若き大学職員志望学生への手紙

 大学職員志望の学生と話すことがたまにあるのですが、彼らの一番の悩みは「母校以外の大学の採用面接を受けるとき、志望理由を何と説明するか」であるようです。
 かく言う私もこれで、母校ではない大学に就職したあともしばらくはこの問いの前で立ち尽くしていました。
 そんなあるとき、尊敬する大学職員の先輩がこう言いました。
 「大隈重信は早稲田大学の卒業生?」
 目から鱗が落ちました。言うまでないことですが、大学の創立者は例外なくその大学の卒業生ではありません。彼らを突き動かしたのは「学生時代に受けた恩を返したい」ではなく、次世代のために何か残したいというやむにやまれぬ思いであったはずです。
 ここで思い出すのは、「贈与」という概念です。
 哲学者の中沢新一によれば、「近代資本主義は社会の全域に交換の原理を行き渡らせることによって、人間関係の合理化を進めようとしてき」たそうです(中沢新一『愛と経済のロゴス』講談社選書メチエ)。だからでしょうか、私たちはついつい「交換」原理で物を考える癖がついています。志望動機を「学生時代に受けた恩を返したい」と「交換」の語法を以て語りたがるのもそのせいでしょう。
 京都大学教授の矢野智司は、『贈与と交換の教育学』において「教育のはじまりとはいったい何か? そのとき立ち現れるのは、一切の見返りを求めない「純粋贈与」という、一見すると教育とは無縁に見える出来事である」として、「交換」一本槍の教育観を退けています。
 大学職員志望の若者に大学を建てるほどの大志を持てとは言いませんが、「交換」という支配的原理から一度解放されてみることは必要かもしれません。「交換」一本槍の教育観はやがて教育を自壊に導く気がしてならないからです。

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