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大学授業一歩前(第156講)

はじめに

 今回は国際基督教大学2年生の丹野健(Chris Fotos)さん(@redfield_ken)に記事を寄稿して頂きました。今回も前回に引き続き、約3500字の超大作でございます。是非、ご一読下さいませ。

プロフィール

Q:ご自身のプロフィールを教えてください。

A:私は現在、国際基督教大学(ICU)教養学部の2年生です。英語教職課程を取りながら、3年次からは「言語教育」を専攻予定です※。
 ICUでこのようなことについて学んでいるのには、私のバックグラウンド(来歴)が影響しています。私は父がアメリカ人、母が日本人のいわゆるハーフとして生まれ、これまでほとんどの間日本で育ってきました。そして、昔は英語が第一言語で、かなり流暢でした。しかし、小学校からは日本語が第一言語に置き換わり、だんだんと英語が抜けていった経験があります。当時中学生だった私は「ハーフなのに英語ができない」というコンプレックスに悩まされることになります。そんな私を助けてくれたのが英語の先生でした。英語を学ぶことで自分を取り戻しながら、見方を広げていけたような感覚を今でも覚えています。
 その原体験から、私は教職への憧れや、アイデンティティを作り出す言語そのものへ興味が湧くようになりました。

※ICUは入学してから2年間の教養課程(分野を問わず様々な学問について学ぶ期間)を経たのち、3年次から社会学、政治学、化学など31のメジャー(専攻分野)からひとつ、あるいはふたつ選んで研究することができます(ICU HP—「入学から卒業までの流れ」)。これは東大も採択しているようなリベラルアーツ教育のカリキュラムです。

研究内容/関心のあるテーマ

Q:現在、研究している内容とご自身の関心について教えてください。

A:卒論の執筆に取り掛かるのはまだ先で、「これだ!」と思える具体的なテーマとはまだ出会っていません。しかしながら、上で述べたように、私にとって言語と言語教育というものが実存(「私はこのような存在だ!」と認識し行動する自分自身のあり方)にかかわる大きなテーマになっています。そもそも言語とは何か?なぜ言語を学ぶのか?その意義とは何か?その背景にある社会的・歴史的・政治的構造は何か?...ざっくりとこのようなことに関心を持っています。
 特に最後の問いに如実に現れているような、教育をマクロに捉えたいという信念は、高校時代の経験に由来しています。具体的には、当時問題が山積していたのにもかかわらず、導入されようとしていた大学入試における英語民間試験活用に対して受験生として声をあげたり、毎年のように要不要議論が巻き起こる古典教育について考えるためのシンポジウムを高校や大学の方々の後援のもと友人らと開催したりと、言語教育そのものに対して直接当事者としてはたらきかけた経験です。 
 前者は鳥飼玖美子(2020)『10代と語る英語教育:民間試験導入延期までの道のり』(ちくまプリマー新書)として、後者は長谷川凜他編著(2021)『高校に古典は本当に必要なのか:高校生が高校生のために考えたシンポジウム』(文学通信)として刊行されています。このnoteの読者には現役の高校生もいると思うので、ぜひ学校の図書館などで探して読んでもらえたら嬉しいです。
 大学からは、そういった直接的な行動を基軸にするというよりは、まずは一度地に足をつけて上の問いについて研究していきたいという思いの方がずっと強いです。そこで、社会学や政治学、そして哲学(言語哲学、社会哲学、教育哲学)など、教育の周辺領域に関する書籍を中心に渉猟しながら、自分が持っている問いに対するヒントを日々いただいています。

オススメの一冊

Q:オススメの一冊を教えてください。

小坂井敏晶(2017)『答えのない世界を生きる』(祥伝社)

A:高校時代から私淑しているフランスの社会心理学者(あるいは思想家)である小坂井敏晶さんの著書です。
 慣れ親しんだ思考枠から抜け出すにはどうすれば良いか。自ら問いを立て、考えていくためにはどうすれば良いか。役に立たないと言われる人文・社会科学の真の意義とは何か。思わぬ偶然が重なり、日本からフランスに渡って大学人となった著者の半生を追いながら、研究に対する心構えや人生訓を学べる情熱の書です。
 私もまさに「大学入学一歩前」の時期に読み、言葉では言い表せないほどの感銘を受けました。他の著書も刺激に溢れるものばかりです。ぜひ読んでみてください。

ご自身の読書術

Q:ご自身が実践されている読書術を教えてください。

A:まず心構えとして、本はそもそもすべて読み切る必要はないという良い意味での諦めを持っています。小説はともかく、新書や学術書は端からすべて読もうとするから挫折してしまうことが多いと思うのです。例えば目次から気になる一章を選んで読むだけでも十分何かの学びを得ることができるということはもっと知られていいと思っています。
 私は飽き性というか、人より集中力が続かない人間なのですが、それでも絶対的な読書量を確保したい時があります。そういう時には以下の読み方を実践しています。
 まず本棚から気になる本を2、3冊持ち出してきます。そして1冊目の本から上と同じ要領で一章(あるいは一節)の区切りをつけて読み、読めたら再度同じように次の本で読む箇所を決めて読む...。これをひたすら繰り返すだけです。
 この方法により私は、1冊の本で同じ量を読むよりも読みやすく感じると同時に、本同士の思わぬ共通性や対称性を見出すことができるので脳がとても悦びます。
 蛇足ですが、これまで読書術に関して参考になった本をいくつか、私の独断と偏見で読みやすさの順に列挙します。自分が読めそうな本をここから選んで、最終的には自分に合ったスタイルを見出すのが良いでしょう。図書館や書店は知のテーマパークです。ぜひ実際足を運んで楽しんでください!

斎藤孝(2019)『超速読力』(ちくま新書)
山口尚(2022)『難しい本を読むためには』(ちくまプリマー新書)
斎藤孝(2002)『読書力』(岩波新書)
小池陽慈(2021)『“深読み”の技法:世界と自分に近づくための14章』(笠間書院)
J. アドラー・ V. ドーレン著/外山滋比古・槇未知子訳(1997)『本を読む本』(講談社学術文庫)
P. バイヤール著/大浦康介訳(2016)『読んでいない本について堂々と語る方法』(ちくま学芸文庫)

メッセージ

Q:最後このnoteを読まれている方へのメッセージをお願いします。

A:ここまで読んでいただきありがとうございます。前半は長い自己紹介のようになってしまいましたが、そこで伝えたかったのは以下のことです。
 すなわち、私は自分自身を構成する様々な事象について問題意識と関心を持ち、それを原動力に学んでいるということです。先ほど紹介したオススメの1冊で私が好きな箇所を引用します。

 慣れ親しんだ思考枠から抜け出すためには、研究対象だけを見ていても駄目である。問題に対峙する人間の世界観や生き方が変わる必要がある。人文学では多くの場合、自分自身が研究対象に含まれる。[...]それは研究活動が自分探しにつながっているからである。だからこそ、思考枠を崩すのが難しい。自らの存在を正当化する基盤が危うくなるからだ。時には棄教や改宗にも似た辛い体験をすることもある。そのような深い省察を経て初めて、豊かな見方が現れてくる。研究は頭だけではできない。腑[はらわた]を切り刻み、苦渋に涙を流す身体運動だ。

小坂井敏晶(2017)『答えのない世界を生きる』祥伝社、86頁。強調は丹野

 私はたまたま、言語に苦しめられた経験から、大学での学びや研究というものに関心が向いているにすぎません。ですので、これを読んでいるみなさんには、「大学では自分を苦しませたものと向き合うために学ぶべきだ、研究すべきだ」とまでは言いません。
 しかし、この記事を読んでくださっている方にも何か、良い意味でも悪い意味でも、「これがなければ自分はなかった」と思えるモノやコトはきっとあるはずです(それは当然、学問である必要はありません)。それを自ら見つけ、深めていくチャンスが大学には溢れているように思います。ぜひみなさんには、教員や友人だけでなく、本や映画など様々なメディアも含めた多様な「他者」との出会いを噛み締めて、自己と社会を言葉によって切り拓いていくことを願ってやみません。

おわりに

 今回は国際基督教大学2年生の丹野健(Chris Fotos)さん(@redfield_ken)に記事を寄稿して頂きました。
 今回、記事の寄稿を依頼する際に丹野さんから「これまで読ませていただいた分のお礼です」と寄稿のご承諾を頂きました。このnoteを始めた当初は高校生だった読者の方に、今度は書き手として記事を寄稿して頂き、このnoteを長い間運営してきて良かったと思えた瞬間でした。
 もし、このnoteがnoteという媒体に限定されず、今後も続いていく中で、今回の記事を読んだ方がまた、書き手になって頂くという風に、次の代へと変わっていきつつも、学ぶことを考えるきっかけの一つになれることを引き続き目指して参ります。

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