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私のDisenchanted②|ジゼルとモーガン

①はこちら>>私のDisenchanted①|原題は「?」を忘れてる

前作『魔法にかけられて』に続く2作目への「魔法が可能な世界」に関する取り扱いというか、私の一方的な解釈はこんな感じでした。
そうしてはじまる、続編。

ジゼルが、NYでの日常に慣れようと奔走したであろう時間は10年。
そのうえ思春期を迎えこの世界に慣れ親しんだ大人でさえも、心を削ってしまう”ティーンエイジャー”と関わることは、心を病んでしまいそうになったと言われても不思議ではなかった。
モーガンはいわば、「妖精を信じる心」のような物で、幼い頃はジゼルのおとぎ話度が大好きだったし、現実世界の中にもちゃんとそのきらめきを見つけていた。
しかし彼女が”きらめき”を肯定しないティーンエイジャーとなってしまうと、ジゼルが喪失感を感じるのも無理はない。

そう言う意味で、私にとってはジゼルが故郷を恋しく思ってしまうのはとても納得のいく展開だと感じた。

また、そんな中、願いを叶える杖をもって現れたアンダレーシアの王と女王が「アンダレーシアの本当の子に」と歌うのを見て、モーガンはすごく寂しそうな顔をしている。
だって、おとぎ話を信じていたあの頃に、「魔法は本当にあるよ」と現れた大好きな母親との”親子関係”を否定されているからだ。
おそらく、モーガンはジゼル以上に血縁がないことを気にしている。それに明らかに、妹の存在が自分をより阻害する。
モーガンは幼い時からとても物分かりの良い、利発な子供なので、ティーンになってそんな環境でも、妹を虐めたりもしない。ただ、すごく、気にしている。

そんなモーガンのティーンエイジャーらしい葛藤による言動は、ジゼルにとって、この世界で魔法が消えかかっているように感じたのではないだろうか。
だって”だれよりも、おとぎ話である自身(ジゼル)の存在を喜び、受け入れた人物”であるモーガンが、「魔法とか役にたたねぇ」へたをすれば「魔法とかこっちの世界(現実)にはないよ」といった態度をとるのだから。
ジゼルにとっても、「魔法」が消えてしまう危機感が、彼女をパニックに陥らせたとしたなら…ジゼルのあの過剰な取り乱し方は、誰もが納得いただけるだろう。

そして、モーガンは思春期にありがちな、わざと相手を傷つけるワードチョイスをする中でも、最もジゼルにクリティカルヒットする「あなたは継母よ」という言葉を投げてしまう。
おとぎ話において『継母』とは大抵いじわるで、Wicked(悪い)存在なので、ジゼルは「私は決して”(いわゆる悪い)継母”にはならないし、なりたくない」と心に誓い、モーガンを大切に育てて接してきたので計り知れないダメージを受けたはずだ。
最大限のディスをぶつけてしまったのだ。

その反動でジゼルは「現実をおとぎ話の世界にして」と願ってしまう…。

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