これがあれば人生有利なのかもしれない。

 僕の地元は日本海側であったため、波は高く潮風は冷たい。基本的に荒れがちな海なので、決して白く無い砂浜と、激しい波の影響で海水の中で舞う砂達が、遠目で眺める海をより深く、ドス黒く見せていたのを覚えている。
 しかし、特に臨海した地域に出向く時は、父と母の実家に帰るお盆の季節柄、幾分か海も落ち着いて多少は海水も青かったと記憶している。その珍しく綺麗に見える海と祖母との記憶はもはやセットで大脳皮質にでも刻まれていると思う。
 そんな祖母が僕にしばしばしていた話があるのだが、上の姉兄と僕を含めた3人に対して祖母なりの想いを漏らしていた。

「年長者の姉はしっかり者で良く出来た娘や。だけど『そこっ?』って所で抜けてたりする。気丈に見えて泣いたりもするし、抱え込んだりもする。おばあちゃんとしては気軽に相談出来る頼り甲斐のある人が側にいてあげて欲しいな。」

「長男の兄は頭が良いし優しいし、長男としての責任感も持っている。でも責任感に縛られてたりはしないかと心配になる時もある。本当にやりたい事があるならすぐにでも飛び付いて欲しいと思ってるけど、そういう積極性を彼は持っているのかしらと気になってしまうの。」

 なるほど、なるほど。と「あれ?僕は?」と思わなくもない。祖母の口からはそれ以上出てこないので、何かを慮ったつもりなのか当時の僕は敢えて元気に「俺のはそれなりに元気だから平気!」と戯けて見せる。
 それを聞いて祖母は「末っ子に関しては3人の中でも全く心配にならない!」と明るく返されたのを覚えている。三兄弟の中では僕がトップレベルで稼ぎが少なく、ふらふらしていたので、各方面にかなり心労を掛けているものだと思いこんでいた。だからまさか心配されていないとは思わなかった。そのため、これはついこないだの様に映像を脳内再生出来てしまうくらい鮮明な記憶なのだ。
 母親にも裸無一文で路上に捨てても生きているだろうなと言われたことがあり、実際僕も死なない自信はある。

 そもそも僕は常日頃から運が良かった。特に何か意識をしていなくても、何か結果的に助けてもらいながら今日まで生きてきた。

 小学生の頃スイミングスクールに通っていて、さあスクールに参るかと言うタイミングで、普段温厚で甘える事しかしてこない飼い猫が物凄い形相で噛み付いてきた。なんだなんだと宥めながらのせいで10秒程出発が遅れスクールに向かっていると、その道中でバイクが飛び出して来て目と鼻の先を走り抜けて行った。僕はその時、珍しく自分に食らい付いてくる猫をたまたま行きしなに構った為に、数秒だけ家を出るのが遅れ、その結果、間一髪難を逃れたと考え、もうけもうけと思っていた。

 中学生の頃は、学校の特別授業で書道の実習がしばしば担任の先生主導で行われていたが、ある授業の日僕はその日使う書道の教科書と課題を家に忘れてしまっていたと昼休みの時間に気が付いた。その昼休みの時間は憂鬱になりながら、担任の先生が何かの間違いで消えて、書道の授業が無くなってくれないかと切に願っていた。するとなんとお昼、担任の先生の子供が熱を出してしまったと言う事で、急遽退勤する事になってしまい、結果、書道の授業もただの自習時間になったのだ。

 割と近い話だと、3、4年前くらい、ひと月に一回のペースで僕の住む京都から東京まで深夜高速を車で往復しまくっている時期があった。メンバー4人で車に乗っていたが、運転出来る人間が僕一人だったので、他3人は各々車内で寝ていた。そんな状況だと少しでも早く目的地に着いて運転を終えたいと思ってしまい、ついつい車を飛ばした。午前3時過ぎで、睡眠不足もあり、明らかに判断力が鈍っていて、あろう事か150km/hで東名高速を爆走し警察に捕まった。一発で免許取消処分の速度違反だったのだが、焦燥感でぐったりしていた僕に取り締まりの警察官が言った。
「君は見るからに150キロは超えてた。でもたまたまスピード測る機械がエラーを起こして具体的な違反スピードが計測出来なかったから、もう君をスピード違反で取り締まることが出来ない。運が良かったと思って、これからは法定速度内で運転しな。帰っていいよ。」
 捕まった瞬間は「運の尽きだ」と思ったが、たまたま心優しい警察官に取り締られた事で首の皮一枚繋がったのである。

 運が良かったエピソードの一部をつらつらと並べて行ったが、「何だそれ?そんなん大した出来事でも無いやろ。」と言われそうな気はしている。
 けれども僕は、この出来事ひとつひとつに毎度感謝して、忘れずに頭の中にしまっている。
 ひとつひとつが大した事無い出来事であっても、それらのお陰でどんな状況でも「まあ、何とかなるでしょう。」と気負わず構えられる気がする。時折、側から見ても逆境寄りで、同情を買われたり、心配をされたりもしたが、僕はその時その時は苦しくても、何だかんだ壊れずに生きていられた。

 最近思い至った事ではあるが、「自分って運良いな」って思っていると、色んな事が気軽になって生きていて楽だ。何が起きても「ラッキー」で片付けてしまえば過度な期待も生まれないし、背負うものが少なくて済む。ただ自然にこう考える人って生まれつきで、後天的に身に付けるものでもないのかも知れないとも思う。
 しかし、同時に、運の良さで楽しく生きて来れているため、みんなが当たり前の様に経験している苦労や苦痛を自分は体験していないんじゃないか、と言う一抹の不安がある事も事実だ。

 どんな逆境にも自分の力で立ち向かい、大きなストレスであろうと強靭な精神と肉体で跳ね除けた達成感ある人生か、そもそも大きなどんでん返しや、心身を病むような過度なストレスがないため、浅い谷と山をハイキングして来たそこそこ楽しい人生か。
 どっちも最高に良いし、僕自身は前者に憧れや、コンプレックスを持っている。しかし僕は圧倒的に後者寄りの人生を今の所歩んでいる。イースタン・ユースの魂の叫びの様な歌、僕の人生じゃ絶対歌えない。
 今月も生活費を浪費してしまい、これ以上使うと毎月決めた金額の貯金が出来なくなってしまうと思い、心を鬼にして粗食を給料日前に徹底していると、お向かいさんがデパ地下で買い過ぎたからと、急に食料を分けてくれた。お向かいさんはこうやって毎度最高のタイミングで食べ物をくれる。来週は友人が僕に焼き肉をご馳走してくれるらしい。
 「いや〜今月も何とかなったわwwラッキーww」と今日も感謝の意を込めて1日を始められる。頂きます。

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