【教育心理学】知能について

皆様こんにちは

先日、IQ検査をしたら全体の平均(IQ100)を大きく下回っておりました

モミでございます(´・ω・`)

結構前ですが、Twitterで「知能が遺伝によって決まるのか、勉強量によって決まるのか」という議論がありましたね

私の両親はともに高卒で、お世辞にも頭のいい高校に通った訳でもない平凡な知能の持ち主です

遺伝によって知能が決まるなら、私の高校時代までの成績の悪さは遺伝のせいにできますね(やったぜ)

ですが、これでは困ったことになります。現代社会では「個人の能力の高さ」が求められる傾向にあります。その社会では「知能の高さ」も党是イン求められます

…遺伝で知能が決まるなら、知能の低い両親を持つ人はその社会では上に上がれないという事になりますよね

ですが、頭のいい人たちの多くは努力によってその社会的地位や能力を手に入れているというのが実際のところかと思います

知能は遺伝か努力か、私の独断と偏見に基づいて考えていきたいと思います

統計心理学と優生学

心理学には、理系的な「科学」と文系的な「文学力」が求められるため、巷では「文理系」なんて呼ばれます。ここでは、心理学とは「科学」であるという前提でお話していきます

皆様はゴールトンという人物をご存じでしょうか?

特に心理学統計法を学ぶ人はご存じかもしれませんが、彼は統計学的な手法で才能や知的能力について研究した研究者として知られ、心理学統計法は彼の研究室で生まれたとされています

そんな彼にはもう一つの研究成果があります。それが「優生学の提唱」です

「高い知能を有する者を残す」という優生学を突き詰めれば、高い知能を持つ男女が子孫を作り、その子孫が社会を繁栄させればより良い社会を実現できると考えるようになります

逆に、低い知能を持って生まれてしまった(劣等遺伝子をもった)人を切り捨てれば、より良い社会を目指せるという考えに偏ってしまいます。優生学は19世紀末には「劣廃学」とも呼ばれましたが、そこにはこのような考え方があったのでしょう

ゴールトンが行った研究では、音楽家や芸術家、知能水準の高い者について統計的調査を行ったところ、それらの子孫は芸術的才能や高い知能を有することが分かったのです

この研究が今も生きているとすれば、生まれ持った知能が低い人は切り捨て、知能が高い人は優遇されるという社会が到来することでしょう

その社会で、知能の低い人はどうなるでしょう?知能が高い人は?

それぞれの部類の人たちは、果たして幸せになれるでしょうか?

情動知能

皆様は情動知能という言葉をご存じでしょうか?

いわゆるEQのことで、自分や他人の感情や情動を把握し、違いを認識することで、気持ちを考える知能のことです

これはIQとは区別されて考えられます

現在でもそうかもしれませんが、その昔は、知能は「言語能力」「知覚・空間能力」「社会的能力」に分けられていました。

IQでは「言語能力」と「知覚・空間能力」を測ることが出来ましたが、「社会的能力」については測ることが出来ませんでした。

そこで考案されたのがEQというわけです

ここで注意していただきたいのは、IQが高いからと言ってEQが高いor低いという事はありません。逆もしかりです

これは、「頭は良くてもそれが社会的に受け入れられる頭の良さとは限らない」という事を意味します

身の丈に合った知能を

私は大学で心理学を専攻しておりますが、大して頭が良いわけではありません

ですのでハーバード大学の心理学講義受講者と比べれば、心理学の知識という面でも劣ってしまいます

私は、これは事実として捉えるしかないことだと思います

上を見ればさらに上がいるのが「世界」というものです

もし、私が「世界一心理学を知り尽くした人間」であることが幸せであるなら、ハーバード大学生がライバルになります

しかし、私はあくまで「心理学を使って人の役に立ち、人を救う」ことが幸せであり、それが心理学を学ぶ理由でもあります

つまり、必ずしもハーバード大学生を超える知識量を有していなくていいのです

これは知能でも同じことが言えます

確かに、知能が高ければテストの点は高くなります。学歴も手に入ります。きっと社会的に高い地位や権力、財力を手にできるでしょう

ですが、それがあなたの幸せと合致しているのか考えていただきたい

「恋人と静かに過ごしたい」「友人とキャンプをしたい」「幸せな家庭を築きたい」「なりたい職業に就きたい」

これらはハーバード大学卒じゃなくてもできます

知能とは、我々人間が普遍的に求めるものの1つです。そのため、どうしても「知能が高い=幸せ」と勘違いしがちです

知能が身の丈に合わないくらい高すぎると、あなたの人生や求める幸せは、高すぎる知能に振り回されてしまうことでしょう

劣等でもいいじゃないか

これは私が惨めな感情を持った時、おまじないのように唱えている言葉です

どんなにお金持ちで美しくて頭よくても、それで心理学を使って人を救えるのでしょうか?

私はその答えが「No」だと考えております

だから、そんなにお金はなくていいですし不細工でもいいですし、心理学で人を救える知能があれば十分です

自分の欲しいもの以上のモノを「今」求めるのは危険です。特に、それを「社会」という枠に持ち込むと、優生学的な考えに偏ってしまいます

知能を上げる・頭がよくなることより、「あなたはどうしたいのか」「どうなりたいのか」「何が欲しいのか」今一度思い出してみませんか?


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