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少年道徳

少年道徳
 警察は、あの時私に言った。「撃つな、あとは我々警察にまかせるのだ」と。私はクリスチャンだった。神様のことを知っていた。私の身内には警察の人がいる。警察も人間、”裁くのは私だ”等と言うjudgementの立場から少し離れている。それではこの世での悪事は起き続けるばかりか、増えるばかり。人間にその問答は無理なのではないか?
 
 昨夜、人を殺した夢の内で、私はあんなに怯えたのだ。そして、その夢の中で、その自分を正当化しようとまでしていた。”自分は殺されそうだったから殺したんだ。云わば、正当防衛。自分の命を、この密室で自分で守ったのだ。殺さなきゃ殺されていた。だから肝心な事は、どちらが先に手を出したか、それに尽きる....”と。この声はあなたに届くのか。あの時、殺される間際、私には考える暇もなかった。あなたの声を忘れたわけではない。自分から、興味本位で殺したワケでもない。殺されそうだったから、”相手を殺す”という手段でそこから逃げ出したのだ。あなたの、あの言葉が頭について離れない。ここでも人間を苦しめるのか。すっきりしないのは嫌だ。

 ”復讐”とは先に罪を犯した者への当然の報いだ。それは実際に殺された者にしか、わからない。人は他人(ヒト)の心の中には入れない。イエス様は三日目に甦ることも、他人(ヒト)の心の中に入ることが出来ても、私には信じるしかない。目に見えて、不幸は嫌だ。そんな時でもイエス様の十字架がからみつく。その行為は、ただ邪魔になった。復讐する時の私には。人を殺す一瞬は、きっと誰もあなたのことを忘れる。忘れなくても頭にはおかない、同じこと。意味のない、他人(ヒト)からの攻撃をただ、耐え続けた私の”生”はどこへ行ったのですか?川の中に頭を押し沈められたり、それを何回も何回も繰り返されて、挙句の果てに私の母さんのお金をも奪っていく。これが何か、意味のあること?そのお金は、父さんが汗を流して働いて貰ったお金だ。私達三人を養うための。そのお金も、今はもうない。奴等に奪われてしまって、残ったのは明日への不安だけ。
 
 私には逃げ込む教会が目の前にあるだけで、まわりの同世代がしているような暮らしはないのか。私は奴等に何もしていないのに、向こうから先に手を出して来た。それでも”復讐は私がする”とあなたは言い張るのか。奴等は無罪になっていた。警察が言う少年法とかなんとか、で。難しいことじゃない。先に手を出した方に、同じだけの苦しみを与えるだけのこと。私と同じように存在したのに、奴等だけ”高みに居る”なんてのは不快だ。

 私は、一人の少年の自殺死を契機に、正統防衛をし続ける。

(後略)

動画はこちら(^^♪
【怖い】【ホラー】【意味怖】【喫茶店で上映されてる映画の感覚☕】【ドラマ小説】【~あのとき誰も私を守ってくれなかったじゃないですか…悲壮なエピソードと正当防衛】少年道徳 #サスペンス #少年道徳 (youtube.com)


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