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一枚の冬の写真について

 いま、少しずつ更新している『詩の日誌「抽斗の貝殻のように」』の文章のうえに置いた写真。
 これについて書いた記事があります。

 この海岸を歩いていたわたしも、いまのわたしも。
 きっと自分で思う以上に、ひと続きの線上にあること。
 変わろうと思っても、器用に自在にはわたしは変われないし、簡単に断ち切れる思いなど、初めから、思い、と呼べるものではないとも思う。

 詩を書いてきて、いつも思う。たくさんのひとに、というよりも。
 実際に知り合うことはないけれど、おそらく友人になれそうな、見知らぬ誰かが、痛みやすい裸足のつまさきでも歩ける……そんな海岸のような作品を書いてみたいと。

 それは詩を書きはじめたときから、じつは、変わらない。
 やっと辿りついた、この写真のなかの遙かな岸辺の波音のように。