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【アップ】2024年1月14日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】
ルカの福音書(78)「神の国と再臨」17:20〜37
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Vb6hJY85EMc

「全世界をおおったノアの洪水は本当にあった?!」講師:安井 亨 氏
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=GvqCrZe8r7w

【アメーバブログ】
聖書や讃美歌の内容などは、こちらのブログより閲覧できます。
ぜひお気軽にお立ち寄り下さい^^
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12837208714.html

前奏
招詞 ヨハネの黙示録4章11節
頌 栄 たたえよ、主の民[こ改 25]
開 会 祈祷
主 の 祈り(週報裏面)
十戒・祈祷(週報裏面)
子ども説教
子どもと親のカテキズム問 70
「五番目のいましめ」
こどもさんびか
きょうはひかりが[改 2(2 節)]
牧 会 祈祷
讃美歌 312番
聖書
創世記8章1~12節 (旧約 P10)
ルカによる福音書17章20~30節 (新約 P143)
説 教
「主の慰めと救い〜ノアの物語から学ぶ」
宮武輝彦
祈祷
讃美歌 348番
みことばの交読文
詩編 105 編 41〜45 節
感謝のささげものと執り成しの祈祷
頌 栄 543番
祝 祷
報告

讃美歌〜♫

【312番】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=HYtju3yW9Jg

1.
いつくしみ深き 友なるイエスは、
罪とが憂いを とり去りたもう。
こころの嘆きを 包まず述べて、
などかは下ろさぬ、負える重荷を
2.
いつくしみ深き 友なるイエスは、
われらの弱きを 知れて憐れむ。
悩みかなしみに 沈めるときも、
祈りにこたえて 慰めたまわん。
3.
いつくしみ深き 友なるイエスは、
かわらぬ愛もて 導きたもう。
世の友われらを 棄て去るときも
祈りにこたえて、労わりたまわん。

讃美歌348番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=O6gW1CxZrbo

1,信仰こそ
わが身を
助ける杖
戦いの時の
強きつるぎ
恐れも危険も
誘惑も越えて
御国を目指して
勇み進む

2,険しき山路も
草の野辺も
確かな主の手に
導かれて
心つよくされ
まどわしも
越えて
御神に近づく
道を歩む

3,信仰こそ
確かな
旅の助け
偽りを破る
するどき剣(けん)
すべての聖徒を
励まし続ける
御霊の力を
与えたまえ

2024年1月14日 礼拝説教 中心聖句

神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。
創世記 8 章 1節

人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥される…。ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。
ルカによる福音書17章25,26節

はじめに
戦争、地震、飢饉、疫病等、試練の中、主の慰めと救いをノアの物語から学ぶ。

「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め」とは、洪水の日に、箱舟が百五十日の間、水の上に浮かびつづけた試練の日を物語る。ノアにとって、それは、いつ晴れるともわからない不安の毎日が五ヶ月続いた。水は高い山を15アンマ(キュビト)[7,8メートル]超えた。ノアにとって、自分たちは神から見捨てられたのではないか、との非常な緊張と動揺と誘惑の思いにさらされた。「御心に留め」とは、神が、そのようなノアたちの思いを深く憐れんでくださったこと。神は、「地の上に風を吹かせられた」。神は、ノアの命を思いやり、「風を伝令とし」(詩編104編4節)、救いの日の近いことを示された。「水が減り始め」「天からの雨は降りやみ」「水は地上からひいて行った」。「百五十日の後」「箱舟はアララト山の上に止まった」。さらに二ヶ月半、そし、ノアは、はじめて、外に出るしるしを、一羽の鳥にゆだねて求める。

「四十日たって、ノアは自分が造った箱舟の窓を開き、烏を放した」。「烏は飛び立ったが、地上の水が乾くのを待って、出たり入ったりした」。烏は死骸を食べたのか等の疑問には、深入りしない方が良い。ノアの主目的は、鳩と同様。「ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした」。「しかし、鳩は足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地のおもてにあったからである。彼は手を伸べて、これを捕らえ、箱舟の中の彼のもとに引き入れた」(口語訳)。「更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した」「鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た」「見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた」「ノアは水が地上からひいたことを知った」。しかし、ノアは、これで箱舟から出ることをせず、神の命令を待つ。じつに、「雨が四十日四十夜地上に降り続いた日」(7章12節)以来、一年三ヶ月程の間、箱舟にとどまり続けた。「神はノアに仰せになった。『さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい』」「そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た」。また、「すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地の上で子を産み、増えるようにしなさい」とも、命じられ、そのとおりに「獣、這うもの、鳥、地に群がるもの、それぞれすべて箱舟から出た」、神の造られた大地で、人間とすべての命あるものの新しい出発、再生の日となった。

「ノアは主のために祭壇を築いた」。ノアの従順と忍耐は、主への感謝において証しされた。ノアは、神に命じられなくても、否、神への清い恐れ(礼拝の真心)から、自ら、神へのささげものをささげた。ここに、ノアの内にある深い恐れと感動を覚える。「すべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた」。ノアは神が清いとされた家畜と鳥を取り、献げ物とした。ここに、わたしたちは、礼拝の原点を見ることができる。復活の主による全き救いを証しする「洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心(内奥の意識)を願い求めること」(ペトロ一3章21節)。
おわりに
今日、わたしたちは、苦難を忍ばれた主を証する群れの一人とされたなら、世に出ていくことは、礼拝に立ち帰ること、悔い改めと献身と一つ。終わりの日に忍耐したい。

(Mynote)
二〇二四年一月一四日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(※本日は機械の諸事情により、動画を録画出来ませんでした。ご許容頂ければ幸いです)
(子供メッセージ)
『子供と親のカテキズム 問七〇』
「第五戒は何ですか?」
「あなたの父と母を敬え」です。
(公同礼拝)
『創世記』(第八章一〜一二節)
『ルカによる福音書』(第一七章二〇〜三〇節)
先ず『創世記』の箇所では、ノアの箱舟の事が描れてある。そして『ルカによる福音書』では、イエス様が弟子達を始めパリサイ派の人達に、「神の国はいつ来るのか?」と問われ、それに答える場面が記されて居る。
「神の国は、見られる形で来るものではない。また『見よ、ここに在る』『あそこに在る』等とも言えない。神の国は、実にあなた方の只中に在るのだ」(『ルカによる福音書』第一七章二〇〜二一節)
とイエス様は彼等に教えた。そして弟子達に対しては、
「あなた方は、人の子の日を一日でも見たいと願っても見る事が出来ない時が来るであろう。人々はあなた方に、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼等のあとを追うな。稲妻が天の端から光り出て天の端へと閃き渡る様に、人の子もその日には同じ様で在るだろう。しかし、彼は先ず多くの苦しみを受け、又この時代の人々に捨てられねば成らない。そして、ノアの時に在った様に、人の子の時にも同様な事が起こるであろう。ノアが箱舟に入る日迄、人々は食い、飲み、娶り、嫁ぎなどして居たが、そこへ洪水が襲って来て、彼等を悉く滅ぼした。ロトの時にも同じ様な事が起こった。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどして居たが、ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降って来て、彼等を悉く滅ぼした。人の子が現れる日も、丁度それと同様であろう。その日には、屋上に居る者は、自分の持ち物が家の中に在っても、取りに降りるな。畑に居る者も同じ様に、あとへ戻るな。ロトの妻の事を思い出しなさい。自分の命を救おうとする者は、それを失い、それを失う者は、保つのである。あなた方に言っておく。その夜、二人の男が一つ寝床に居るならば、一人は取り去られ、他の一人は残されるであろう。二人の女が一緒に臼を轢いて居るならば、一人は取り去られ、他の一人は残されるであろう。二人の男が畑に居れば、一人は取り去られ、他の一人は残されるであろう。」(『ルカによる福音書』第一七章二二〜三六節)
と教えた。
これは終末の事を話して居る様であり、その終末の事を「丁度ノアの時と同じ、ロトの時と同様」と例えて居る。ロトの時の事は『創世記』(第一九章一五〜三八節)に記された内容である。
ノアの時の事を思えば、洪水が押し寄せて来て、地球規模から見れば非常に小さな箱舟に家族と家畜とが乗り込み、山の頂まで溢れる雨水を見ながら非常に恐れた事を思う。ただ「箱舟に入ったからもう救われた」と思うのは、やはり人の主観・感覚から見て中々難しい事。万が一を思えば、もしかするとこの船にも水が入って来て家畜諸共、自分達も死んでしまうのではないか?…と非常に恐怖した筈。詰りこの箱舟のエピソードには、ノアとその家族の忍耐(信仰に於ける試練と忍耐)が同時に含まれて居る。
地上に吹いて来る風を「もうすぐ洪水が引いて地上が現れる事の一つの印」とし、神様はノアの思いを憐れんで下さった。箱舟の中に居る間、ノアもその家族も不安・恐怖・苦しさ・忍耐の連続だったろう。家畜も乗って居た事から、孤独は和らぐかも知れないが、死を思う時、その気持ちと環境は究極に於ける救いに成らない。洪水が来て箱舟は百五十日もの間、ずっと水面を漂い続けた。そしてアララト山の頂に停まり、更に二ヶ月半そこに船から出ずに居て、その「洪水が引いて行く印(即ち外に出ても良いとされた印)」が与えられ、ノアは始めに烏を、そして二度目に鳩を、船の中から外に放った。烏はすぐに帰って来て、鳩もすぐに帰って来た。この時はまだ水が全地を覆って居たからである。それから七日待って、再び鳩を箱舟から放った。すると鳩は夕方にノアの元に戻って来て、その嘴にはオリブの若葉が在った。この時に初めて「水が引いた事」をノアとその家族は知った。更に七日待って鳩を放ったところ、鳩はもうノアの元には帰って来なかった。これは鳩が降り立てる地上(地面)が現れた事を意味する。
このエピソードはノアの信仰を語って居り、印を見たからと言ってノアはすぐ独り合点して出て行かず、その印をまた神様に問う上で確認し、忍耐強く、船の中で待ったのである。神様から明確に印とその答えが与えられるのを待ち、不安・恐怖に耐えながらも、信仰に縋り付く様にして神様からの答えを待った。そして烏と鳩のエピソードになり、神様はノアに応えた。
この間を日数にすれば、四十日四十夜ものあいだ雨が降り注いでから、一年三ヶ月程が経って居る。その長い間、ずっと一つ処でノアは神様から与えられる印と答えを待ち、まるで死と背中合わせの状況ながら、試練に耐えたのである(これを忍耐とここでは記す)。
どんな信仰者でも、人間である以上誰でも同じで、一寸先の自分の事が分からない。自分がどう成って居るのか、自分の周りはどう成って居るか、環境が自分に与える条件はどう成って居るか等、誰にも分からない。この未知の部分が人に不安と恐怖と苦しみを与え、その人の精神(心)は苛まれて行く。この時の洪水の規模を思えば、そう成るのは容易く想像出来よう。このノアの時以来、全人類が経験して来なかった天変地異であり、まるで世の終わりの状況である。実際ノアの家族以外の者は皆滅ぼされた事から、ほぼ世の終わりと見て良いものか。そして第二の人類の世界が、このノアの時から始まった。
ノアは主の為に祭壇を築いた。ノアの従順と忍耐は、主への感謝に於いて証された(神様から認められた)。ノアは、神様に命じられなくても、神様への清い恐れ(礼拝の真心)から、自ら捧げ物を捧げ、神様を賛美した。ノアは家畜の中から清いものとされた数匹を取り、それを神様への捧げ物として捧げた。ここに現代人を含め全ての人達は、神様の前に立つ時の礼拝の原点を知る事が出来る。洗礼は肉の汚(けが)れを取り除く事に無く、神様への正しい良心(内奥の意識・その人の内実)を願い求める事(『ペテロの第一の手紙』第三章二一節)に在る。全ての人は、常に神様に心を向け、信仰の目を覚まして居る事が大事に在る。今も世界で戦争が起こり、天変地異が起こり、世の終わりが騒がれて居る。ただ全ての人は、その終わりの時(人の子が再び現れる時)が「何時(いつ)なのか?」が分からない。だから常に信仰の目を覚まし、神様の前で自分の在り方を確かめ、罪を悔い改めねば成らない。譬え悔い改めが出来ず未熟でも、その努力が必要であり大事に在る。
信仰に於いて今その時々での大事を神様と信仰に聴き、従い、神様の前で少しでも正しい人で在る様に、そうされる様に祈り願い求め続ける事が大事に在る。

【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/

【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/

Table Café~

榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MCyjy8BuIIw

「仕えられるためではなく、仕えるために…」
THE DAILY with Arthur Hollands 2024/01/19
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=hDBQmOUSXwk

不思議のパルプンテ
https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos
(お暇な時にでもどうぞ)

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