見出し画像

快感の回路構築と物量作戦

最近、書くことが楽しくて仕方ない
「堰を切ったような」という表現がとてもしっくりくるくらいに、きもちいい


もともとわたしは大量の文章を日々浴びて吐き出して暮らしているような子供だったのですけれど、数々のダメ男遍歴やブラック勤めを乗り越えているうちに、いつの間にか書けなくなってしまって10年以上経ちました。そんなわたしが、ようやく、言葉を取り戻しました。


言葉が、思考が、大好きです。

書けなくなっていた期間も、めいっぱい足掻いていました。
立ち上げては放置したブログは2桁以上あるかもしれません…

そのわたしがいま、育休という「自分で生きる時間」を取り戻したことで再びこの手に活字を取り戻しています。干からびていた水槽に水が溜まって、やっと動ける!!とおもったら水量が半端なくて溜まっただけでは済まずにあふれだしてヤッホー濁流!!誕生おめでとう!!よかったね!!!、そんな気分です。

考えて、感じて、調べて、理解して、言葉を紡ぐ
そのために脳味噌をブンブン回す
…これ以上の快楽がこの世には存在しますでしょうか?


アーサー・C・クラークもSFを麻薬に例えたといいます
好むように脳味噌を回している間には、脳内麻薬も分泌されるといいますしね

もしもこれが本当に麻薬であるならば「初回にはどぎつい快感が直接脳内に与えられるがそれを体が記憶してしまうため初回ほどの快感を得ることは2度となく、1度目の快感を覚えているからこそそれを何度も味わいたくなり、また手を伸ばしてしまう…1度目の快感は2度と手に入らず、繰り返すほどに快感は減退してい」くという現象も同じように起こってしまうのでしょうか?

そこが、化学物質の恐ろしさであり、地道な人間活動の優位点です


じゃあ麻薬ってどんな感じさ

人間の脳内に限らず、全ての生態活動は化学物質=用途別の特定の分子を介して行われています。この分子がここにきたらこういう反応が起こせ、というメッセージや暗号がわりになっているのがそのような物質です。


刺激を受けた神経「お。連絡が飛んできたぞ。(◯)製造量アップや!」
運んできた血液「おーい!(◯)がたくさんできたから受け取ってくれやー」
脳細胞「了解!きゃっちー!ウハーーー!興奮、俺は興奮してっるぞー!」×特定の細胞が手(レセプター)で受け取った(◯)の量だけ


っていうのが普通の快感のルートなのですけど
これが、麻薬ーいろいろ種類はあるうちのわかりやすいやつーだと直接血管内(強烈に一気に)や粘膜(すぐに血管に移行するけどちょっと遅くなるし緩やかに始まるし少し減る)に神経が生産しえないような大量の(◯)をどっかーーーんといれることになるので…


血液「うわーーー!!いきなり大量の(◯)が!!でも持ってくしかない!」
神経「…ん?」
脳細胞「うあ、うがれれれえおれれはこうこうふんしてしてうっきゃーー!!あああ、手が足りな、あああひゃっひゃああああ!!」「えええふだんはこんなのじゃああああなんでわたしもあひゃてがたりああああ」×特定ではなく広範な脳細胞の各々が受けた(◯)の量

と、いうことなので、脳の限界量を超えかねないくらいの途方もない快感を一瞬で味わえると教わりました。簡単に言ってしまったら普段はコツコツちょっとずつ報酬として使われている機能を物量でブチ流す!!みたいな感じです。めちゃくちゃえげつない。


この突然の膨大で巨大な刺激にさらされた脳細胞は慣れちゃうんですよね。

単純に、大きな刺激が来たことによって「手(レセプター)」を増やすということもします。要するに、初回の怒涛のように流されて翻弄される濁流状態にならないように体がちょっと準備しちゃう。「ありえなかったもの」が「ありえたもの」とされて準備される。だから、2度目はいちどめほどの快感にはならないといわれているし、日常の快楽は小さすぎるもののように感じられてきてしまいます。もう薬物でしかきもちよくならなくなっちゃうことすらある、恐ろしい…


一方、人間活動では

純粋な人間の活動としての通常得られる快感っていうのにはそういう途方もない力で押し流す(物理)ということはできません。地味に、地味に少しづつ報酬系を脳内に組み立てます。ひとつずつ、『これするときもちいよー』を形作っていきくのです。それがうまく機能していくと、きもちいいこと、が増えていきます。地味に、ジリジリ、効率的にきもちいいを増やしていくのです。好きだからきもちいいのか、きもちいいから好きなのか。そのどっちでも、どっちからも、脳内の報酬系は充実していきます。ちょっとづつ、その枝葉と可能性と量を増やしていくのです。

実は、これはこれで、恐ろしい
やったことは、やっただけのこととして脳内に刻み付けられていくんですよね

要するに、エロマンガを読めば読むほどエロマンガ的なものの見方が身につくし
携帯ゲーをやればやるほど、携帯ゲーム的な思考方式が身につくのです

よくいうじゃないですか1万時間の法則って。
あれは万事に当てはまるのです。
しかも、プレイヤーとしての1万時間はプレイヤーとしてのものでしかないので
エロマンガ1万時間読んでも書けるようにはならないし
ピアノを1万時間弾いたら弾けるようになるだろう
あたりまえのこと、なんだけどね

以前書いた「意識的に美意識を持って選択すること」にもつながるのですけど
その時その時で選択して積み上げることによって、自分自身が形作られるのです


つまり
麻薬は、それを全部物理で破壊する津波に近いようなものでもありうる、ということになります(もっとマイルドなものがあったり、容量によって違ったりもあるだろうけれど、極端な濫用ではこうなりますという机上での話ですけど)

そういうはなしをしただけで、そりゃ恐ろしいわ…ってなりますよね


要するに普段からきもちいい、いい塩梅の暮らしをしたいと思うなら
ひとつひとつ快楽の体系を構築していく必要があるということになります
だから人間はどうしても「コツコツやっていく」しかない生き物でもあるのです


で、わたしはコツコツが得意ではない。
興味のないことはできず、飽きてしまうと脳が停止してしまうのでほんとうにできないので、そこが本当に困りどころなのですけど、幸いにしてこの「書くこと」について、「調べて知ること」についてはちっとも飽きることがなく、それこそコツコツとすこしづつ、ずっとやってきました

きちんと本を読んで楽しむことすらうまくできなくなっていたし、全く書けなくなっていたし、「半端にしかできない」のがつらくてくやしくてたまらなかったのにそれでも書こうとしてきたのは書きたい気持ちがずっとあった証拠だし、ずーっとずーーっとジタバタしていたのはたしかに「この快感が忘れられないから」でもあったのです。それまでの人生で一番気持ちの良かったことがモノカキであったからこそ、つみかさねて作ってきた快楽の回路が残っていたからです。コツコツできる可能性のあることでだけ、ひとは快楽を求めることができ、また                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   解放され得るのかもしれません。


…おかえり、わたしの力強い尾鰭。きっとこれで、海までも泳ぎ出れるような気がします。というより、我慢できなくて泳ぎに行っちゃうんじゃないかな、と、とめどなくわくわくしています。


失った時間は、戻りはしないけれど
その代わりに積み上げてたのもロクでもないものばかりかもしれないけれど

それでも、言葉は、好きなのです


きみたちへ

ぽんちゃん、ぽこちゃん
君たちは、何をきもちいいと思うんだろうね

そのきもちいいが楽しく世界をわたることができるようなものであるならば、かーさんは助力を惜しまないよ。思う存分やればいい。

そして、それが正しい選択であったか惑わない程度には、いろんなことに手を出すのもいい。


間口は、広ければ広いほど可能性は広がるのだから。


そんなことを考えながら、きょうもかーさんは可能な限り、文字をこねながら、いきているのでした


いただいたサポートはなんか面白いことにつかいます!