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北キプロスのトルコ軍占領区域に日本人で1番乗りしちゃった話

本noteは決して北キプロストルコ共和国の渡航を薦めるものではございません。当地はトルコの保護国であり国家承認しているのは唯一トルコだけです。つまりトルコ大使館以外の在外公館が存在しません。何かあっても自己責任です。(とまぁ一応お決まりのご注釈をつけているが地域大国トルコの強力な軍事力により治安は非常に安定しており未承認国家としてはかなり難易度が低い国である。)

最初に言っておく、読者にギリシャ人いたらごめん。多分絶対に許してくれんと思うけど。
今から嬉々として書く内容は分かりやすく言うとアメリカ人が「韓国側から竹島入ったぜイェーイ!」みたいな感じである。日本人は領土問題に疎い人が多いのでこう言われても怒らない人多いだろうがギリシャ人がこれを聞いたら激昂してもおかしくない。今回はそう言うお話である。

背景

まずそもそもキプロスってどこ?何でそんな揉めてんの?という方が殆どなので簡単に説明しよう。詳しい背景はwikipediaでも歴史の本でも読んでくれ。

キプロス島は地中海の東側に位置する。サルディーニャ島とかマルタ島、シチリア島、こう言った地中海の島国と同じくここキプロス島も戦略上重要な拠点であり島の歴史は被征服の歴史である。

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目下このキプロス島が抱えている政治対立、民族対立はここ数十年数百年の話ではない。現在ではギリシアから遠くトルコに近いが、神話ではギリシア神話のアフロディーテの生誕地、所縁の地とされているように、古くからギリシア人が入植しその文化圏に入っていた。

前15世紀前半にはエジプト新王国のトトメス3世の支配下にあったが、ミケーネ時代にギリシア人が植民活動を行って移住し、ギリシア文化圏と接触した。これが現在キプロス島の人口の7割を占めるといわれるギリシャ系キプロス人の始まりである。

その後フェニキア人による植民都市の建設、アッシリア帝国、アケメネス朝ペルシア、プトレマイオス朝エジプトの支配下へと変遷を辿る。全二世紀にはローマ帝国の属州となり、分裂後のビザンチン帝国へと引き継がれた。キプロス島にはこの時代の遺跡が各地に残っている。

その後十字軍に参加していた英国王リチャード1世が島を奪い拠点としていたが圧政により民衆の不満が爆発しテンプル騎士団に売り飛ばした。その後十字軍の侵攻を受けフランス系の王朝が続く。

そして15世紀末ようやくオスマン帝国の支配下の時代が来る。この時代イスラーム化が進み目下島の第二勢力であるトルコ人の入植が始まった。現在のトルコ系キプロス人の始まりである。ただギリシア系住民はそのまま存続し、この時からギリシアへの帰属を要求するエノシス運動という運動が起こっていた。

一気に飛んで1878年露土戦争後のベルリン条約でイギリスが管轄権を得る。第一次世界大戦後の1923年、オスマン帝国が同盟側についたのを口実に併合を強硬する。中東支配の拠点とするためである。これが島の第三勢力イギリスの登場である。

ただイギリスの支配は長く続かなかった。第二次大戦後独立運動が起こる。1955年ギリシャ正教マカリオス大司教の指導の下ギリシャへの統合を主張し英国と対立。しかしイギリスは編入は認めず独立の条件として軍事基地2ヶ所を確保する事に成功した。

これが現在、英国主権基地領域アクロティリとデケリアと呼ばれる地域である。ここは現在でも西アジア方面における軍事的重要な拠点であり対ISIS戦でイギリスはここから戦闘機を出撃させていた。

1960年にイギリスから独立を果たしキプロス共和国が成立するも1964、1967年にキプロス島の約2割を占めるトルコ系住民と8割を占めるギリシャ系住民が武力衝突する。

さらに1974年ギリシャの軍事政権がキプロス島に介入したことに反発しトルコ共和国が出兵して北側を占領。1983年に一方的に北キプロストルコ共和国の樹立を宣言。南キプロスは国連加盟するが北キプロスはトルコだけが国家承認する未承認国家の一つとなった。この時今回訪れたギリシャ人居住区Varoshaはトルコ軍の支配する場所と化し50年間観光客の入れないキプロス紛争の象徴の一つとなった。

と言う訳で四国の半分程の大きさしかないキプロス島の中は複雑怪奇な物となっている

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赤が北キプロストルコ共和国、黄がキプロス共和国、橙、紫がそれぞれ英国主権基地領域アクロティリとデケリア、緑が国際連合キプロス平和維持軍が駐屯する緩衝地帯となっている。この図では分からないがさらに細かい飛地が存在する。しゅってをしゆ

北キプロス入国

さてそろそろ本題に入ろう。この日僕は北キプロスの東側の都市であるFamagustaのVarosha地区に行くつもりだった。ここは独立キプロス時にギリシャ人が住んでおり1960~1970年代には毎年数万〜数十万人の西欧人が訪れるキプロスの一大観光地であった。

その繁栄も終焉を迎える。1974年にトルコ軍が北キプロス部分を占領、このVarosha地区のギリシャ人は追い出され難民と化した。ただ他の地域と違いこの地区はギリシャ人しか住んでいなかったため占領側とて入植行為が簡単にできなかった。そして50年間トルコ軍しか入れない辺境マニア垂涎の場所となった。

僕も北キプロスを見に行くなら国際連合キプロス平和維持軍が駐屯する南北キプロスの緩衝地帯だけではなく、この50年間闇に葬られた廃墟地帯も行かなきゃと思っていた。ただここは曰く付きの場所であり、辺境オタクが写真を撮りに行こうとしたら「警告射撃を受けた」だの「カメラ没収されて全部の写真動画消させられた」だの話を事前に聞いていた。限界旅行あるあるの話である。

ただ一つ希望があった。トルコのエルドアン大統領が6~8月あたりにこの地区の50年における封鎖を解き再開発を強硬するというニュースを見ていたからである。もしかしたら再開発している場所を観測できるかもしれない。このキプロス対立の新たな一局面見れるならこの旅行も意味をなそうと。

この数日前北キプロス側から南キプロス側に入国可能かを確かめる際に検問所撮影していたらバレて「消せ、消さないと刑務所に入ることになるぞ」と恫喝されていたのでVarosha地区はもっと厳しいだろうな〜と思っていた。

Varosha地区を見に行くにあたって作戦を考えた。この地区は以下の様になっている。

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この地区で1番有名なのが海岸沿いのホテル廃墟群である。ビーチだけは解放されておりそこから占領地域の停止線から廃墟が見える。事前調査ではビーチ側から写真撮影すると軍人からなにかのアクションがあると聞いていたので僕は西側の境界沿いに歩いて観察することにした。

読みは当たり、3~4kmほど境界線沿いに歩いていたが軍人は1人も見当たらなかった。こういう場所にありがちな定間隔での監視塔も見当たらず思う存分柵越しに観察することができた。柵自体も風化しており乗り越えようと思えば乗り越えられそうではあった。だが地雷が敷設されてる可能性が高いし、建物は50年間放置されていて海岸沿いなので塩分による浸食が激しい。流石に無理やなあという感想を抱いた。

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占領地域に日本人で一番乗り

西側から廃墟群を見終えた僕は海岸沿いのビーチ側に向かった。曰く付きではあったし、警告射撃を受けることになってもここは外せない。歩いている途中にその時点で撮影した動画写真は隠しフォルダに移しておいて仮にチェックされても問題ないようにした。

ビーチに向かって海岸沿いを歩いていると飛び地のようにトルコ軍の立ち入り禁止線のマークや塀が存在していた。

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浜辺が近くなってくるとトルコ人観光客らしき人の声が大きくなってきた。浮き輪を持っている人達がいたので海は普通に解放されているようである。

海はコバルトブルーの澄んだ色をしていた。あーこりゃ観光地としてエルドアン大統領が開発強硬したくなるのも無理はないな。
絶景の海と50年誰も入れなかった廃墟群の対比が異質さを物語っていた。

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海岸沿いから境界線に向かって歩いていく。あれ柵の向こう側にめっちゃ人おらへん?何ここ普通に入れるんか???

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いや確かにこの柵のガバガバさ、見た通り余裕で侵入できるよね?いやてか侵入してくれ?って言ってるようなもんじゃない?ほな入りますか。取り敢えず侵入してみた。

30秒ぐらいで警笛が鳴らされて監視員のおじさんが歩いてきた。が警告射撃されるとかそう言った物々しさは感じられない。あ、これ別に入る方法あるんだな。思った通りおじさんは「ここからは入るな、ぐるっと回れ」みたいなジェスチャーをしてきた。

合法的に入る方法が見つかった今敢えて危ない橋を渡る必要もないので大人しく引き返し境界線上を歩いていく。人の流れを見つけ付いていくと検問所があった。検問所で僕だけ呼び止められたので何かあるかと思ったがドローン所持してないか手荷物検査されただけだった。ライトで軽く中見てすぐ解放された。こういう役人あるあるのやっつけ仕事。無事僕は50年弱封鎖されてた占領地域に入ることに成功した。

この地区が占領されたのは1974年の事である、奇しくも日本の軍艦島の炭鉱が閉山して島民が離れたのもこの年である。

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検問所から入ってすぐの光景。廃墟型テーマパークの様であった。

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中はちゃんとした舗装で整備されてた。アスファルトの耐用年数は約10年と言われてるので所々ヒビ割れてるのを見るにかなり前から敷設した事が窺えた。トルコ軍の仕業であろう。

こういう場所に来たらやる事は一つである。廃墟ビルに登る事だ!
北キプロスを国家承認してる国は他にないので出国しちゃえば関係ない。幸いにして周りのトルコ人観光客も警察や軍人の制止する声を無視し柵越えして廃墟ビルに入っていく。僕も他の集団に紛れて1番高そうな11〜12階建てのホテルに登る。

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このホテルは建設途中に制圧されたので階段の鉄骨が剥き出しである。あーコレ腐食して強度落ちてるし下手やると座屈して落下して死ぬな。
流石に一歩ずつ慎重に登っていった。

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一応エレベーターは存在しているが片方は腐食してケーブルが破断し箱が落下したのか一階の扉を突き破っていた。

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ホテルの内部

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ホテル最上階からの眺め

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廃墟ホテルの最上階から睥睨する光景に心囚われた。あゝ遂にこの場所に入れたんだ。海はとても綺麗だったが廃墟は建設途中のクレーンまで残っており50年間この区画だけ時が止まったようであった。

一通り廃墟ホテルの内部を見終えて満足したので占領地域内の他の場所を見に行った。

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柵からだいぶ奥へと行くとそこは草木の生い茂る廃墟の姿だった。ただキプロス島は乾燥地帯でそもそもあまり雨が降らず植物が少ないので50年間閉鎖された空間にしては植物による建物や舗装の浸食は少なかった。これが日本だったらせいぜい数年あればこれを超えていただろう。ここでキプロスでの水問題の深刻さが推し測られた。


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グリーンラインではなかったが国連キプロス軍らしき建物が存在していた。

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打ち捨てられた重機の残骸

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1960年代に来ていた欧米人観光客向けと思わしきパブ



ぶらぶら区画内の建物を見ながら歩いていくと検問所らしきものが見えた。varosha地区で観光できるのはここまでなのかな?と思い1人の軍人に尋ねてみた。

僕「ここで道終わりですか?検問あるって事はここは南側の入り口でもう見るところない感じですか?」

軍人「モシカシテ日本人デスカ?(日本語)」

僕「いやマジか、こんな所で日本語喋れる人に出会うとは……」

軍人「六本木、原宿、日本ハイイトコロデシタ」

僕「うおおおおおwww、あのここに日本人誰か来たの見ました?」

軍人「イマノトコロアナタガハジメテデスネ」

僕「いやはやありがとう」

どうやら僕がこのトルコ軍占領地域に入った初めての日本人らしい。思わずガッツポーズ。

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Varosha地区内にあるトルコ軍営兵地

この軍人に色々と質問を投げかけてみた。エルドアン大統領がこの地区を観光客に開放する為に数ヶ月前に宣言した話をしていつから空いてる?と聞いてみたら「私はトルコ軍人としてここに一年前から駐屯している。携帯は持てないから外の話は全くわからないなぁ」という旨の話をしていた。””世論に惑まどはす政治に拘はらす(軍人勅諭)””と言った所であろうか。

兎にも角にも先陣を切って入れたのは大きい。コロナ禍で旅行者がほぼいないのも幸いした。コロナウイルスありがとう。本当にギリシャ人ごめん。


ブラブラ歩いているとビーチに辿り着いた。海の家があったのでトルコビールを購入。こう言った場所って大抵現金しかダメなのにクレカしか使えなかった。いや有難いけれども。

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ビールを買ったらやっぱビルの屋上に登るしかないっしょ。

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廃墟ビルの屋上で夕焼けを眺めながら飲むビールはたまらなく美味かった。

日が暮れ始めたのでビルから出て歩いたらより廃墟の雰囲気を醸し出していた。


写真のようにTOYOTAのディーラーショップも存在していた。

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夜も更けこの占領地域ともお別れする時が来た。このVarosha地区は綺麗な海に面しておりトルコ本土に比べて気温も10℃ほど高く観光資源の価値は高い。第二次ナゴルノ=カラバフ戦争での勝利やシリア方面等で存在感を高め続けるトルコエルドアン大統領が再開発を強行したのも頷けよう。

終わりに

この地区を満喫しすぎて無事僕は首都行きの終バスを逃した。新たにホテル取っても金変わらんしタクるか〜と思っていたら辺境にきた変わったアジア人を面白がったのか路上で卓囲って談笑していた北キプロスの警察官らが手招きしてきた。

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最後の最後に思わぬイベントが発生、数千年の歴史の中で出来たキプロス内の対立は一朝一夕には解決しないだろうが市井の人々の生活を垣間見えて印象的な幕引きであった。



近日中には内部の占領地域の廃墟の動画もあげたいと思う。よかったら見てくれ。英国主権基地領域アクロティリとデケリアや南のキプロス共和国、南北キプロスの間の緩衝地帯の話は気が向いたら続編書くかもしれない。


出典・参考文献

[1]北キプロス・トルコ共和国の概要と政治 (Turkish Republic of Northern Cyprus) https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/05000895/05000895_009_BUP_1.pdf

[2]Varosha, Famagusta, Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Varosha,_Famagusta

[3]キプロス島/キプロス紛争 https://www.y-history.net/appendix/wh1701-087.html

[4]Cyprus: Simmering tensions over a divided island   https://www.gisreportsonline.com/cyprus-simmering-tensions-over-a-divided-island,politics,3494.html

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