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作家への帰還~

作家への帰還~『人間(ひと)の集大成』より~
何をするにせよ、面倒臭くなってしまった。自律に働く生命(いのち)の動きは自然に従い見送るにせよ、自分で企図して動く事には、計画倒れが関の山で、計画せぬ内から諦める事もしばしばある。それだけ天邪鬼である。仕事をしていて苦しい頃には、あれだけ周りにたんかを切って「仕事をやめる」「俺にはこの仕事より、他にしたい事がある」だの言っていたのに、いざやめたらやめたで、家に居着いてさて何もせず、あれほど懐いた〝ものかき業〟でも少し書いては椅子から離れ、こうしてベッドで寝そべりながらに日々の経つのを見送っている。確かに仕事はしんどかったが、自分で決めたこのものかき(しごと)もそれに代わらず無形に近い。少し前から、「一日、四枚だけ書く」など仕業に設けて、四枚書いたら、「今日の仕事は終えた」と作家気取りで大童である。太宰の書いた、多量の名句が煩わしくなる。また少し前に、職場をほぼ一緒にやめたパートで来ていた小母ちゃんと妙に親しくなって、俺の家から最寄りの東公園という、中学生の時に知り合った一番始めの彼女と遊んだ公園まで一緒に行って、凝りもせずまま、職場でほざいた〝作家冥利〟を散々説いて、まだ「俺は作家として一生やってくつもり。まだ将来(さき)は漠然としているけれども…」なんて勝手を呟き、殊勝に構えて滑稽ながらの馬鹿な態度にずうっと酔ってた。小母ちゃんはそんな時でも馬鹿な俺に調子を合わせて、まるで母親が我が子を見守る姿で、「〇〇さんは、きっとそういう仕事が向いてるんやわ」 なんて当ての無い言葉を振り撒き、傍で笑った真面目な俺へのエールを送って微笑んでいた。さて、家へ帰って、何もしない。今日、公園で言った事も全部脇へ退けてしまって、漫画やテレビに齧り付いてはケタケタ笑う。こんな一日が、もう、作家になる、と言ってから、何日も続いているのだ。「夢日記」なるものに度肝を抜かれて、自己陶酔したまま、何にも忘れて何にも出来ずで、俺の日々の労苦を費し始める。真面目である。「夢日記」より、別の作品(もの)が書きたいと口では言うのに、いざ書き始めてみりゃ三行程度で字詰まりしており、次が続かずあたふたし始め、結局自然放棄で、俺の試みは跡形ないほど消え去るのである。唯、文体口調のリズムに見取れて妙な調子を憶えた為に、俺は書きたい事を書けないままに、独りで悩んで馬鹿を見るのだ。またリズムを気にし出した。馬鹿である。世紀初めての馬鹿である。俺はそれで良いのである。W大学のゼミの学生、文芸部の皆さん、世間の人々、知恵袋の輩共、 芥川賞の批評家共、そこらの高校生・中学生・小学生でも、皆、目が肥え過ぎて、俺の這入り込む空間(すきま)などこの世で最小の物より小さい。皆の気質が無機である。俺は明治辺りか江戸後期辺りに生まれるのが最適だったのじゃないかしら?無論、このまま今の状態で。そうなれば、俺の書くものは大抵が、世間様が揚々欲して止まぬ〝新しさ〟を持つ作品として、比較的いまより多く採られたろうに。俺は「作家」としてこの世間には認められない。自信があるのだ。こうしてこの携帯電話に打ち込む理由(ワケ)も、紙に字を書くのが億劫だからだ。面倒臭い故である。太宰『きりぎりす』の「風の頼り」の言葉が俺に刺さった。これはもうずっと以前 (まえ)から刺さり続ける。「何にも書く事がなくなればそれっきりです。何の事はない。君の中の〝作家〟が死滅したのです」。まさに今の俺がそれだ。その通りである。返言無し。俺に居着いた「作家」はもう一五年も前から死んで居るのだ。くそう!
故に俺は「死んだ作家」として物を書く。他人様から馬鹿に見られようが何と言われたって、俺は独りで字を書き絵画を描く。寂しさ・孤独と背中合わせで、元在るべき修道の道へと回帰したのだ。「目が肥えて、新しいもの、新しいもの言ってる奴等」には決して認められない物を書く(描く)のだ。賞は遠いお空の絵巻物。「君の書いたものは、全く稚拙でわからない、甚だ意味がわからない。意味がわからない、意味がわからない、意味がわからない、動機不明」。こんな俺への文句は、サルのセックスの如く、何度でも何度でも、遠いお空で繰り返される。お互い、陶酔して生(ゆ)く魔王の満足、これ一つである。君達は、沢山、沢山、勉強してくれ給え。そんで、もっともっと、偉くなって、俺から離れて、どんどんどんどん、遠く離れた賑わう場所へと行ってくれ!!声を、ありったけの声を以て、俺は君らに叫ぶ!一〇〇世紀後頃、まだ地球があったら、その時にせめて、できれば、俺の作品を認める人が一人、あって欲しい。高望みにある。
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全く、手にペンを持って字を書くのは、疲れて気怠い。言葉の出来が遅くてのろくて敵わない。ほら今でも心中(こころ)にこれほど多くの思想があるのに、ペンが沿えず言葉が出ない。俺の白紙はどうやら、今度はこの携帯に具えた白紙の内へと姿を晦ます。頭出し打ちにてどうやら手書きに書くより体が疲れずマシである。字体もはっきりしている。けれども番号を五回打ち込み「お」の字を出すのは少々気怠い。俺が愛して止まない多数の頁へ全く届かず馬鹿を見るのだ。どうやら本当の〝白紙〟は心中(こころ)に置かれた水晶である。〝心の白紙〟は形に見られず困ったものだ。何かのきっかけで、〝心の白紙〟が具現化されないものかしら?〝心の白紙〟にこれまで書いた数多の熱気を見える形で頁にすれば、一体、何億頁に上るのかしら?〝心の白紙〟がこの世に欲しい。誰にも見える形で机上に欲しい。ここまで苦労して来て物を書き終え、まだたった七七一一字である。でも携帯ではこれを二で割らなければなりません。二で割ったらここに見られる字数の程度は三七五五・五になります。四〇〇字詰め原稿、九~一〇枚程度でございます。全く以て足りませぬ。私の頁に対する満足感にはあと一億枚が足りません。どうすればよいのでしょうか?方針を変えねば成らないものか?私は一体、いま、誰に向かってこんな愚痴を呟いてるのか?わかったものではありません。もっと、文士に対する姿勢と態度を崩して行かねば成らないものか?こんなに連々(つらつら)悩んでいるのに、何だか調子が出て来たようです。理由(わけ)が分りません。私の文学にはもしかすると、字なんて必要無いかも知れません。感覚・想像空想・夢の独気(オーラ)を分散しながら、感性だけを取り付け創造出来れば、自分の使命は充足され得る。世間に居座り、これまで文学被れに勉強して来た輩の群れから、きっと私は罵られて行く。「なにを寝言ほざいているか!馬鹿だこいつ(笑)」と腹を抱えて嘲笑したまま、「我々の文士の、文学の〝風上〟にも置けぬ奴だ」なんて切り捨てるでしょう。或いは油を掛けて燃やし切るかも知れません。いつの間にか「敬語」になってしまいました。笑える限りです。「夢日記」を書いてる時には決して無かった身軽の調子。けれどもそれで良い訳です。自然にここまで来て、僕は「敬語」になっていたのです。今度は主格も代わりました。文学者が居座る分野(フィールド)に代打で出て来た様な者です。皆、僕の事など無視してくれれば好いのです。結局、その方が気楽で、またそれが正しい事だ。短く書ければ書ける程、そいつには文章力があるとなります。いつか私が呟きましたが、「『源氏物語』の内容を一つも漏らさず一行で書ける者があれば、そいつは大作家である」など、決して嘘ではありません。誰でも〝良い〟と言われる文章書いて、認められて著名になれば、それ相応の〝箔〟というのが付いてしまいます。それはブランド物で、他人(ひと)へ対するオーラになりますね。いえ、知ってる筈です。君だってそれを欲した時期に当った。別に私は宗教家ではありません。さて、携帯にさっきから書き付けている字面を眺めて、字体が自分の主観に合わず、こつこつ懸命にこんな字詰めの為に文字打ってるのが嫌になって来ました。飽きたのです。要は、「作家」なんて自称する輩は、唯、黙って書いてりゃいいという事になる。こんな陳腐な言葉、既に遣われ、古くて古くて、赤い黴(かび)など生えていそうです。太宰も夏目も僕は好きなのであります。それはそのまま脇へと遣って、あとはひたすら〝したい〟と言った〝物書き業〟を続けて行けばいい訳ですから、これはこれで簡単です。ただ、孤独があるだけです。俺はどうやら周りの者から完全に出遅れて、結婚出来ずに、仕事も取りやめ、出世のコースから全く外れて自室で悶々ごろごろしている退屈極まる男に成った。これは「成長」でしょうか。彼(か)の「駄目」だった男でも、他人(ひと)から隠れた努力の甲斐あり、ファンが付くほど出世をしていた。他の成功を嫉妬したまま眺めるようでは、自分もまだまだ独自の道を知らないのでしょう。どうもあれから、思春の時期を過ぎた頃から、僕は「人の心を打つ文章」というのを書けなくなりました。自虐。拍手ものです。相当厭らしい魂胆成るものが自分の心にあるようで、どうも毎日不安なんです。これでいい、という状態をずっと掴む事が出来ません。両親(おや)がある所為でしょうか?だとしたらとんでもない親不孝。「俺は母親を愛している。母の面倒は俺がみる。俺はまた父親も愛している。両親(おや)がもっと年老いたら、両親の面倒は俺がみるんだ!」と息巻いてた純朴少年が忽ち消えて、またまた深い嫌悪に嵌って生きます。もう、全く、爆笑ものです。外では、俺から離れる鬱に変じて相当大きな表情(かお)をした儘、他(ひと)から湧き出る生気の渦が「世間の回転(まわり)」へ尽力している。物を書くのに詰まった際など、やはり「自虐」は良材と成る。次から次へと言葉と想いが湧いて出て来る。こうする間に恥ずかしさが立つ。誰の真似でも決してないのに、赤面して、自分の底でも覗いたようだ。俺は、生来、寂しい奴なのかしら?文士とは昔でいえば文官だ。武将ではなく、宮廷に於ける文書記述の任に預かり、口述筆記や日記を書いたり、はた又、流行る作品(もの)等沢山書いて、人の為にと人気を集めて活きたりもする。俺は子供の頃から、例えば三国志で言う歴史を見ると、軟い文官よりも、国家の警醒(かたち)を腕力(ちから)で動かす武将の硬派に惹かれてさえ居た。物理の力で文官なんかを余裕で蹴散らす豪傑華麗な武将の腕力(ちから)が、取り留めないほど光ってあった。もし自分が生まれ変わるなら、いや俺はもう子供の頃に、気に入った〝武将〟に生まれ変わって、何度も何度も覇権を争い謳歌していた。いつから「文官」なんかを気に入ったのか。こんな時代に、学歴なんかに思いを馳せて、人気作家や好きな作家を授業で独自で知った頃から、俺の心中(こころ)にしつこく輝く永劫豊穣(ゆたか)な光明(ひかり)があった。これは影響である。俺は実に影響され易い質にある。嘗ての級友達もとっくにどこかで死んだというのに、俺の心は未だに未熟に幻想(ゆめ)を追い掛け、稚拙な遊びに興じてあるのだ。級友(とも)の内には、もう結婚して出世する者、子供を持つ者、現実(リアル)な縁(ふち)にてその根を下ろし、誰に見せても立派に固まる土台を呈して活きているのに、俺に留まる理想の振りだけ、昔に覚えた一人遊びを抜け出せない儘、固く成り立つ孤独の住家へ根付いたようだ。前方(まえ)に有るのは夢に懐ける「水晶」である。文士に夢見た〝夢想(ゆめ)〟であり、俺が燈した淡い夢には、きっと幾つも終着地(ゴール)が見えずに、ひそひそ囁く声がしている。世間に羽ばたく文士の夢想(ゆめ)等、時期を見付けて早々豊穣(ゆたか)に仕舞われたらいい。もう終わっているのかも知れない。しかし俺の個室(へや)にある〝文士の成就〟は、いつまで経っても形成(かたち)を定めず、未熟を呈して終局し得ない。永遠に終わりは無い。空気から、見えない言葉を連続しながら書き付け始める文士の満足(あし)には地面が立たない。これでどうやら字数が増えた。「飽きた」と言っても無欲に落ち着く。ここまで書いてもまだまだ足りない。

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