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美意識というものの効用


思春期に一番わたしがとりつかれていた概念が、まさに「美意識」というものだ
澁澤龍彦、ボードレール、嶽本野ばら、きいち、吸血鬼にハリネズミのジレンマ
ロリータ、ゴシック、シリアルキラー、SF、ハイファンタジー
血は流れて、高貴な血筋が衰退して、一族は滅ぼされ最後の1人になり
鉱石は宇宙の光を纏って発光して孤独の中で美しい物を愛でて枯れていく自分…
その他もろもろ、通り一遍の自己陶酔系サブカルは経験済みです

ずいぶん長い思春期で、随分と手を広げすぎて、随分と貧乏で随分と深く、
それでいて大変になんちゃってだったと若いじぶんを微笑ましく思いますが
もちろん厨二的だったりアレだったりなものも多くありましたが
あのころに積んだ経験のすべてが私の基礎となっているのは間違いなく
ここで得たものがかなり大きな自分の財産になっており
その中でも特に大きいと感じられているのが
今回話題に挙げている「美意識」の感覚を身につけたことです


そもそも「美意識」ってなに?

『美意識』
美に関する意識。美しさを受容したり創造したりするときの心の働き。
                                                          デジタル大辞泉 コトバンク

辞書的にいうとこういうことなのでしょう

「美に関する意識」って言葉としてはものすごくおおきい。
だって、相手は「美」です。万物の中にありえ、万物の中に宿っているもの…
そして、個々人で味方も捉え方も全く違ってもおかしくないもの…
それに関する意識ってことは生きてる間は常に発動してなきゃいけなくなります
そして、確かにそれは、そうなのです
美意識、って、そういうものなのです

人生を、生活を、思考を、行動を貫いて存在する/させうる意識なのですから

美意識とはなんなのか、どういうものなのか
簡単にそれを説明できそうなモデルケースはやはりルパンです
そう、あの、ルパン3世です。
そもそも歌っています(主題歌だから当人たちが歌ってるわけではないけれど)
♪男のー、びーがーくー♪

「美」というとちょっと違うように感じられてしまうかもしれないけれど
「カッコイイ」もひとつの美のかたちです
彼らは、自分たちがかっこいいと思うように、カッコよく生きようとしています
(「カッコイイ」って言葉がカッコ悪いとおもってそうですけど)
意識的にか、もしくは無意識的にか
カッコイイかどうかを自分で判断してカッコよくあろうとしているはずです
(鏡を見て調整したりしないでカッコよくタバコ吸える人っていないと思う)
それこそが「美学」であり「美意識」とは「美学」を存在させるものです

そして、美学があるからこそ、美しく(カッコよく)理想の自分を描けます

じゃ、「美学」って?

『美学』《aesthetics》
1 美の本質、美的価値、美意識、美的現象などについて考察する学問。
2 美しさに関する独特の考え方や趣味。「男の美学」
                                                                   デジタル大辞泉 コトバンク

美しさに関する独自の考えや趣味。
ようするにとっても個人的な趣味趣向のことです。
すきなもの、良いと思うもの、行動を自分自身の周りに置いて
それらを自分の中にも貯めていけば、自身と周囲が望むようなものになって行き
そのように自身が真に自分の望ましいものになっていくなら、
生活や人格もまた、「自身の望ましいもの」へと近づきます

たとえそれが、多数派が眉をひそめるようなものであったとしても
その人個人がそれを望んで積めば、そのようなひととなりになるのです

殺人欲求、人を殺すってかっこいい!みたいな美学が自身にあったとして
その欲求のまま人を殺せば殺人者になり、殺人者として生きることになるが
それを自分で拒絶して他のものを選択すれば真人間として生きていける…
そのような諸刃の剣になりうるのが、美学であり、美意識だと思うのです

自分自身の判断でかっこいい、素敵、うつくしいとおもえるものならば
それがどんなに間違っていても、おろかでも、美しく素晴らしいものでも
実現して自分のものとしていけば自分の中の最良のものに近づくことができます
そうして形作っていくのが、己を貫く美意識であり、
すなわち、その美意識は半ばイコールで自分自身になるのです

そして、美意識は個人個人では自由に設定して持つことができます**
「自分以外の誰にも触れることのできないもの」といってもいいかもしれません
別のお話でまた書くことになると思いますが
**自分の中の意識と価値観は自分が許可しなければ変更には至らない
のです
すべて、自分で選んで、自分の感覚で採択/決断していかなければなりません


その、採択や決断を意識的にするかどうかで、人生の価値は大きく変化します

「自身で選んで存在させる=自分の周囲にあるものの成分調整をする」ことが
個人の生き方においては大きな意味を持ちます



なんでそんなこと言い出したかと言いますとね

ちかくに、この辺では珍しい美しいオーセンティックなバーがあるのですよ
何故かちゃんとした鉄板もあったりしてしっかり調理もできる、
半地下で対面型カウンターのみ少席数のバー。
オーナー兼バーのマスターは画家もしている方で、音響もしっかりしています
そこは昼間に他の人に店を貸してカフェとして営業してるのですけど
最近、入ってるカフェが変わりまして

前のカフェの時は、バー自体の美しさを最大活用して、手元まで見せて
完璧に周囲の環境や状況に配慮して演出するやり方をしていたんです
何もかもをきちんとして、高級感のある大人の空間を作り上げていました
提供する食事も豪快にフランベするハンバーグやサイホンコーヒーで
シルバーは磨き上げ、食器や盛り付けも美しくしようという意識が感じられ
カフェのマスターの意識と意志が張り巡らされているような心地よい空間でした
知り合いの店の未使用時間を借りての営業開始だったと言うことで
そもそもその店の雰囲気自体を愛していたというのもあるかもしれません
(実際喋るとまた雰囲気が違ってそこも良いのですけれども
(現在はもう少しフランクな雰囲気で自店舗を持ち独立営業されています

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今回間借りされている方々は、そうじゃなかったんです
せっかくガラス張りになっているカウンターにはメニューを立てかけて全目隠し
シルバーもその他食器も色々な見えるところに多く無理やり置いてあり
きているものも普通に普段着で
この場所である必然性を全く感じないものになってしまっていました
メニュー表や商品は似合うような工夫はされていましたが
細かく、しかし明確に「その場」を崩すしつらえが散りばめられてしまっていて
ほんのり流れていたその場の「ピンと張った緊張感」が消えてしまいました


確かに、「保つこと」は難しいかもしれません
いいと思っていたのはごく少数の人間、もしかしたらわたしだけかもしれません

でも、前任者となにが違うのかな、と考えながら現オーナーとお喋りしていて
ああ、美意識の大きな差があるんだ、と、おもわされてしまったのです


では、どう扱えばいいのか

現オーナーは元のお店のお客ではなく、なにも知らずにいい条件ということで開店したらしいので、その差は単なる「愛」や「思い入れ」の差なのかもしれません。

愛や思い入れの深さ強さは個人個人で異なるのもあたりまえのことですが、
その「愛したもの」を、どう扱うか、どう尊重するかにこそ、美意識が大きく関わってきます


そこをいいと思って、保ちたいと思っているのかどうか。
その場所のなにが欲しいのか
そもそもそこにはなにがあるのか
そういうモノやこと、空気感、歴史や物語…
そのようなものの価値を感じて判断する指標が美意識になります

通常から、自分にとってのいいかんじやなかんじの価値判断を自分の中に持ち、
その判断基準を日常の生活や直接/間接体験を通じて育てていくことで
より多くのものに価値を感じることができ、
価値あるものの価値を損なわないための判断ができるようになってくるのです

しかし、忘れてはならないのは、それはあくまで自分にとっての価値であり
他人にとって共通に価値が感じられているとは限らない、ということです


人の住む部屋が皆異なるように、人の価値判断は全て異なります

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あるお店が大好きな2人がいた時
ひとりは雰囲気と味が大好きでオーナーは苦手で
もうひとりは、雰囲気は合わなくて嫌だけれど味と音楽が好きかもしれない
この場合、味に対する判断は同じですが
他人が味わっている味の感覚をそのまま知ることはできません。
同じものを同じ色で見ているかどうかも確認する術はありません。
つまり、どういう感覚で好きなのかは誰と共有することもできません


現マスターは、立地と設備と使用料に魅力を感じただけなのかもしれません
でもそれは、今使っている人の価値判断であり
それは彼らが自由に判断・決断・選択するべきところでしかありません
つまり、どうするべき、というのは、存在せず
あるのは「わたしがガッカリしてしまった…」という、わたしの判断だけです
「わたしの美意識でいいと思っていたものは、彼らと共通ではなかったな」
それだけです。


その感情を持った上で、わたしは再判断します。
でもきっとまたいくな、と。
わたしにとっての価値が薄れた状態になってしまったけれども
それでもまだいく価値はある、とわたしは判断しました。
わたしはわたしの美意識に従って判断し、他人は他人のそれに従います

これ以上雑然を持ち込まれるようであればガッカリが落胆になるでしょう
そうなれば私は2度とあのドアをくぐらなくなるでしょうし
それもまた、美意識による選択のひとつです。
なんどといかけてもいい、なんど変更してもいい
基準自体を変更してもよいのが、美意識です
意図せずとも環境や周囲に影響されて変わってしまうこともあるでしょう
なんどもなんども、美意識自体と対話をしていくことこそが重要です

説明のつかない好き嫌いを、貫くことによってひとつの態度と成す
それとしっかり向き合いよりよいよものとするための手綱を握ること、が
自分の中に美意識を持つこと、なのです



美意識/美学を持つということは

まとめてしまうと
意識的に好き嫌いやいいかんじを自分に蓄積していくことで目ができて
目ができれば、周囲や自分の中を好きなものでいっぱいにすることができ
それによってさらに自分が望む世界に生き、望む自分に近づくことができる
ということです

そして、残念ながらその感覚を人と完全に共有することはできず、
そのかわりに自分にしか触れない自分だけのものとして存在するので
自分だけのものを、自分にしかできない自分を構築することになります


完全な共有はできなくても、共通項や許通認識を増やすことはできますし
にかよっているのなら一緒に行動する友人や恋人にもなれるでしょう

でも、それを望むのであれば相手にそれをみてもらう必要があり
また、自分も相手のそれを見極める必要があります

目を育てて、自分の中にある程度以上構築しないと
他人に分かってもらうことも、みてもらうことも、難しくなります
もちろんそんな状態では似た存在に出会うこともできないのです…


自分の体験から言えること…

わたし個人の話ですと
10代の頃は締め付けと支配と管理と過干渉が激しくかつ貧乏だったので
自分の中の美意識として目は貯めていたのですが、実践は伴っていませんでした
親に言われるままのものしか手に入れることができず
「好きなもので自分をかこむ」が存在するとも可能だとも思っていませんでした
散らかり尽くした家で、誰かの選んだものだけに囲まれて育ちました
(何せ初めて自分で服を選んだのは18の時。
(はじめてちゃんと自分で選んだものだけで着たのは27くらい)

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それだとね
自分の好きなところでは生きられないのですよ
親の選んだ服を着て、親の選んだものを持っているだけだと
わたしは他人に親の選んだものしか見せられないのだから
その中で選択していたとしても、別の枠の中にある自分の枠でしかない…
人は他人を目で見た印象で分類してしまうから自分の選んだものは大事なのです
他人の選んだものだけ纏って誰かの前に立つのは失礼に近いこともありえます
衣装は意思を提示しうるし、衣装によって決定することすらあるのです
なぜなら「選んだものは、美意識を表示する」から
自分自身で選んだものを身につけることで、自分を提示することになるのです

結構な歳になってから自分で服を選ぶようになって、そのことに気づきました
自分の価値観、自分の人生を生きていなかったことに、気づいたのです
過干渉という搾取から逃れようともがきはじめたのはそのあたりからでした

好きな色ひとつ選ぶだけでそれはえらんだ本人を表現することになります
すくなくとも「着るものにこういう色を選ぶ人」と提示することになります
そして、それを着る自分を客観的に見て、その姿がいい感じかどうか判断します
その姿をいい感じであると判断した、と提示していることになるのです
そう、服を着ることは、自分の美意識を提示することと同じなのです
だから、好きなものを選んで着ていると、自分を人に提示することになり
そういうものが好きな人に出会えるため好きな感じの人に出会える確率が上がり
同じものをいいと思える人と関わる率が上がると、さらにいいものに出会えます

わたしは、若いころにそういう経験+表出をしてこなかったので
自分の好きなものに囲まれる感覚を後から知ることとなりましたし
いい仲間や友人に出会えるきっかけも相当失ってきているのだと思います
それだけではなく、好きなものを表現して生きていなかったので
満足度の高い位置をいまだに決めかねて手に入れていないフシがあります
が、子供の頃に美意識を成立させるところまでは成功していたので
なんとかここまで、いきてこれました


きみたちへ

だからね、ぽんぽこちゃんよ
君たちには早いうちから好きなものを着て、すきなものを所有して管理しような
世界を好きと嬉しいでなるべく満たしていくことができるように
嫌や嫌いもできれば楽しいに変換して仲良く住まわせられるように
君たちの手で、君たちだけの世界を、君たちの中に作っていけるように
そして、広く世界に「これがわたしよ」って堂々とニコニコといられるように

そんなことを、この日のかーさんは、考えていたのです

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