことを言いたいし、自分もそれでありたいと思ってんのかもしんない。

いろいろね、転んじゃってとんでもない方向、あさっての方向にも行っちゃったけど、結局うまいように転がるからって。

じゃそのコツはなんなんだ? って聞かれると自分を信じ続けることとか、すごくありきたりな言葉になっちゃうのであんまり言葉にしたくはないんですけど、うん。

何回やっても駄目なときはやっちゃいけない時期やタイミングっていうときだよとか。底に留まること自体が学びだったりするとかね。
それだから何もしないのかっていうと、何もしないっていうのは私は10年ぐらいやってたけれどもそうではないかと。
ちゃんともがくのは続けないといけないとかね。っていうようなことかな。なんなんだろう。

qbc:
伝えるっていうこと?

スミス:
そうですね、伝える、発信する、そういうことですよね。
理解してくれるのかなと。誰もそんな面白いと思ってくれるのかなっていうのはずっと思ってましたけどね。

qbc:
発信したときの気持ちって、どんな気持ちになると思います? 

スミス:
発信をしたときですか? 
そうね、発信をするっていうのは多分、表明。私の中では表明だと思ってて、私はこういう考えです、こう思ってますっていうことを言うことで、何らかの評価されるっていうことに
なるから、多分それをすごい恐れてたんですよ。

今までできなかった。評価される、比べられる、誰よりも下に見られる、上に見られる、そういうのを嫌がってたからなんだけど、発信というのはもうそのまま、自分の存在を表明することですと。

それに伴って、それをいいという人もいれば、何なんだこいつは? って思う人もいるだろうと。
それを両方、そりゃそうですよね、って受け入れられるかどうか。
即ち発信とは何かというと、自分の存在を表明することであって、その反応も受け入れることっていうことなのかしら? と今思いました。

スリル

qbc:
すごい乱暴な質問しますけど、人生に何点つけます? 100点満点。

スミス:
前よりはだいぶ点数上がったけどね。前だともう30点とか平気で言ってたと思うよ。
今70点、68点とかぐらいじゃない? 

qbc:
前なら何点?

スミス:
30点ぐらい。もう赤点ですよ。

スミス:
全然、希望通りじゃない! 赤点! みたいな。

qbc: 
これから何点まで上げます?

スミス:
未来はもう100点。
何なら今、120点ぐらいみたいなそんな感じを目指してますよ。うん、どうせやるならね。

そこのなんか変な思い込みとかってのは、ちょっと取れたのかなっていう気はします、今。5回ね、インタビューしていただいて、何点つけますか? って言われたときに、まだ68点、70点行くか行かないかなと。悪くはないけど満足はしてないという感じ。

じゃ何点目指しますか? 100点でしょう。
そこでそれぐらいを目指して90点いけばいい方かなとかそんな感じだからね。

qbc:
70点は普通ですよ。すごくその自分の人生を何て言うのかな、ある意味冷静に捉えていると思いますけどね。
満足するって別にいいことだと思ってないですし。

スミス:
だから何だかんだ言って、何だこのやろっ! くそ! こんなふうな目になってんだ? みたいな、もちろんあるはあるんだけど。
まぁいろいろひも解いて、お手伝いをしていただいた有能なインタビュアーであるqbcさんにいろいろ聞いていただいて思ったのは、結局それ望んでいたのは私? っていうことに結構気付かされるわけですよ。

それを本当は望んでて意識はしてなかったけど、意識下の自分というものはそれを望んでたと。となると、しょうがないよねと。
パソコンプログラムで設定されてるんだったら、それはそれで受け入れるしかないよねっていうふうに思って、70点前後ぐらいじゃないですかっていう。
だけどもちろん満足はしてないから、目指すのは100点よと。

昔の自分、ちょっと前の自分だったら90点を目指します、とか言ってたと思うのよ。
それはもう違うね。もう満点目指さないと90点行かないから。満点目指してようやく90点行くかどうかよ、きっと。だから120点よ。

qbc:
3つ選択肢があると。
人生において、スリルとハッピーと、あとはなんていうのかな、社会的成功。うまく言えないですけど。
社会的成功とハッピーとスリルって言ったら、どれ選びます? 

スミス:
ここで何人か、分裂症の私がいるね。うーん。

ちょっと前の私なら、社会的成功。もう無理みたいな感じだったんだと思うんですけど。
今はね、スリルかな? 

qbc:
今は⁉ 
ずっとスリルで選んできたんじゃないんですか? 

スミス:
本質的な部分はスリルなのよ。もちろん私の顕在意識はスリルなんて嫌だって言ってたのね。
社会的成功あるいはハッピー、どっちか。なんだけど、今思ったのは、やっぱりスリル選んでたんだね、俺はって。

これからもまたそれを選ぶの? もう勘弁してよって。
選んじゃうんだろうなと思った。
懲りないね。

qbc:
完全な冒険家ですよ。

スミス:
完全なギャンブラーでありスリラーだよ。

なんかもう実験ばっかりしてんだもん。もういいよって感じだけど。

だから、ハッピーっていうのはもちろん求めますよ。もちろん求めるんだけど、スリルとハッピーどっちがいいですかって言われたら、もうスリルなんだよね。

qbc:
長続きしないその瞬間だけの、刹那にドキドキしたの感覚? 

スミス:
だからそういうふうに思うと、よくぞ犯罪者とかにならなくてよかったねと思うもん。
結構そのスリルを追って犯罪者とかになってしまう人、多くない? 

qbc:
あぁまぁ、そうですね、そうですね。 

スミス:
結構キワキワを、もしかしたら私は生きてきたのかと。

qbc:
いやまぁそこは多分、元々社会的成功を望むっていう、そこに引っ張られるのもあったと思いますよね、

スミス:
あ~、はいはい。

qbc:
それが守ってくれた。
スリルを好む自分っていうものを、ある程度これやったらその社会的成功、完全にゼロになっちゃうじゃんっていうのは、多分選ばなかったと思うんですよね。

スミス:
うん、うん。それはあるかもしんないね。

qbc:
じゃないとそんな週末旅行にバンバン行かないですよ。

スミス:
そういうもんすかね? だって休み少ないんだもん。

qbc:
だったらこれが働いてたけど2週間まとめて休みを取ってバカンスしましたっていったらわかるんですよ。
そんなギリギリのスケジュールを組んでてやってるんですよね。こんなんする必要ないじゃないすか。ゆっくりできないし。

スミス:
次の日もなんか疲れてるんですけどみたいな。

qbc:
それは消耗してること。スリル。ギリギリを攻めてるっていうことが楽しかったんだと思うんですね。

スミス:
あ~、はいはいはい。

qbc:
手段であって旅行っていうのが。面白みもあるし、だからぐるぐるしてるし。
旅行じゃなくてもよかったんですよ。
レーサーとかだったら、もしかしたらずっとレースしてるのかもしれないし。

スミス:
しんどいかもしんないけどね。
本当にそういう意味では生死の境目をキワキワを生きてるわけじゃない? レーサーって、ドライバーって。
本質的には、やっぱそういう仕事が多分やりたかったのかもしれないね。
レーサーとかスポーツ選手とか。

qbc:
いやぁまぁ、そうですね、お仕事的でもそれに近い部分は多分あるんだけど、ちょっと狙ったのと違うなみたいのは多分あったので、そんなスリルじゃないな、みたいなのが多分あったんじゃないですかね? 

スミス:
もっとね、集中してより深いスリル、リスクを取りに行ってたわけじゃない。例えばレーサーでもいい、スポーツ選手でもいい。あと何て言うかな、ある意味スリルだよね。そういうような世界に行かなかったってのは、まずそもそもそういうのは無理ですって思ってたっていうのもあるし。体が弱かったっていうのもあるし。

もしかしたら、その体が弱かったっていうのはそういうところに行かないようにする、もし本当に体力もあって運動神経もすごく良かったら、レーサーに行ってたって思うもん。スリルを求めて。プロ野球選手なりますとかね。

ならなかったっていうのは、それじゃないんだぞと。お前はそれじゃないって、と言われたのか、なんで私こんな体悪いんですか? そうでもしとけと、寝とけと。
すごいスリルを味わわせてあげるからって言われてたのかなって一瞬思いました、今。
ほら、スリルに満ちたジェットコースターだろと。端で見てるなら良いけど主演はキツいけどね。

qbc:
でもやっぱりここまで聞いてきて、もうやっぱスミスさんなりの結論は、特に今日、落ち着いてらっしゃったのもあって、見つけた人なんだなっていうのは?

スミス:
いや、なんかそんなこと言ってる人がおじいちゃんみたいなこと言って大丈夫なのかって気がするんだけど。

qbc:
いや、全然そんなことないですよ。

スミス:
ぐるぐるするっていう言葉でね、表された子供の頃は、祖父母の家にあったラグ、楕円形のくるくる回る曼荼羅の絵をずっと見て、曼荼羅のあのお地蔵さんというのかしら、仏像の絵を手で追って、ぐるぐる目を回らしてっていうのもあったんですけど。

それをなんかね、子供の頃は遊園地のメリーゴーランドとかね、それに飽き足らずにジェットコースターに乗り、それでも飽き足らず、引っ越ししまくり。
日曜日の過ごし方として複数の場所を行ったり来たり、また戻ってきたりっていうようなこととか。

私だからね、これはインタビューに載せていただいても載せていただかなくてもどちらでもいいんですけど、用もないのに空港に行くっていう癖があって。
羽田ならばわかるじゃないすか、まだ。

何で成田に行くの? って。わざわざバスに乗ってお金かけて。
なんかあの空港が好きだから行くっていうね、暇だし、とりあえずドライブ感覚も味わえるから、とりあえず成田まで行こうとかね、自分でも理解できないって。
でも最もらしい言い訳をするんですよ。

いや、ここから成田に行くときの時間をもう調査するんだと、計測するんだと。っていう最もらしい言い訳をして。
別に成田で何をするわけでもないんですよ。ずっとあのチェックインカウンターに並んでる人たちを見たりとか、スターバックスでコーヒー飲むとか、それぐらいなんだけど。
あと涼しいしね、夏は。夏はエアコン。冬は暖房効いてるしね。バスの中もあったかいし。

なんかその変化とかその回転、回転率のいい自分っていうのが、回転率っていうのを求めてるのかもしれませんね。なんて言う、難しいですね。

例えば経営をしているときに、在庫の回転率とかっていう言葉があると思うんですけど。
在庫を何日で消費しますかみたいな。売り上げで在庫を割るんだけど。
それと同じで、自分自身の場面が何回、一日の中で変わるんですかっていうのを結構求めてるとこがあるかもしれない。。

芝居、演劇とかでね、舞台がガラガラガラと回転舞台みたいなので場面を設定を変えるっていうのがあると思うんですけど。
自分で旅行しまくるとか、その一日東京の街中を転々とするとかっていうのも、引っ越しもちろんそうですね。やっぱその回転をするっていうのが、多分普通の人よりも求めている。それがもしかしたら、スリルの一つなのかもしれませんね。

qbc:
ありがとうございます。最後に残したことは? っていうので、読んでいる人へのメッセージでもいいし、インタビュー終わっての独り言でもいいし、遺言でもいいです。はい。
最後に残したことがあればお伺いしております。

スミス:
まずこういう洗いざらいお話を聞いてくださるっていうのがあって、非常にありがたいと思ってます。

もう一つ、それを通じて私の発見は非常に多かったです。
こんなこと考えてたの? って。深層心理はこういうことを考えてたのかとかね、考えさせられる、気付かれることいっぱいありました。

最後に一つとしては、これを皆さん聞かれてどうお思いでしょうかと。
こんな変な人でも生きてますから、自分が変かもしんない、変わってるかもしんないっていう思いを持ってらっしゃる特に若い方でね、いらっしゃると思うんですけど、全く気にする必要ないと思います。

これでも一応普通に50年弱、50年生きておりますので。
存分に偏差度合いというのは、バンバン出していきましょう。

これからは多分それが認められるし、むしろそれが望ましいとされる時代に変わるので、私はちょっとその過渡期に生きた人間ですけど、これを聞いてる、これを見ていらっしゃる若い方が仮にいらっしゃるのであれば、もうあなたたちの時代です。
臆面もなく変なら変でいいじゃないですかと、そういう時代になってますので、安心して変な自分を出してください。

以上です。

qbc:
ありがとうございます。

スミス:
ありがとうございました。

終わりに

最後の5回目のインタビューは、スミスさんが落ち着いていらっしゃったので意外だった。
約2か月、こうしてインタビューしてきて、こうも変わってしまうのだから、実際問題、人間とはなんなんだろうね。
おそらく、名前というもので縛ってあげないと、何かよくわからない、不定形の、あやうい生きものなんだろうな。なんか、人間って厄介よね。他のどの生き物よりも群を抜いて。
だから、面白みもあるんだけれど。

今回のスミスさんは、そういう意味で、住所という形での社会を生きる上での「名前」を、ひとつに絞れない人だった。転々とする。それは、きっと子供の頃からの特性だったと思うんだよね。それが運命というのなら運命でしょう。

名づけるならこう。
ぐるぐる回っている人。

これがどうかこじつけではありませんように、神様。

20240611 12:03 三軒茶屋 qbc

裏無名人インタビューのご応募はこちらから。

#裏無名人インタビュー #無名人インタビュー #インタビュー #人生 #コミュニケーション #失敗 #引っ越し

いただいたサポートは無名人インタビューの活動に使用します!!