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プロレスとアイドルの親和性について

先日、SKE48の荒井優希さんが、東京女子プロレスに参戦した。

彼女はこれからも本格参戦していくという。

最近は新日本プロレスを中心に、プロレス人気が再燃しつつあるとはいえ、世間的に見れば、プロレスはメジャーなエンタメコンテンツとまでは言えないだろう。

じゃあなぜアイドルがプロレスに参戦するのか。
そこには新たなキャラクター、新たなファン層の獲得という狙いだけでなく、アイドルとプロレスの親和性、また、日本的エンタメの特徴が隠されている。

アイドルとプロレス

まず初めに、アイドルとプロレスは割と近い距離にあった。

過去には女子プロレスラーはアイドル的な人気を獲得してきたし、
近年ではアイドルが女子プロレスラーに転身する例も多い。
女子プロレスラーをしながらモデル活動をするような選手もいる。
AKB48のようなメジャーなアイドルでも、2017年にはテレビ朝日系『豆腐プロレス』というドラマに挑戦した。
この『豆腐プロレス』はプロレスラーの下田美馬氏とミラノコレクションA.T.氏が本格的に指導し、また、先日までIZ*ONEで活動していた宮脇咲良を主演に、松井珠理奈、向井地美音など、中心メンバーが多数出演していたことからも、AKB48としてどれだけ力を入れていたコンテンツであったかが窺える。
(今回プロレスデビューした荒井優希も『豆腐プロレス』の派生イベント「豆腐プロレス The REAL 2018 WIP QUEENDOM in 愛知県体育館」に参加した)

特に往年の名レスラーのイメージが強いプロレスであるが、意外とこれまでアイドルとの接点は多かったのである。

アイドルとプロレスに共通するのは何か。

アイドルにしても、プロレスにしても、誰が成功するかは論理的に説明することが難しい。

アイドルであれば、例えば顔の造形が美しいとか、スタイルがいいとか、あるいはファンへの対応がいいとか、それぞれ要素があるとはいえ、それらに絶対的な基準があるわけではない。
また、プロレスでいうと、身体能力に長けた選手であったり、別の格闘技で実績を積んだ選手が必ずしもベルトを巻くというわけではない。

どちらも不安定な要素の上にあるといえよう。

プロレスには
「説得力」
という概念がある。

プロレスはショーアップされたエンタメであり、試合は単に対戦相手を痛めつけることが目的ではないし、過度に危険な技を嫌うファンも多い。

そのなかでプロレスラーを評価する指標として、時折「説得力」という言葉が使われる。
技や受け身の派手さ、あるいはマイクパフォーマンスに置いてまで、ファンは「説得力のある試合」「説得力のあるマイクパフォーマンス」
、ひいては「説得力のある選手」を評価する。

確かにこの「説得力」という概念も、明確なものではない。

しかし、説得力のある試合を見ると、ファンは「納得」
するのである。

この「納得」という要素はある種重要である。

今の世の中、エンタメが溢れ、無料で享受できるものが多い。
その中で、有限な時間やお金を払って、ファンはプロレスやアイドルを楽しむのである。

コンテンツが、自分の支払ったもの対して納得できるものかどうか、それは見る者の指標となりうる。

アイドルもプロレスも文脈が重視される

プロレスや日本のアイドル文化は特に文脈が重視されるものといえよう。

特に今の日本のアイドル文化は、憧れの対象であると同時に、夢を目指す等身大の人物に対して感情移入をしながら徐々にステージを登っていくのを応援するというスタイルが多い。

プロレスも同じである。
それぞれのレスラーが発信したことに対してファンはシンパシーを感じ、夢を載せるのである。
そこには他のレスラーとの因縁や裏切りといったストーリーが存在するのである。

特に現代ではリアルタイムにストーリーが更新される。

故に、両者は消費されやすい存在でもある。 

特にアイドルは10代の頃からステージに立ち、アイドルとしての人格は自身のパーソナリティと直結するであろう。

そうすると、そこに待っているのは、コンテンツの消費だけでなく、パーソナリティの消費である。
本人が魂をすり減らして表現をすることと、ファンがパーソナリティを削り取っていくことは全く異なるということ。

ストーリーを追いかける我々はその差異に、時々盲目になる。

エンタメの享受者

近年、エンタメコンテンツは溢れ返り、どれだけ費やしてもそれらを全て味わうことはできない。
一過性のブームが爆発的に加熱し、すぐに新しいものが出現する。
まさにエンタメの大量消費時代であり、我々は無意識に使い捨ててしまう。

特に最近は、映像コンテンツを早送りで見る人が多数いるという。


映画をあらすじだけ読んでみた気になり、音楽で言えばサビだけ聴くようなことである。

確かにエンタメコンテンツは供給過多である。
誰かと話を合わせるために内容を知っていることも重要であろう。

しかし、エンタメは「知っていること」が重要なのではない。
片っ端から消費することが目的では本末転倒である。

私はエンタメの消費者ではなく、個々の「作品」をゆっくりと吟味し、鑑賞する享受者でありたいと思う。

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