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人に励まされることが嫌いな話


落ち込んだ時、うまくいかない時、理想の自分に追いつけない時
優しい言葉をかけてくれる人がいる。
励ましてくれる人がいる。
自分の間違いを指摘してくれる人がいる。
考え方を変えてラクになる方法を示してくれる人がいる。

すごく優しい人だと思う。
人のことを思いやれる人なんだと思う。
社会には、私の周りにはそんな素敵な人がたくさんいる。

でも私は、そうやって励まされたり、優しくされたりすることが嫌いだ。

捻くれていると思う。性格が悪いとも思う。思いやりの心がない冷酷な人間だとも思う。

でも、嫌いなものは嫌いである。


私が落ち込む理由は、悔しくなる理由は、頑張れなくなる理由はいつもただ一つで

“自分が思い描く理想の自分に近づけないとき”

だから、そんな時に周りの人からかけられる優しい言葉っていうのは

“できないことを肯定されている”
と思ってしまう。
“まだまだ自分の努力が足りていない”
ということを暗に指摘されていると思ってしまう。

優しい言葉によってより一層自分を苦しめてしまう。

だから、励まされるとか、優しい言葉をかけられるとか、そういうことが大嫌いだ。
そんなことを思う自分はもっと嫌いだ。

しんどい時に支えてくれる人、励ましてくれる人、優しい言葉をかけてくれる人
そういう人たちの存在を大切にしなきゃいけないことはわかっている。

でも、まだまだ未熟な私はそういう存在が嫌いだ。

どんなに落ち込んでも、立ち止まってしまっても
結局そこから自分を救えるのは自分自身だけで、
周りの存在よりも、どんな時でも立ち上がろうとする自分の心が大切で、
そんなことを思う自分は、人と関わって生きていくことが向いていないんだと思う。

そんなことを思う自分を変えたいと思う時もある。
でも、今までずっとそうやって生きてきた。
どんな時もそうあり続けてきた。
今更どう変わったら良いのかわからない。
優しい言葉に『ごめんね』じゃなくて『ありがとう』が言えるようになりたい。
でも、口をついて出てくるのは『ごめんね』だし
心のなかに生まれるのは『もうこれ以上私に優しくしないで』なのだ。


最低な自分。
それでも私の周りにいてくれる人がいる。
その事実がとても悲しい。
なんでそんなことを思うのかわからない。
でも、なぜかとても悲しくなる。

変わりたい。
そう思わなくなってきている。
変わらない自分であることが、私の唯一誇れるところなのかもしれない。
そう思うようになってきている。

お願いだから、
あなたのその優しさを
どうか私以外の誰かに
『頑張れ』に対して
『ありがとう』が返せる誰かに
私なんかじゃなくて
もっと素敵な人に
むけてあげてほしい。

あなたの優しさを無駄にしないで大切にできる人に渡してほしい。


そんなことを思う私は、やっぱり人間失格なのでしょうか。

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