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あの店への、追憶のような追悼のような

またひとつ、すてきな場所がきえてしまった

とても大好きだった場所がまた一つなくなってしまったらしい
荷物を運び出している最中なのを見たと連絡が入ったのだ

すっごくいいお店だった
抜群にうまくて、なかなか食べられないものも食べられる本格中華の店で
こぢんまりとフレンドリーでサービスもとてもよく
でも、申し訳なくなるくらい安くて、会計のたびに聞き返してしまった
「えっ?こんなに安くていいの?」って
店主はいつも「いいのいいのよ、喜んでもらえればそれで」って毎回。

そんなお値段なのに、頼んでないサービス品まででてくる。

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だから


「荷物を運び出している」と聞いたときに
「ああ、安すぎたからか、、、」と瞬時に思ってしまったんですよね
業績↑↑で、栄典的移転というのも考えられるのに…(まあこの頃空いてたけど)

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何せあの店は安すぎた

どれくらい安かったかというと、
3人でたらふく食べて、6−7品頼んでドリンクなしで4千円前後でした
ランチも夜も値段は変わらず、酒もチェーン居酒屋より安いくらい
そして、15席に満たないのにいつも空いているし、閉店は1930とはやい
味と品質で評価は高いのにランチどき以外は閑散としていて心配だったのです

そこを知る人は皆、あの店はすごいいいと言います
ちょこちょこ通っている、とも
店の内装、雰囲気自体は小綺麗な感じとは遠いチープチャイナな感じで
女性客がたくさん入るようなところでは決してありません

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旦那さんが1人で切り盛りしていて、時々奥さん(中国人)が手伝っていました
1人でやってるのだとしてもこんな客数で本当に大丈夫?って思ってました

ずっとあって欲しい店だからたくさんいかないと!と思ってはいたのだけれど
そこの名物料理が唐辛子をゴッツリ使う辛いもので空気が辛くなってしまうので
さすがに乳児ポコちゃんを連れていくのは気が引けてしまい
さらには夫の休みはほぼないので、足が遠のいていたところでした
本当に残念です。

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コストがパフォーマンスするものって、なに?

コスパ、って意味ではあそこはものすごかったです
あんなお値段であんなにうまくたくさん、あんなに本格的なものが出てくる

先ほども書きましたけど「こんなに安くて申し訳ないくらい」だったんです
それもひとつの、足が遠のく理由であったのだとも思います
あの値段の1.5倍…2倍でも、わたしは好んであの店に通ったかもしれません
そのぶん、お店がきれいで心地の良く、新メニューができてたりしたら
そのぶん、店主があんなに疲れて見えなければ(最後の方)

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あの店は確かにすごく美味しかった。素敵な店だった。


でも、それ以外にあの「安さ」が皆に見せていたもの、ってあると思うんです

あの店で飲み会やハレの日のお祝いはできませんでした
美味しいものは食べれるし、素敵な気分になることもわかっていたけれど
「あそこでいっか」が、どうしてもついてきてしまったからです。
「あそこがいいな」と「あそこでいっか」の絶望的な差
そこには「適正な価格であるかどうか」というのも、加味されてしまうのです

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コストは、結局、「その商品の価値」でもあり(一面ではありますけど)
その店自体の価値にもなってしまいます
どんなに美味しくて素晴らしくても
1食500円以下の食事は松屋吉野家と似たカテゴリーに入ってしまうのです
サイゼリヤはおいしい。確かに美味しいし、雰囲気も悪くないかもしれない
でもお祝いをサイゼリヤで!となるとどうしても意味合いは変わってきてしまい
「分かってる人」しか喜びません(もしくは若者や子供、学生など)

そこでかかるコスト、は
その店で提供されるものの価格であり、分かりやすい価値の基準なので
コストこそが、客からのカテゴライズ/第一印象を決定するのです

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そして、あの店は最後まで小綺麗にはならなかった
きれいにするためのコストをかけていなかったのでしょう
あとちょっとだけ、手か時間、お金をかけてきれいにすれば、
人からの見え方は大きく変わったはずです

前回の話題とも重なりますけど
人に見せているもので、人はそれを判断します
「安さ」を見せている店では、「安い店」としか見られないんです

気付いてたんだよね
あれ?あの店ちゃんと回ってないな、って
半年くらい前に。
ウリのはずの餃子がさ
ちょっと酸味出ちゃってたんだよね

ああ、やばいのかもな、ってあのとき思ったんだ

でも、だからこそまたいかなきゃ!にはならなかったの
またこれだったら嫌だな、って方が先に出た

それって多分あそこの価値は味だけ、だったからなんだよね私には
雰囲気とか居心地とか、もう一つくらい、引きがあれば違ったかもしれないけど
安すぎて居心地が悪かったのも、あるんだ多分。

私は、たまにしか出れない外食なら安い店でご飯を食べたいんじゃなかったんだ

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ああ、またたべたいな、辣子鶏


爆裂的に辛いのに旨い、あの鶏料理。
うちで作るのは絶対無理な一品(空気が辛くなるから)

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どこかでまた出会えても「あの味とはちょっとちがう」って絶対なるやつ
どんなに高い店でも、きっと、そう思うだろう

「誰かがそう思ってくれるだけで満足でしたよ」って、おっちゃんはいうのかもしれないけれど、わたしは絶対そんなの許さないからね。悲しいし、悲しかったし、残念に過ぎるんだ。自分だけ満足しようったって、そうはいかない。それはいけない。満足したってごまかそうなんて、僕は絶対、許したくない。

だから絶対忘れられない。


どっかでまた会えたら恨み言をボソボソ呟いてやる。
来なかったお前が悪いんじゃねーかとかなんとかおもってくれてもそれでいい。


きみたちへ

だからね、ぽんぽこちゃんたち
自分を安売りしちゃいけないよ
むしろ、高く売りつけていったほうがいい
自分で見える自分のアラは自分にとってだけのアラかもしれない
あなたたちは、あなたたちで取れるだけ、適正に取ろうとして行ってくれ
そして、それによってもっともっとをめざしておくれ。

皆が安く売ってしまったらね、ちゃんとした価値を提示できなくなってしまうの
だから、皆が皆を適正に判断するためには、
適正な価格を適正な努力の上で請求して行かなければいけないのよ


安く売ったおかげで、あれが本当はやりたいのにできない、とか

そのおかげで適正に暮らせないで我慢しているとか
そんなの、誰も幸せじゃないわ

頑張ったなら、頑張っただけ、自分に価値を、つけてもいいの
価値を認めてくれる人はそれだけのものを払ってくれる
安くつけてしまったら、それだけの価値しか認めてもらえないんだよ
(反対に、高くつけすぎたならその分の請求は降りかかってくるけどね)

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今日の夕飯は、餃子にしようと決めました
ため息つきつつ、食べるでしょうね

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いま思ってるこのことと、この感じ
絶対忘れてやらねーぞチクショウー!

きょうも、かーさんは、いろいろ考えたりキーってなったりしながら、いきているのでした。

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