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こんなに眠いのは現実世界からの逃避反応だろうか。

「電車通勤しない生活=運動不足」を少しは改善したくて、ゴミ収集日の朝、外に出たついでに徒歩3分のコンビニまでコーヒーを買いに行ってみた。

コンビニまでの道、いつもは駅まで歩く通勤の人がそこそこ通る道は、どこかの国の外出禁止発令状態のように通る人もまばらだ。一瞬、何かの映画やドラマの撮影に紛れ込んだのかと思うのだが、頭の中ですぐに打ち消している。

コンビニは3か月前と同じようにお客さんを迎えるが、レジに透明ビニールシートの仕切りが店員とお客さんの間にかかり、マスクとゴム手袋をして接客する姿は、この期間の社会変化を端的に現す。

医療従事者の方々の闘いに加えて、保育園や食品・医薬小売業・物流業・インフラ業で働く人たちのおかげで、今外出自粛中の生徒・学生、在宅勤務の大人、自宅待機の正規・非正規労働者、および彼らの家族は、空腹に耐えたり極端な不便・(マスクと一部の医療備品を除く)物不足に陥ることなく暮らしていけている。
現在外出や集合は「要請により制限」されているが、衣食住の基本は完璧に維持されているので、平静はある程度保たれているのだろう。

この現実でないような現実を、120%納得して脳は受け入れているのだろうか?


リモートワークで通勤時間は削減されたが、一人でパソコンに向かい、集中力維持に結構脳疲労が起きている気がする。
その証拠というわけでもないが、夕食後楽しみの本を読んだり、ドラマを見たりするといった3か月前は日常的に行っていた些細なことが、今はやる気にならないのだ。むしろぼんやりとしてすぐに眠くなる。

一体わたしの頭の中では何が起きて、何が起きていないのだろうか。
わたしだけに起きていることなのか、そうでないのかも今はわからない。

睡眠は多くのストレスや疲れを癒し、回復を促す一番の手助けだと思うので、逆引き辞書的に眠気は現実へのストレス反応、と解釈してみる。

制限の中で楽しみを見つけ、クリエイティブに笑って過ごすことを心がけていても、無意識はストレスを受け入れていているのだろう。それ故に睡眠という防御・回復システムを発動して人間の活動を守り維持している、という壮大なドラマを感じる。

変化が落ち着くまではジタバタせず、自然の流れに任せて、最適化状態を漂っていこう。

サポートいただいたならばコーチングやカウンセリングの対人支援の準備・活動に使わせていただきます。