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やれるだけやってみてあかんかったらもうバイトでもすりゃいいやって思ってフリーランスになった人

私も最近フリーランスになったんですよね。
フリーランスかっこいいみたいな雰囲気ありましたよね。
まあ会社に行かなくていいから楽とか。領収書切れるからいいとか。
まあ起業したほうがお金はまわりますよね。
金か。お金か。結局金か。
いや時間だ。おお時間。まさか。時間。思わぬ。時間が。自由になるのだ。
あるとても晴れた気持ちのいい朝に、自然の中にとけこめないのだなんて、それってどうして生きてるの?
それって生きてる意味あるの?
つて。
世界各国のリゾート地でホテルバイトしてた人が沖縄に住んでて。その人にインタビュー申し込んでたんだけど、その人、ごめんって、どたんばでリスケのお願いしてきて、その理由がめちゃ晴れてて海行かなきゃいけないんだ、ってことで。
もうさあ、いやさあ、その通りだよ。
私たちは自然を満喫しながら時間を自由にするために生まれて、生きてるんだ!!!!!
なあ静岡!!!!!
というわけで、今日も無名人インタビュー出航~!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは ぐり さんです!


現在:フリーの採用代行をしながら、推し活に勤しんでいる

ナカザワ:ぐりさんは何をしてる方ですか?

ぐり:今はフリーランスで、採用代行の仕事をやってるんですね。企業の人事部とかに代わって、採用の支援をまるっと支援するっていう感じで。求人票も起こすし、候補者にスカウト打ったりもして。これまでは会社員としてやってたんですけど、7月1日付でちゃんと人材紹介業の許可も取って、独立したっていう感じですね。

ナカザワ:フリーランスになったのは、最近なんですか?

ぐり:今のお客さんとは今年の2月ぐらいから仕事してるんですけど、独立したのは7月ですね。
フリーランスで「リクルーター」って言われる、採用の仕事をしてる人めっちゃいるんですけど、人材紹介業のライセンスを取っていない人がすごい多いんですよ。これってコンプラ違反なんですけど・・。
私はお客さんにご迷惑をかけたくなかったんで、ちゃんとライセンスが取れてから業務委託契約を結びたいっていうのを伝えて、「ライセンスが取れるまでは契約社員って形でやるのはどうですか?」って提案して契約社員の形で就業していました。
晴れて7月にライセンスが取れたんで業務委託契約を結んだって感じですね。
なので本当に1人でやってるっていうのは2月ぐらいからですね。
雇用契約上、契約社員にはしてもらってましたけど就業規則とかそういうの一切当てはまらないっていう。

ナカザワ:2月から契約社員として入って、今はフリーランスとして同じ会社と契約を結んでいるんですか?

ぐり:そうですね。

ナカザワ:採用代行のフリーランスの方って基本的にクライアントさんってひとつなんですか?

ぐり:何社も掛け持ちしてる人とかいますね。採用の中でもいろいろ形態があって、私は候補者を探すだけではなく年収の交渉も候補者・企業の両方と掛け合ったりとか。採用プロセスを上流から下流まで、全部やってるんです。交渉とかはしないで人を探すだけの人とか、決められたスカウトメッセージを送信するだけの人とか、いろいろいるんですよ。
私は採用コンサルタントとして入ってるんで年収とかもこのぐらいにした方がいいとかいうのも企業に提言するし、求人票もこういう見せ方の方がいいとか割と深めにやってますね。

ナカザワ:人事部が、アウトソーシングされてるだけみたいな?

ぐり:そうですね。RPO(リクルートメント・プロセス・アウトソーシング)って呼ばれる、人事の中でも採用業務のアウトソースです。

ナカザワ:なるほど。お仕事、今もそういったものは平日働いてるって感じですかね?

ぐり:平日週4日だけ稼働しています。

ナカザワ:お仕事以外の時間は何をされてるんですか?

ぐり:推し活が最近のライフスタイルのメインになってるっていうのと、2021年に念願叶って、ずっと東京で働いてたんですけど、静岡県の方に移住したんですよ。
そうすると、外を歩いてるだけで気持ちがいいのでその辺を散歩して、カフェ行って、家帰ってくるみたいな感じですかね。本当にゆっくり過ごしてる。引っ越して1年、2年は夏だったらSUPに行ったりとかしてたんですけど。今年はそういう感じがないんでゆっくり過ごして、近所のカフェに行って戻ってきて推し活して、そんな感じですね。

ナカザワ:SUPって、あの、ボードに立って乗る。

ぐり:そうです、サーフボードの上に乗って。

ナカザワ:今年はなんでやってないんですか?何となくっておっしゃってましたが。

ぐり:今年の夏はアクティブに、あっちこっち行ってみたいな感じじゃなくて。暑い、面倒くさいっていうのが勝ってるっていうのもあるんですけど、アクティブに過ごそうみたいな感じじゃないんですよね。もうちょっとゆっくり、静かにっていう気持ちの方が勝ってるっていうか。

ナカザワ:差し支えなければなんですけど、静岡のどの辺りに今住んでらっしゃるんですか?

ぐり:静岡東部ですね。風の抜けもいいので。昼間でもエアコンつけてないぐらいです。暑いのは暑いんですけど、窓を全部開けとくと風が通っていくんで、それで十分、みたいなね。本当にどっか出かけなくても、ベランダで風ブワーって浴びてるだけでなんかいろんなものが抜けていって気持ちいいっていう感じ。

ナカザワ:あとちょっと話戻るんですけど、推し活はいつから始めたんですか?

ぐり:2020年の11月なんですよ。岩田剛典さんっているじゃないですか。「がんちゃん」さん。2020年ってコロナで外出自粛になったじゃないですか。その時、やることがなくって。当時は家にテレビも置いてなかったんで、携帯でTVerをよく観てたんですよ。
そのとき「Dear sister」を全部放送してくれて、何気なく見たんですね。
そしたらめちゃめちゃかわいいらしい子がいて、「何このかわいい子は!!」と思って。
それががんちゃんでした。
そのあと岩田剛典さんと3代目J Soul Brothersの登坂広臣さんが2人でインスタライブしてる動画を観たのをきっかけに登坂広臣さんにドハマりしちゃって。
人生で初めてファンクラブ入って、初めて日本人のCD買って、初めてドームツアーに行くとかそんな生活を3年やってます。

ナカザワ:日本人のCD買ったことなかったんですか。

ぐり:なかったですね。たまたまなんですけど。その前に日本人のCDを買ったといえば、 Winkのテープを買ったくらいっていう。

ナカザワ:Wink以来の日本人アーティストですか。

ぐり:レンタルとかは今までしてたけど、買ったのは本当、Wink以来。
Winkと男闘呼組以来ですね。世代大丈夫ですかね?

ナカザワ:大丈夫です、わかります。今の推しのメインは登坂さんですか?

ぐり:そうですね。

ナカザワ:推し活ではどういう時間の使い方をするんですか?

ぐり:Twitter上にファンアートっていう絵を描く人たちがいらっしゃるので、その人たちのイラストを見てめっちゃ幸せなのと、あとはイベントとかメディアに出れば見るし、3代目って多分2010年か2011年デビューしてるんですけど、その頃のことを知らないので、YouTubeで動画を漁ってみたりとか、その頃にやってたラジオを聞いてみたりとか。本当に登坂づくしって感じですね。仕事が終わった19時から22時ぐらいは登坂づくしの時間を過ごしてます。

ナカザワ:仕事以外では推し活のウェイトが大きいですかね?

ぐり:大きいですね。ライブがあればライブに行くし。遠征にも行きますね。

ナカザワ:今仕事をやったり、自然の中でだったり色々やってると思うんですけど、個人的に今一番楽しいのってどの時間ですか。

ぐり:今一番楽しいのは、慌てなくてよくなったことです。生活リズムが。結構午後12時に起きたりすることもあるんですけど。今朝とかも10時に起きて、ゆっくり準備が整ったら、仕事始めるかみたいな感じで。
10時に起きて洗濯物とかするんですけど、ゆっくりするわけですよ。
のんびりアイスコーヒー飲んだりとか、読書したりとか。朝起きて仕事に取りかかるまでのこの時間が、結構幸せっていうか。慌てなくていい生活みたいな。やることやってればいいし、1日6時間・週4日仕事をすればいいので。例えば14時から始めたら20時までやればいいし。その時間がすごく幸せかなって。
楽しいとはちょっと違うかもしれないんですけど。穏やかだなと思って、好きですね。

ナカザワ:慌てなくてよくなったのはいつの変化ですか。

ぐり:今のお客さんとお仕事をさせてもらうようになってから・・っていうか、会社員を辞めてからかなっていう感じですね。

ナカザワ:東京で会社員をしていたんですか。

ぐり:そうですね。静岡には会社員時代に移住してきたんですけど、元々は東京で人材紹介会社のコンサルタントをしていたんですね。
客先に常駐して採用代行をするトップリクルーターだったんです。めちゃめちゃ利益上げて成果も出してて。
そんな中、世の中はコロナで、お客さんのオフィスも縮小して全員リモートになったので、自分の会社に「リモートでできるから移住させてくれ」って言ったんですけど、させてくれなかったんですよ。「本社のある六本木に通える範囲にしろ」とか言って。
移住させてくれないならやめようかなと思ってたときに、お客さんとうちの会社との契約更新の時期が近づいてたんです。

そもそもこの案件がお客さんが私を指名してくれていた、私ありきのプロジェクトだったので、お客さんに「すいません、契約の話がうちの会社から来たらちょっと保留にしといてください。私辞めるかもしれないので」って言ったら「どうしたの?じゃあうち来たらいいじゃん」って言ってくれて、それで転籍したんですよね。喜びながら静岡に引っ越したんですけど、約半年でリストラに遭っちゃったんですよ。採用凍結で。
それで、次にA社(GAFAと言われる外資系IT企業)に入ったんですけど、ロボットのように決められたことに追われるみたいな感じでした。マイペースに仕事できないとちょっとつらいんですよね。

だから、「現場に迷惑かかる前にやめさせてください」って2か月で出てきたんですよ。そのときは友達に「私山奥行って死ぬかもしれん」ってくらい病んでました。
自分の意思とは関係なく、どんどんミーティングが入れられるし、そのミーティングもやってる意味をそんなに感じないものだったんですよ。
これって自動化できるんじゃないのとか、会議に毎回入る必要もなく、録画でいいんじゃないのとか、いろいろ提言したんですけど、組織が大きすぎて変えられない。君だけのためにそれを認めることはできないと言われて。
変えるにしても、全世界で適用されているルールやから変えるのは大変、みたいな。こんなちっちゃいことも変えられへんの、と思って出てきたんですよね。これはここにいたら私の良さが死ぬな、と思って。
そういうのがあったんで、自分のリズムで仕事ができることがすごい幸せだなって。A社を辞めたのが去年の10月末とかだったんで、そこからのんびりニート生活を送ってました。その時期は心の中で焦りがあって、ゆったり感を今ほど満喫した感じはないんですけど、今やっとちょうどいい感じですね。

ナカザワ:契約更新からリストラに遭い、A社もやめて今。1年ぐらいで結構環境変わってますね。

ぐり:そうですね。

ナカザワ:なんでA社に行ったんですか?

ぐり:リストラにあった会社が界隈で結構有名な会社だったんですよね。データ領域のITの企業からしたらこの名前言ったら、「あ〜!」みたいな。
この会社でやってたっていう知名度を活かして、1回ちょっとでかいとこ入ろうかなってっていうのと、ちっちゃいところって採用凍結しがちで、そうなると私達リクルーターって首切られるんですよ。大手だったら、ある部門の採用は止めても他の事業部が採用してるとかあるので、大きいとこ受けてたんですよね。
案の定、結構いい給与で何社かお声がけいただいた中で、A社が最も自由と裁量の大きさを謳ってたんで入ったんです。あと単純に一番年収も高かったので。

過去:皆が芋掘りしてる中ダンゴムシを収集するような子。今も変わらないかも。

ナカザワ:小さい頃ってどんなお子さんでしたか。どんな思い出がありますか。

ぐり:親からよく言われたのは「感受性が強い」っていう。没頭すると没頭するみたいな。あと、歌ったり踊ったりするのがすごく好きでした。
あと、自覚はないんですけど、結構大人がグサッてくるようなことをスパって言ってた感じなんで、何で怒られてるかわからんっていう感覚が結構ありますね。

ナカザワ:何て言ったんですか。

ぐり:幼稚園のお遊戯の時間にカスタネットやりましょうみたいなので、カスタネットを持ってない人は手でやりましょうって。だから「手痛くなるやん」って言ったら怒られたとか(笑)
あと「屁理屈言うな」みたいなのはなんかお父さんからよく言われて。
私にとって屁理屈じゃなくて事実なんですけど、って思うことが結構あったんですよね。
小学校、中学校とか。うちの親って、ちょっと母親が特にちょっと変な、いわゆる毒親って言うのかな、あんまりよろしくなくて。「親は尊敬して当たり前やろ」みたいなことを言うんですよ。私が中学に上がったぐらいだと思うんですけど。
「親やからとかいう前に、人として尊敬できるかどうかじゃないの」とか言っちゃうんですよね、それが気に入らなかったみたいです。

だから結構母親からは、悪魔の子とか鬼とか言われてた時がありましたね。それなりに(私は)外では人気者だったと思うんですけどね。あと転校がめちゃくちゃ多かった。

保育園に通ってた頃の話をすれば、ちょっとしたことですごい泣くとか「嫌や!」ってなる。誕生日に先生が作ってくれた写真入りプレートにも「ぐりちゃんはすごい泣き虫で、ちょっと友達の手が当たっただけでも泣いていました。」とか書いてあったし。
あと、母親と先生がやりとりしてる連絡帳が見つかって、自分で読んでても悲しくなったんですけど、給食を自分で運んでるときに、誰かがぶつかっちゃって。私が持ってたものがこぼれちゃって。先生が「大丈夫?」って声かけたら、「私がやったんじゃないもん!」って泣きながら廊下に出入ったらしいです(笑)先生いわく「自分で拭いているうちにすごく悲しくなったんだと思います」って。だから、なんかすごい泣く子やったんやって思って。

ナカザワ:ご自身で(連絡帳を)読んだんですか?

ぐり:そうです、ノートがとってあって。30代になって見つけたんですよね。それで「大変な子じゃん」みたいな。あとは母親から聞いた話では、保育園で芋掘りに行ったときに、みんな芋掘ってんのに、私だけずっとダンゴムシ収集したり。

ナカザワ:学生時代になってからそのあたりで変わったんですか?小学生中学生とかって。

ぐり:私やっぱりマイペースっていうか、人と合わせるのが苦手かなって。
大きいパニックを起こしたりとかはないですし、友達は普通にいるんですよ。楽しく遊ぶんですけど・・。小学校を4回ぐらい転校してるんですけど、三重県のとある小学校に行ったとき、そこは、集団行動させる学校だったんですね。上級生が班長になるんですけど、自分が6年生だったときに、うちの地区に私しか6年生がいなくて。だから勝手に班長にされるわけですよね。
でも時間通りに行けないんですよね。時間通りに行けへんし、やりたくもないし、時間に合わせようという気もなくて。逆になんやったら、時間をずらすために遅れてたみたいな感じもあって。
それで集会のときに、「うちの班だけ班長がきません」みたいに下級生に槍玉にあげられたり。でも私はみんなが去った後に1人でのんびり登校するのがすごく楽しかったんですよね。ちっちゃいときに、ダンゴムシを1人で収集してたみたいなのは今も残ってる。

ナカザワ:小学生とか結構想像つくんですけど、中学生、高校生とかっていうふうになっていくにあたっても、そういうところはあったんですか。

ぐり:そうですね。だから本当に中学のときはつらかったですね。学校に遅れるわけにもいかないし、簡単に休ませてくれる家庭でもなかったんで。結構中学の時って女子のことめっちゃ嫌いだったんですよね。
小学校のときもあったんですけど、なんかちっちゃい紙が回ってきて開いたら「あの子のことを無視しよう」みたいなのが書いてある。いるじゃないですか、そういうことする女。

私はその「無視しよう」って言われてる子の方が好きで、紙を回してきてる子の方が嫌いだったんですね。
だからみんながメモに従って、ある子を無視してる中で、私はそんなメモ書きガン無視して、「無視しよう」って言われてる子の方と仲良くしてたんですよ。
中学に上がったら本当にさらになんかくだらん女がめっちゃ多くて。
その場にいない女の子の悪口を言うとか。ゴシップめいたことだったりとか。そういうことばっかり話す女の子がすごい多かったんで、くだらんなと思って。

先生に対しても「先生ぶっとるけど、言っとることが一つもピンとこない」みたいな。
だから、あんまり行きたくなかったんですよね、学校。でも、行かないわけにいかなかったので本当につらくて。
中学1年生2年生は本当に「The・女子」の私の嫌いなタイプの女子が多いクラスだったんですよね。3年生のときはちょっと良くて。クラスのみんなが仲良かったのと、男の子とすごい仲良くなって、休み時間一緒にサッカーしたりとかしてたんですごい気が楽で。
中3だけはちょっとまだいい思い出があるという。

本当につらくて、でも親に言ってもね。
今でこそHSPとかいろんな言葉があるからまだ理解してもらえるけど、その頃そういう言葉ないじゃないですか。だから「ただ甘えてる」みたいな。お腹痛くても、学校行かされる。
行き場がなくて。自転車で20分か30分かかる、ちょっと小高い山を越えた、地域で有名な寺社があるんですね。そこまで行ってお参りして帰ってくるとか。
友達いるんですけど表面上で、なんかあんまりピンとこーへんなって。

ナカザワ:高校生とか大学生とかも、そんな感じだったんですか。

ぐり:高校は天国でした。地区の中でトップの学校があって、私服だったんですね。
中1のときから結構憧れてて、私服は自由なイメージがあるから、そこに行くことを本当に目標にして過ごしてたんですね。中学はそこに入るために我慢しているみたいな感じでした。
目標にしてた高校に入ったら、「世の中にはこんなに可愛くて頭も良くて性格も良い女の子たちがおるんや!」って。みんな仲良くて、学年超えても仲良いし、いじめもないし。
この前、先輩と20年ぶりぐらいに会ってお茶したんですけど、先輩も同じこと言ってて。「ここの高校入ったらさ、頭良くてかわいい子いっぱいおるんやと思わなかった?」って言われて、「思いました!」みたいな。

そこって、T高校とW高校という二つの高校からなってて。受験して合格発表があるまで、どっちに振り分けられるかわかんないんですよ。山の上のW高校の方が当たったんですけど、当時設立まだ20年ぐらいだったんで、わりと明るいっていうか。
T高校の方は創立120周年なんて伝統と重厚感がある、みたいな。
W高校の方がちょっとポップな雰囲気があって。すごい自由にやらせてくれるし先生も面白いっていう意味で変わった人が多かったし。
高校は初めて学生時代を謳歌したっていうか。演劇部もダンス部も応援団もチアガールもやって。数学は0点でしたけど、勉強以外のことがすごい楽しくて、0点とかどうでもよかった(笑)苦手な数学は捨てて国語に全振りしてましたね。

大学は可もなく不可もなくっていう感じでしたね。でも頭のレベルとかが一緒の人らが集まってきてて、そうすると、知性とか家庭環境とか似てる子が多いから、嫌なこともなかったですね。高校も大学も。

高校と大学はめちゃめちゃ良かったですね。大学なんて自由じゃないですか。気分がのらんときは休んだりとか。大学のときも1人だけダンゴムシを探してたようなのはやっぱりありました。
すごい天気いいし今日は授業に行く気がしないな、と思って、近所の博物館が併設された公園に行ったんですね。野原があるんですけど。そしたらなんか小学生が遠足にきてて絡んできたんですよ。そこから木の実をぶつけあう鬼ごっこが始まって、背中に草ついたまんま、次の授業に戻るみたいな。

ナカザワ:ちょっと話が飛ぶんですけど、なんで人材関係の仕事に就いたんですか。

ぐり:国文学科を出たので。国語の先生になろうかなとか日本語教師になろうかな、と思ってたんですね。でも、日本語教師になるためのゼミの先生が脳卒中で倒れてゼミがなくなって。
でも、やっぱり言葉を使うのが好きやなと思ったんで、コピーライターみたいなのができるところに入ろうと思って印刷会社に入りました。
営業をやりながら、チラシとか販促物のコピーライティングをやってんですけど、その会社の労働環境がすごく悪くて倒れる人が続出してて。それで、だんだんと労働環境を直す側に行きたい、と思うようになって。
そんな時、たまたま人事総務に欠員が出たので、総務部に異動させてもらったんですね。それが2004年やったかな。そこからずっと人事総務っていうことをやり続けてて。

企業人事としてずっと、労務とか採用とか研修に携わってて。そんな中、2016年に適応障害で1年間くらい休職することがあったんですよ。それで復職するときに、やりたいことは何かなと考えたときに、人事の中でも、採用が好きやったなと思って。

その会社も人事として入社してたんですけど、休職した頃は、人事から購買部門に異動してたんですね。外資系の日本法人で購買部門の立ち上げとかをやってたんです。復職するときに、「購買部門の環境は変わってないから戻ってきても多分また、悪くする」って言われて、そうなんやと思って。
それで転職しようかなと思ったときに何が好きかなっていうのをちゃんと洗い直して、人事の中でも労務とか好きじゃなかった。労務管理とかやりながら「みんな大人なんやから、自分で管理して勝手に有給取れよ」と思ってたし。
あとやっぱり人を切る話もしなきゃいけなかったんですよね。それで人事の仕事ももう、ちょっと嫌やなと思って。
でも採用だけはめちゃめちゃ好きやった。だから採用だけできる仕事っていうのを探して。そしたら人材会社のRPO(採用代行)部門っていうのを見つけたんですね。
コンサルタントとして働いたことはなかったけど、やり始めたら、元々キャッチコピー書いたりしてたのと、人事での採用経験と購買部門の立ち上げをやってたプロジェクト・リードの経験がかけ合わさってすごい成果が出て。

ナカザワ:人事の中でも採用が好きなのってなんでですか?人を切らなくていいっていうのがあると思うんですけど。

ぐり:ダイレクトソーシングって言って、例えばビズリーチ使って候補者をスカウトする時があるんですね。そういう時に、候補者に刺さるスカウト文面を考えたりとか、求人票でもマーケティングの考え方と同じで、ターゲット候補に刺さる言葉で投げかけないと、表現悪いですけど釣れないんですよね。それを考えるのがすごく楽しかった。
あとは、人事で採用をやっていた時に、私が採用に関わった人たちから「ぐりさんがいるからここに入るって決めた」って言ってもらえたんですよね。それがすごく嬉しくて。
一番楽しかったのは、やっぱり言葉を使って人を惹きつけるっていうのが、面白かったっていうのはありますね。

未来:いろんな生き方があるって若者に伝えていきたい

ナカザワ:今後の話をちょっとさせていただきたくて。ぐりさんは、今後の自分の5年後、10年後とか死ぬときとか、どういう自分でいるイメージが今ありますか。

ぐり:今よりもっともっと自由になりたいなっていうのが、ありますね。
今は採用の仕事でご飯食べてますけど、コンサルにこだわらないし、もっと面白いものが出てきたら、あっさり捨てられる感じなんですよね。
面白いと思う仕事をしていて、それでお金をもらって生きていきたいって思ってて。
目下は、書いて喋れるエッセイストが目指す姿ですね。

そもそも兵庫県から三重に引っ越してきたんですけど、三重県の片田舎では多様な生き方をしてる人がいないし、はみ出し者ってすごい嫌われるんですよ。
母親なんて引っ越してきた時に、面と向かって「どこの馬の骨や」って言われたらしいし、地元の銀行に就職した女友達の実話なんですけど、「女じゃ話にならんから、男の人出して」って平気で言われたりするんですよ。21世紀やのに。まぁ、そういう土地柄なんですよね。

そんな中で、めっちゃはみ出てたんで、悪目立ちするし、叩かれるし理解されないし、すごいつらかったんですよね。
だから、私は「もっと自由な生き方があるし、この世の中いろんな仕事があるよ」ってことを後輩たちに伝えていきたいなって思うんですよ。

やっぱり自分がいろんな生き方を知らなかったために、とても苦しかったので。中学生のときとか。自分が中学生のときに知ってたらもっと楽に生きれたと思うんですよね。
だからそういうのを伝えていける人になりたい。

例えば60歳ぐらいになってどっかの大学で多様な生き方やそれを応援するようなことを教えるとかも良いし。
「可能性ってめっちゃあるよ」ってことを伝えていける大人になりたいって思ってますね。それができれば、形はどんなでもいいかなとは思ってますね。

中1になった姪っ子がいるんですけど、三重県南部のちっちゃい町に住んでるんですよ。
妹夫婦の子供なんですけど。妹夫婦も三重県から出たことないんですね。
旦那の方は「女の子だから大学に行かなくていい」とか姪にずっと言ってるし。
妹は妹で、大学は出たんですけど、事務員して結婚してパートのレジやってる、みたいな人なんですよね。姪っ子の周りってそういう女性しかいないんです。
だから私に「なんで結婚しないの」「ぐりちゃんは子供がいない」とかって言ってきたりするんですよ。
周りが、結婚して・子供産んで・主婦して・仕事はパート、みたいな女性しかいないから、そういう発想になるんですよね。東京の子やったら多分こんなの疑問に思わない、生き方の1つくらいにしか思わないと思うんですけどね。

今年の春、帰省して、姪っ子を含め、うちの父親と妹とお茶してたんですけど、まだ本当に限られた生き方しか知らない中で、「将来は看護師になれ」とか言われてるわけですよ。
なんか、かわいそうやなと思って。

だから姪っ子に「まずは世の中にはもっといろんな職業とか仕事があるっていうのを知ることから始めた方がいいね。あまりにも小さいコミュニティで生きてるから」って言ったんですよね。
そしたら妹が「狭いコミュニティって、まだ中学生やし(苦笑)」とか言うから、
「いやいや結婚して子供産んでパートになるような人しかいないコミュニティにいるから」って言ったら、「ハッ!」っとなってて。
もちろんその生き方が悪いんじゃなくて、もっと他の生き方があることを少なくとも姪や若い人には知ってほしいし、彼らには知る権利があると思ってるんですよね。

自由な生き方を知ってたら、結婚できなかろうが離婚しようが子供が授からなかろうが苦しむことってそんなにないと思うんですよね。今の姪っ子だと、他の行き方を知らないから、テンプレートに当てはまらなかった時に、とすごい苦しい気持ちになるやろなと思ったんで、もっと広い世界を先に知った方がいいんじゃない、みたいな。

ナカザワ:そういうことを伝えたいっていうのはいつから思ったんですか。

ぐり:40代になって広くものを見れるようになったっていうのと、勤めてた人材紹介会社に韓国人とか中国人の同僚がいて、その子たちって、生きるってことをめちゃめちゃ謳歌してるんですよね。一方で、日本人の女の子達がすごく生きづらそうにしてて。
みんなと同じじゃないことで悩んだりしてる。
みんなと一緒じゃなくて、いいんじゃないのって思ったんで、そういうのを勇気づけたいなって思うようになりました。

ナカザワ:自由っていうワードが出てきてるんですけど、ぐりさんにとっての自由って、どういうものですか。

ぐり:時間と場所に縛られない、言いたいことを言える、話したい言葉を話して、会いたい人に会って、歌いたい歌を歌って、住みたい場所に住む。これが私にとっての自由ですね。なんぼ給料が良くても言いたいことも言えない世の中やったらポイズンだし。
私が子供いなくても、結婚してなくても幸せなのは、自分の人生のプライオリティを知ってるからなんです。自由でいることが私の人生の最優先事項だから。だから子供がいなくても平気だし、結婚しなきゃっていう焦りもないし。
人生の優先順位を知ってると悩むことが減るっていうか。
私は結婚することとか子供を産むことを優先してないから選択してないんですけど、それが見えてない人だと、「子供産まなきゃ!結婚をしなき!」「でも私にはどっちもない。なぜ?なぜ?」って苦しくなるんだろうなと思います。

*この辺の話はぐりさんのこちらの記事をご覧ください。
「優先順位を整理するだけ。|人生をイージーモードに変えるコツ。

ナカザワ:言い方悪いかもしれないんですけど、過去の話を聞いていて、ぐりさん自身は、縛られる前に自由に生きてた感じって思ったんですよ。1人でダンゴムシの方に行ったりとか、いじめをしようって言われたけどしないとか。既にそのとき自由だったんじゃないかなって思うんですけど、その中で苦しみはやっぱりあったんでしょうか?

ぐり:(縛られる前に自由に生きてたに対して)たしかに!そうですね!
でもやっぱり苦しみはありましたね。

社会人になって仕事を始めても、言いたいことを言っても聞いてもらえないとか、生意気とかって言われるじゃないですか。特に若かったり、まして、女性だと。
私の方が正論だったとしても生徒が先生に物申すと、「生意気。言うこと聞かん子」ってなるじゃないですか。それは親も然りで。
でも、私は「それっておかしくないですかとか」言うタイプやったんで、大人に理解されないところはありましたね。
そのせいかどうかわかんないですけど、12年間でリストラに3回遭ってるんですね(笑)
その度に年収100万以上あがって転職できてるんでいいんですけど。

40代になってからは、言いやすくなったっていうか。率直な意見を言っても、それが貫禄として説得力がより増して聞いてもらえるようになったので。
でも若い時はいくら正しいことを言っていても、受け入れられないし、ボコボコにされるんで。だから自分では、悪いことしてる自覚がないのにめっちゃ怒られてる、って納得いかない感じはありましたね。

ナカザワ:そこからぐりさんが自由に生きようと思ったきっかけってなんだったんですか?

ぐり:28歳の頃に、1回結婚したことがあるんですけど、その頃は今ほど自分ってものがなかったので、親が焦らしてくるままに、「あー結婚しなきゃ」って焦って結婚したんですよね。2年で別れたんですけど。離婚した時、私は名前も1回なくして住む場所もなくして、仕事もなくしたんですよね。

離婚後、しょうがないから一回、実家に身を寄せてたんですけど、そうなっても親は1円も支援してくれなかったんですよ。そんな状態でも家にお金を入れろって言われたし、扶養も入れてくれなかったんで、自分で国民健康保険も払ってたんです。それで「あー。この人達は口は出してくるけど、何かあっても全然何もしてくれへんし、この人らの言う通り何かをしても、結局、責任をとるのは自分なんや」って思ったんです。
だからもう一切、私の生き方に口を挟まないでくださいって宣言したんですね。
30歳ぐらいのときかな。それからやっといわゆる自分軸っていうか、人の意見に流されて動くんじゃなくて、自分がどうしたいと思ってるかを軸にして考えるようになりましたね。
最初は、本当に小さなことから。例えば、人に流されて合わせてランチに行くんじゃなくて、自分ランチタイムをどう過ごしたいかとか、そういうちっちゃいところから積み重ねていって、「どう生きたいか・何をしたいか・何をしたくないか」っていう風にどんどんやっていって今に至るって感じですね。

ナカザワ:1回言われた通りにしてみたみたいな経験はマイナスだったかもしれないけど、結構大きいところなんでしょうかね。

ぐり:そうですね。1回結婚したのは大きかったなと思います。
結婚してみて思ったのが、家に置くゴミ箱をどういうのにするかさえ自分で決めれへんのやって思ったんですよ。
あと、離婚後、ずっと谷底を歩いてるような気持ちがあったんですよね。
仕事いつ決まるんかな、いつ実家出れるんかなって。
母親からは「この出戻りが!」みたいな心無い言葉を浴びせられるし。
早く出たいけど、仕事も決まらないから出られないし・・とか。
なんで私は普通の人ができることが普通にできないんだろう、って涙を流すこともあったんですよ。

でもその時、普通じゃないのに普通に合わせて生きようとしてたことに気づいて。
そっから「あ!私普通じゃないんや!だから普通の生き方に合わせなくっていいんや!」って、なんかスコーンって腑に落ちて。
それがわかってから、周りが私の生き方に色々言ってきても気にならなくなって。人が入ってくることより、自分の感覚の方が多分正解やし、人に合わせられないし、って。そっからめちゃめちゃ人生好転していった感じはありますね。

ナカザワ:その気づきから今何年目ぐらいですか。

ぐり:その時が32歳だから、今で12年ぐらいですかね。

ナカザワ:10年間でそれだけ変わる。

ぐり:そうですね。いろんな経験してきて。リストラ・離婚・手術とかトラブルって言われるもんは一応、全部経験したかな。でも、今44歳ですけど「なんやかんやあっても、44歳まで生きてきたから、もう大丈夫ちゃう?結構、運強いんちゃう?」って思って(笑)。
だから、やれるだけやってみて、あかんかったらバイトでもすりゃいいやって思って、それでフリーランスに踏み切ったっていうのがあるんです。

ナカザワ:それで今に繋がったんですね。自由そうだなって思ったんですけどそうでもなかったときも。

ぐり:ありましたね。こんな言い方悪いですけどコロナ様々みたいなとこありますね、私にとっては。働く場所も時間も自由になったんで。

ナカザワ:他になにか話したいことはありますか。

ぐり:静岡東部は東京が近いし、海・山・川があって自然が最高っていうので、移ってきたんですけど。住んでみたら、田舎にありがちな変な干渉とかもないんですよ。
あと一回都会に出たけど、戻ってきてこの町のために仕事してる人とか、それこそ大阪・東京から移住してきた人もいて、なんていうか、自分らしく生きようとしている人が多い。
地元の人に「外から来た人に対して、閉鎖的じゃなくてオープンな人が多いね」っていったら、「ここは気候がいいからオープンな人が多いんじゃない?」って言ってました。

静岡はいいですよ、ライターさんとかマーケターさんも結構移住してきてますよ。

ナカザワ:静岡の株が上がりました。ありがとうございました。

あとがき

私は新潟県の山間部で生まれ育ち、大学入学を機に、地元から逃げ出すように大人になりました。
東京に住んで5年が経ち、東京に一生住み続けるのも想像できないなと今は思っていますが、それも外に出たからこそわかったこと。

地元を出て、広い世界でいろんな生き方に出会ったことで、
日本の、特に地方に生まれた女性はたくさんの呪いを背負っているのかもしれないと気づきました。
女であることで課せられるあれこれ、私にはちょっと邪魔くさいな、と。

男性特有の呪いがあることはもちろん知ってますけど、あえていうならば、男性基準で営まれてきた世界における、統治者ならざる者(女)の苦しみって、結構しつこいものです。
それが呪いだと気づくかどうかにかかわらず、ライフステージに応じてしつこく付きまとってくる。

東京には呪いから逃れてきた人も多いなと思う一方、逃れ先が東京だけになってしまっているいびつさが、昨今問題視される、地方からの女性流出につながっているのかもしれません。

とはいえ東京は東京で、呪いから逃れてきた人はこう生きねば、みたいな解毒の副作用も感じますし、ありたいようにあるというのはなかなか難しいものです。

【インタビュー・あとがき:ナカザワ】

【編集:クイナ】

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