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感覚の変化

今まで毎日のように自分がパニックであることを意識し、
パニック症状に気を張り巡らせていた。

でも、だんだんその感覚が
少しずつ薄れてきている感じがする。

症状があってもなくても、
実は私の人生にそこまで強大な影響は
与えてないかもしれない、とふと思ったのだ。

もし私が今、普通に外に出られて
電車に乗れて、何不自由なく移動できたとしても、
そのことが必ずしも自分の幸せとイコールになるだろうかと考えた。

むしろ、
ー外で働かなきゃいけないんじゃないか?
ーもっと活動的に生きないといけないんじゃないか?
など、余計なことを考える要因になるかもしれない。

そんなに外に出られないくらいがちょうどよく、
いまの自分に1番負担がなくて幸せを感じやすい状況を
作ってくれていたのではないか、とさえ思う。

治っていっていることは素直に嬉しいし、
生活面としても非常に助かる。

ただ、だからと言ってどんどん治そうとしたり、
変えていこうとする前に、
「自分の幸せは何か」を常に起点に置こうと思った。

私は今の在宅勤務の形を変えたくないし、
扶養の範囲内で働くスタイルも変えたくない。

たくさん働いて活動量を増やすのは、
「べき、ねば」で考えていることではあれど、
私が本当にやりたいことではない。

SNSに触発されて、のべつ幕なしに色んなイベントに参加したり、
「頑張って生きてる風」
「充実してる風」
「自分を生きてる風」
を装ってSNSでここぞとばかりアピールするのも、
私が真に望む心地よさや幸せを感じるものではない。

今の私が好きな時間は、
好きなゲームに取り組んだり、
好きなゲームのゲーム実況を楽しんだり、
弾きたいと思った曲をピアノで練習したり、
好きな動画をYoutubeで見ている時間などだ。

特別なことではないし、
人にPRするようなものでもない。
だけど、私の人生の充足感を上げてくれている。

不足感から走り回って他人の目線を集めようとするのは、
もう疲れた。

もっと自分的な生き方、
もっと本当の「楽しい」を大事にする生の使い方。

何かができるからとか、お金を稼いでるからとか、
こういう考え方ができるからとか、
そんな取って付けたようなものは要らない。

頼んでもいないのに他人から勝手に評価され、
いいねだのすごいねだの言われることでもない。

自分の心が喜んでいるか、楽しんでいるか。
幸せだと言っているか。

どれほど純粋にそこに焦点を当てられるかが、
1番私にとっては重要なのだ。

そんなことと向き合う9月、かもしれない。

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