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上がっているのか下がっているのか分からない状態に耐える才能

今日の朝、何気なくインスタグラムを開いたら、成田悠輔さんの切り取り動画が目につきました。

成田さんは『上がっているのか下がっているのか、果たして進んでいるのか退化しているのか分からない状態に耐えるということが生きることなのではないか』(原文ママではありません)

ということをおっしゃっていたのです。
私はすごく腑に落ちて、しばらく目を閉じていました。

やっぱり、そんなにすぐに自分の目に見てわかり、そしてさらに他人にも示すことのできる結果などでません。
もし、そういう結果がすぐに出るなら、それは実はたいしたことではない。

ほんとうに大切なことほど、やっぱり時間がかかる。
数々の見えない変化成長。死ぬほど退屈で、無駄とも思える膨大な行動と思考の積み重ねが、現象化するものです。

(だから、引き寄せとかなんとか考えるよりは、普通に私たちのマーベラスなボディを使って、普通に行動したほうがはやいのじゃよ…)

あまりにも、すぐ結果の出る、見た目はいい『何か』が多すぎる。
それを浅はかだ、商業主義、と思いながらも、毎日瞬間瞬間でそういった広告や宣伝文句を目にしているものだから、見えないところで小さくすり減り、自信をなくしている自分を感じました。

そして、成田さんの話を聞いてさらに感じるのは、
『上がっているのか下がっているのか分からない状態だ』と感じているときは、たいていは見えない領域において『上がっている』『進歩している』ということ。

自分にとって全く新しい未体験領域に突入しているときでしか『上がっているのか下がっているのか分からない状態』とは人間は感じません。
つまり、過去の経験において、比較できる物差しが自分の中に存在しないほど自分が『アタラシイ』状態だからこそ、『正しいのか、間違っているのか、進んでいるのか、退化しているのかわからない』不安定な状態になると考えられます。

それでも自分を信じられるのか。

さらに言うなら、瞬間瞬間、全自分史上『新しい』ことをやって(思考して)いることが『生きる』ことならば、自分にとって『新しくない』ことをやって(思考して)いるのは、すでに死んでいるともいえるかもしれない。

だから、安心して『上がっているのか下がっているのか分からない状態』に身をゆだねていよう。


ハートケアカウンセリング・ユニティ
坂田李愛








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