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4年後の自分に送れるメール


Twitterやfbで、『4年前の自分からメールが届いた』という話を見かけました。
このサイトを経由してメールが届くようで。

ポストペットやボトルメールなんてものは過去の遺物になりましたが、同じようにメールでどうこうするサービスも残るものは残るのですね。LINEやチャットの短文や画像動画文化がメインになりつつある現状での、あえての「メール」っていうところに心惹かれて書いてみようと思ったのが閏日夕方。今回よく見かけたところは2/29にしか使えないサービスのようなので、もういっかなー、次にするかなーと思いかけましたが、昨日、布団に入った後でふと思い出しまして。書いたとしたならなにを書いてたかな…と考えたら、パッと目が覚めてしまいました。

やっぱり書いておこう。
これは大事なことな気がするぞ…

スマホのいいところは、寝かしつけが終わってても布団にいないと起きちゃうぽんちゃんの横でも見れるしかける、ってとこです。よしよしふむふむ。真っ暗な中、娘の寝息を傍に、フリックフリック!したためます

この時点で既に2/29の23時を回っていましたので間に合わず、結局サービスはこちらを使いました(ここはここで、匿名公開を選ぶことができて、それは書籍化されているとか。おもしろーい!)

実際かいてみたら、すごく気持ちのいいアンカーを得たような気分になりました


ちょっと前に誕生日もありました

誕生日は数日前。もう結構な年齢になっているので、単なる喜び以外の感情が出てくるのも当然かもしれませんが、今年はなんだか特別な感じがしています。ぽんちゃんが自主的に「おかーちゃんにおうたうたっておめでとうするの!」って言ってくれたりしているのもありますけれど、やっぱり育休中という自分が自分であり、さらに赤子育て奮闘中というケモノに近い状態でおりますゆえ、なにやら考えたり感じたりしていることが通常と違ってクリアで即自的でシンプルになっている感があるのです。今だからこそ、考えれられること、感じられることがあることを肌感覚で知っています。

4年

4年って、絶妙な期間だと思いませんか?

1年、って結構すぐだし
2年も多分、気付けばきてしまう近さ
1年は歩いて行ける駅前、2年はバスで出れる駅、みたいな
3年になってしまうと、中学1年から3年
少し遠さが出てきましたけど、3年間はひとかたまりにみえます
近くのちょっと大きい急行の停まる駅に行くみたいな
日常ではないけれども、非日常でもないくらいの期間に思えるのです

ところが4年になると
大都市の中央駅くらいの感覚
「日常」のエリアのちょっと外に感じられます

中高の卒業はすぐだったけど
大学の卒業は時間的には小さく感じられても、やっぱり中高よりは遠かった
そんな感覚が残っているのかもしれませんが
4年、ってちょっと手を伸ばして届く範囲の外のように感じられる期間ですが
5年よりはちょっと短い。

5年、となると、さらに5年後は10年です。
10年後の自分!を考えると節目感もあってとても遠く感じます。
だって「年代」も確実に跨ぐんですよ。
10年後、って考えると、、、、なんだか大きな話をしてしまいます
5年となるとその感覚からは逃れられません。
明確な遠く=10年の半分である5年は、10年の子分として存在してしまうのです
そこで4年。
近すぎず、遠すぎず、想像の中だけれど、ちょっと一歩ではないところ。
何かしてしまっていても、手遅れにならなさそうなギリギリの期間

4年、やっぱり絶妙です


そんな4年後を考えてみたら

なにをしているのか、ビックリするくらい確証が持てませんでした
今人生に色々迷っているというのもあるのですけど
そのころぽんは6歳、ぽこは4歳
まだそんなちいさいのか!?と、そんなにデカくなるのか?!が同時にきました
2人とも、喋ってるだろうけどまだ1人でできないことが多いだろう…
後4年もこんな生き物とイチャイチャ暮らせるのか!楽しみしかない。

そして?けれど?誕生日を迎えたわたしはゾロ目になってしまいました。

ゾロ目。

やばい。

ゾロ目です。


やばい。

なにがやばいって、4年経ったら「人生後半戦」っておもいはじめちゃうあたりだ!!やばい、これはやばい。やばいしか出てこない程度には慌てました。ヤバみがやばくてやばさがやばすぎにやばくて、やばい。

マジやばい。

現状、正直自己実現はほぼしておらず、やりたいこともしておらず、仕事は好きではなく、人間関係もうまく構築していないし、家庭もうまく行っていませんし、業績も実績も成し遂げたこともぜーんぜん、ない。やばい。まじやばい。

ていうか、3年で、細胞だったぽんちゃんがこんなにデカくなってる。
もう言葉ペラペラでおしゃまなお嬢さんなのに、発生して4年…あと半年とか経ったら完全にオンナノコしはじめるだろうなんだよ。3年やばい。4年まじ半端ないやばい。

っていうか、4年あったら結構色々できるってことじゃね

(☆Д☆)ノ  キラリーン♪

もうね、『今ラストチャンスじゃね?』下手するともう女神走ってこないかもしれないぐらいやばいラストじゃね?感がすんごい切実さを持ってやってきたんですよ。4年後の自分にメールを書こうとおもっただけで。かいただけで。

実際、この世で一番価値のある「取り戻せないモノ」は時間だと考えているんですが、ちょっと大きめの時間のことをしっかり向き合って考えることって、そんなに無かったことに気づきました。

いや、今までとても大きな時間をダメな男に使ったりブラック病院で潰されて使ったりして無駄遣いしまくってきたわたしが言っていいんかみたいなところもあるんですが。でも、だからこそ、時間の貴重さはみにしみています。みにしみてるんだぞ…ほんと、真面目に考えるとそれだけで鬱堕ちしそうな程度には大きな人生の失敗なのはよくわかっているんですよ。

失った時間。自分の愚かさを見つめるのは本当にきつい。

でも、そんなわたしでも単に4年後の自分にメールをするだけだったら、そこまで思い淀まずに書けたんです。これ、結構凄いことだと思います。しかも、ちょっと楽しく書けたんです。快挙です。

考えて、形にすることの強さをまた、思い知りました。またすぐ忘れちゃってぼーっといきちゃうんだろうけどね…でも、だからこそ、定期的にそれを思い出させてくれるってすんごいことだと思ったのです。


4年後の自分にメールをするというのは

「自分にメールをする」というのは「自分しか見ないのにリリースする」ということでもあります。自分の想いをきちんと表現して、考えて、まとめて、相手=自分に流れるだろう時間やひととなりを想像しながら第三者として対話する。それって、セラピーそのものです。考えた人すごい。結構な人が、この試みに救われたり踏み出すきっかけにできたりしてるんじゃないだろうかと思う。

わたしにもかなりおおきな影響があったみたい。
なにがしたいか、しないといけないか、成し遂げたいかが見えてしまった
すごいぞ、わたし。
すごくなってやるんだね!
すごくなってやるぞ!!!
…ってビジョンがクリアになりました。


「ない!」って慌てるってことは
「どこが空欄なのかがわかってる」ってことでもあるから
後はきっと、走るだけ、なのですよね

そして、僕に足りてないのは、こうやって書いていくこと
それはその中核をなす大事なことなので
これからもこうやって、書き続けていきますよ。


4年後。どれほどの記事が溜まっていることでしょうか
どれほどの「人に話したくてたまらないこと」が増えていることでしょうか
メールを書くことができたおかげで、それが、とても楽しげな現実として見えてきました


きみたちへ


ぽんぽこちゃん
きみたちは、やりたいことをやりまくって、やってみたいやしてみたいを、チカラいっぱいめいっぱいとりにいってほしいと、かーさんはおもうんだ。そのためにはどうしたらいいかの相談に、乗りたい

そしてね、かーさんがいちばんしたいことはね
君たちの恋愛の話が聞けたらいいなと思うんだ

男を見る目がえぐれてるとまで言われたかーさんの経験談を、君たちにこそ役立てて欲しいんだ。怖がらせない程度にするけどね。若い時の一年がどれほど貴重なモノか、どれほどのことができるモノなのか、」そして、時間とはどのようなものなのか…きみたちとゆっくりお喋りしてみたいとおもっているよ。

4年後のきみたちにはかーさんはどういうふうに見えてるかな?どういうかーさんを見せてあげられてるかな。そうおもったときに、ふふって笑えるくらいでいたい。

今日のかーさんはそんなふうに、かんがえていたのでした

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