見出し画像

vol.42 エマ「スカイピースに憧れてYouTuberになった大学生インフルエンサー」

「大学生活をもっと充実させたい!」「やりたいことを見つけたい!」という想いを持ちながらも、なかなか行動に移せない北海道内の大学生に向けた連載企画「Knows」。

編集チームが独断と偏見で選んだ面白大学生の人生をお届けします。今回は第42回目。ゲストは道産子インフルエンサーのエマさんです。

↓がエマさんのTwitter・Instagram・YouTubeです。

高校1年生の頃に趣味として動画投稿を開始したエマさんはYouTubeの世界にどんどんのめり込んでいき、ついに憧れだったYouTuberと同じ事務所に所属することが叶いました。しかし、その後インフルエンサーとして活動していく中で葛藤を抱え、病んでしまいます。エマさんは辛い時代をどう乗り越え、これからをどう歩んでいこうと考えているのでしょうか?

Knowsとして初めてのインフルエンサーの方への取材記事です!ぜひ最後まで読んでみてください!

プロフィール

エマ
札幌生まれ、札幌育ちの21歳。
現役女子大生インフルエンサーとして活動している経営学部生。

・道外の人が北海道に遊びにきたくなるような
・道産子には更に北海道をもっと好きになってもらえるような
” きっかけ ” をエンタメを織り交ぜながらSNSで発信している。

お調子者の小学生

ーエマさんはどんな小学生だったんですか?
「”お調子者”っていう言葉がぴったりでした(笑)。人を楽しませることが昔から好きで、学習発表会でもほとんど主役をやって人前に立っていました。小学生よりも前から歌って踊ったものを親に見せるような明るい子でした。」

ー今と変わらないんですね。小学生の時の印象的な出来事はありますか?「小学5年生の時に、いとこの短期留学についていく形でオーストラリアに行きました。でも当時の私の英語は現地の人に全く通じなかったし、食事も私の体には合いませんでした。2週間しかいなかったのに、ストレス性胃腸炎になってしまったんです。すごく悔しい経験でした。」

ー5年生でなかなかヘビーな経験ですね......。
「そうですよね(笑)。その後、私は地元の中学校の治安があまりよくなかった関係で中学受験をすることになるんですが、この時の悔しい経験のリベンジを果たすために英語に力を入れていた中学校を受験することを決めました。」

ーその中学校には合格したとお聞きしましたが、中学校に入ってからは何に力を入れていたんですか?
「親に勉強するよう言われていたので勉強していたんですが、私は滑り込みで中学に入った身だったので周りに追いつくことができず、悶々としていました。そんな感じでモヤモヤしていたら、3年間なんてすぐ終わってしまいました。」

動画投稿が趣味に

「高1で動画を始めてからは勉強はそこそこにして、ほとんど動画をやっていました。帰ったら撮って投稿して、っていうルーティンを毎日繰り返していました。」

―毎日ですか......。そもそもなんで動画にハマったんですか?
「当時、ミックスチャンネルという今で言うTikTokのようなものが流行っていたので、そこに乗っかったのが始まりです。最初は遊びでやっていたんですが憧れのクリエイターを見つけたんです。スカイピースの2人です。

『この人たちめっちゃ動画面白い!』と思ってファンになりました。スカイピースの2人に会うためにはファンとしてよりも演者として会いたいと思うようになり、フォロワーを増やすことに意識が向き始めました。

毎日投稿を繰り返し、試行錯誤を繰り返すうちに自分にファンがついてきます。そうすることでクリエイターとしての自覚が身についてきたんですよね。そこから『動画を見てくれている人を楽しませたい』という風に気持ちがシフトしていきました。」

スカイピースのYouTubeチャンネル

ースカイピースに会うために自分も追い付こうと思えるのはすごいですね。「一歩間違えれば馬鹿ですよね(笑)。『無理だよー』ってめっちゃ言われました。でもそれが”夢”なんじゃないかなって思います。”スカイピースに会う”という明確なゴールが見えていたから頑張れたんだと思います。

実際にスカイピースに会うためにスカイピースと同じ事務所に入るオーディションも受けました。結局、『今すぐ上京できないなら無理です。』と言われて落ちてしまいました。だから私は札幌で頑張ろうと思っていたんですけど、その半年後に事務所の方から『札幌にいてもいいので』ということで再スカウトを受けたんです。

その結果、私は念願だったスカイピースと同じ事務所に入ることになりました。そして、スカイピースに会うこともできました。」

大きなきっかけとなったテレビ出演

「元々は大学から東京に行こうと思っていたんですけど、北海道に残ることにしました。東京に行って埋もれちゃうくらいなら北海道に残った方がいいなって思ったし、自分も北海道のことが好きだったからです。

『上京しようと思っているんです。』って北海道の人に言うと、『エマちゃんは北海道に残ってよ!北海道にインフルエンサーいないんだから!』って言われることも多くて。それで北海道ならトップ狙えるんじゃないかなって思うようになりました。」

ーでは高校卒業後の北海道での進路はどうやって決めたんですか?
「当時は動画投稿してお金をちょっとずつもらっている状態だったんですけど、これをずっと続けることは難しいなって思っていました。お母さんになってまで同じようなことをやるのは大変なので、いずれインフルエンサーとしての活動を辞めることを考えると大学には入っておこうと考えました。

また、経営や商品開発、企画に興味があったので経営を学べる大学を選びました。」

ーでは、大学に入ってからはYouTube活動と経営学の勉強がメインだったんですね。
「そうですね。ただ入ってみたら、大学の勉強が思っていた以上に忙しかったんです。高校生の時は毎日投稿できていたのに、大学に入ってからはそれができなくなってしまって。『大学生の方が忙しいの!?』って感じですよね(笑)。」

ーそれは驚きですね。YouTube活動はどうでしたか?
「入学してから2カ月が経ったタイミングでSTVで放送されている大泉洋さんと木村洋二さんの『1×8いこうよ!』に出演させていただきました。

内容的には大泉さん達と一緒にASMR*をやるっていうくだらない内容だったんですけどね(笑)。その撮影終了後に大泉さんに『北海道を背負っていってほしい!』『令和の大泉洋になってほしい!』って言ってくださったときは私のスイッチが入った瞬間でした。」

1×8行こうよ!告知動画

―めちゃくちゃカッコいいですね......!
「めちゃくちゃうれしかったです。でもそれからしばらくはバイトをやっていたのでなかなか動画に時間を割けていませんでした。大泉洋さんからあんなにうれしい言葉をもらったのに全然動画を頑張れていない自分。バイトで安定的に入ってくる収入に甘えてしまってYouTubeを後回しにしている節もありました。

『何やってるんだ!自分!』そう思って、大学2年の冬に上司にYouTubeで生計を立てるためにバイトを辞めることを伝えました。そしたら、『いやいや無理でしょ(笑)。今仕事あるの?』と言われて。

確かにその時は仕事が沢山あったわけではないけど、バイトを辞めて動画をたくさん出せば仕事が来ると信じていたので改めて辞めることを決断しました。」

開拓、病み、そして希望

ーその行動力と決断力、本当に凄いです。
「辞めた後になって、『あれ仕事ないぞ......?』と気付きました(笑)。バイトで貯めてた貯金を切り崩しながら身を削って動画を作る日々でした。

貯金も無くなっていくし仕事も見つからない状態が続いたので、自分から企業に営業をかけに行くことにしました。自作のパワーポイントと名刺だけをもっていろんな会社に行きました。

『PRできるんですが、何かPRしたいものありませんか?』

とにかく沢山動いていたらある程度仕事はもらえるようになっていきました。それでも動いている割に仕事につながる数はごくわずかです。これが大学3年生の6月頃なんですが、この時期から気が滅入り始めました。」

―病んでしまったんですね。

「自分で営業活動をするために所属事務所との契約を変えたんですけど、その影響で専属のマネージャーが外れることになったんです。だから、私は企画から撮影、編集を全部1人でやらなければならなくて。

悩むときも踏ん張らなきゃいけない時も1人だったので、抱える量が大きすぎて病んでしまったんだと思います。」

ー1人で全てをやるのは本当に大変なことですよね。
「一生懸命に色々と試行錯誤して動いても、登録者は減ってしまって、自分の方向性を見失ったし、人から何を求められているのかがわからなくなりました。そんなタイミングで種市君*と出会いました。

種市君に『人に求められていることじゃなくて自分の好きなものを作ってみたらどうですか?』って言われたんですけど私は何も答えられませんでした。そこからいくつか質問が続いても何も答えられない状態が続きました。でもその次に飛んできた質問がすごく意外だったんです。


『じゃあ、好きな色を教えてください。』って。


そこからどんどん深彫りをされて服が好きなことを思い出させてくれたんですよね。『じゃあ服作ってみなよ。』と背中を押されて服を作ることにしました。」


ー怒涛の展開ですね!
「その経験からお金や登録者だけじゃなくて、やりたいこと先行で動けるようになりました。すごく気が楽になったんですよね。お金は大事だけど、そればっかりで頭でっかちになるのはやめよう、と。

それから、テントサウナに行く機会があったんですけど、そこでRioさん*という大人の方と出会ったことによってどんどん北海道内の面白い方との出会いが増えていきました。

今まで、北海道でインフルエンサーとして活動している人・同い年で同じような活動をしている人がいなかったんですけど、Rioさんを起点に北海道のために頑張ろうとしている方たちのコミュニティの中に自分の居場所を見つけることができました。

左から種市さん、エマさん、Rioさん

そして病んでいる症状も治っていきました。 ” 出会い ” がきっかけでした。」

サウナ動画 

拝啓、未来:


「あ、Knowsの記事に書いてほしいことがあります!」

ーなんですか?
「インフルエンサーってキラキラしてるし魅力的な仕事に見られるんですけど、フォロワーがいてこそのインフルエンサーなので、フォロワーがいなければインフルエンサーとしての価値ってあまり無いんです。

私自身の価値じゃなくて、私がフォロワーを持っているという価値を評価されている。でも、RioさんはRioさんだからこその仕事をやっているなって思ったんです。

だから私もインフルエンサーとしての活動も続けながら、インフルエンサーとしてではなく私本人だからこそできることをやろうと思って、この2つを両立させようと思ったんですよね。

でもインフルエンサーという肩書を取ったら私に何が残るんだろう?病んでいるときはずっとそんな悩みを抱えていたので、それをRioさんに話しました。

そしたらRioさんは私を色んな人に紹介してくれました。そして紹介するときは必ずインフルエンサーとしての私のことだけじゃなく、私自身の想いについても付け加えてくれました。

そのおかげで色んな方が私に仕事を依頼してくれたり、私の内面を評価してくださったんです。次第に私の心は回復していきました。」

左からエマさん、Rioさん

ーインフルエンサーとしての葛藤を教えてくださりありがとうございます。きっと現代の若者にとって(インフルエンサーじゃなかったとしても)共感できる内容だったんじゃないかと思います。

今後の展望とメッセージ

ーでは、エマさんの今後の展望を教えてください。
「いつかは自分で事業をやりたいと思っています。そのために今は、自分のやりたいことを探しながら、働けるような環境のある会社を探しているところです。

大学生活は残り1年です。北海道のインフルエンサーとして自分にしかできないことを発信していきたいです。”自分にしかできないこと”にこだわりたいです。

色んな人に出会って、色んなことをして、その中で面白そうなこと・自分にできそうなことを常にやっていけば、きっと1年後も後悔の無い生活を送れているだろうと信じて頑張ります!」

ーでは最後に、想いはあるけど動きだせない大学生に対してのメッセージをください。
「とにかく人に会ってください。何もできないとか動き出せないとかって当たり前だと思うんです。私も折角の人生なのにダラダラして過ごしてる時間が嫌だな嫌だなって思っている時期がありました。でも冷静に考えたら、私たちってしょせん大学生なので、それが当たり前なんですよ。

出来ないことに対して不安になって動けないのが前の自分でした。そうじゃなくて、自分にできないことを認めた上で、人生を楽しんでいるような面白い大人の集まるコミュニティに参加したり、SNSで色んな人に声をかけて話を聞いてみるのがオススメです。

若者の想い・悩みを大人は喜んで聞いてくれるし、嬉しく思ってくれるし、協力してくれます。色んな人に出会って、色んな価値観に触れて欲しいなって思います。」



以上でインタビューは終了です。

趣味で始めた動画投稿の世界でインフルエンサーとなり、様々な苦労を経験し成長してきたエマさん。インフルエンサーとして北海道を面白くすることも、エマさん本人として自分のやりたいことに挑戦することもどちらも骨が折れることだと思います。

でもエマさんの話を聞いていたらどちらも叶えられるんだろうなと簡単に想像ができました。これからのエマさんが楽しみです!


エマさんの人生を書いたこの文章から何かのきっかけを得てもらえたら嬉しいです。最後まで読んでいただきありがとうございました!

取材・文:金子(Twitter

よりよい記事を書くためにアンケートへのご協力をお願いいたします!


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?