スピリチュアル周辺に思うこと
スピリチュアル、精神的なものを重視すること、流行っているんですかね。スピリチュアル人口は日本においては今や二人にひとりという分析もあるようですが。
マインドフルネス、ヨガ、引き寄せや願望実現、種々のヒーリング、レイキ、パワーストーン、禅や瞑想、パワースポット巡礼、芸術や箱庭療法、バシャールやアルクトゥルスなどとのチャネリング等、思いつくまま挙げたのですが様々なこのような感じの具体例を思い浮かべることができます。
深く突き詰め探求するスピリチュアル人口は数千人にひとり程度ではあるまいか、個人的にはそのような感慨を概算として抱いております。
わたしは、スピリチュアル方面の種々の運動に時々違和感を覚えることがあります。
概して自己意識についての探求の希薄なお花畑スピのような括りにある運動や思想には疑問符が浮かびますし、外部の高次存在のエネルギーをなんらかの(例えばアフィアメーションなど)方法でアクセスするとかチューニングする的なスピ系の活動にも、なんかちょっと、と思ってしまうことが多く距離感を保ちがち。否定するものではなく、そのことの効能有効性も知っているのですが。
前段落後半についてですが、それは本人の外部にあるもので平たく言えば一時的な救済であり、強固な信念体系による現実化の風情というか側面もあるだろうし、依存の性質が伴うような気がし、本人の学習過程での中庸的性質の認識理解その蓄積達成にほとんど寄与しないと思うのです。
意識の進化はとても孤独な作業で、自力で実感するにたどり至った腑に落ちた揺るがない認識や存在状態だけを、実生活上での行使しえる力として、今世の成果として向こうに携えてゆけるのではないかとよく考えます。
チャネリングにより、現実に対する認識の変化や意識の変性が思考作業の末に訪れることがあります。これについてはわたしは異を唱えるものではないのですが、とにかくそのような情報には虚偽や個人的な空想が途轍もなく多く混じっている、という感を抱いており、エレナ・ダナーンやQアノンについてはひとしおそのような感じを抱き。
(エレナの著書で人類の移民の基本的な星系歴史に触れた一文でαとβの記述違いがあったこと、イラストの記章がすべて不自然で一貫した類似性によって貫かれていたこと、それで個人的な妄想が大部分であろうと推測するに至り。後者については、ほとんど何一つ実現していないことなどがそう思わせる根拠)
高次意識体に類するものによるヒーリングや愛の放射は(例えばセラフィムや菩薩)、(基本的動機を精査しあやまり無きよう整えることができ、観照にある程度習熟しているなら)誰でも触れることができ、いつでも手の届く場所にあると実感できると、個人的な意見ですが思います。
アッセションという言葉に馴染みがある方々がいらっしゃると思います。その周辺では、どの惑星に行くか、どの次元に行くかなどの話題をしているかと思います。
わたしはシュタイナーやグルジェフ、サネヤロウマン的方面から精神世界にはいり、書店に並ぶそれ系の書籍にかなり目を通していた頃があります。(今でも時々は。特定の宗派信仰はなく)
それらの情報の中で、こりゃあイチ大事だと感じた話題に触れている書籍、思想的なグループが、計二つ、つまり二か所でそれに遭遇したことがありました。
それは、今回今の時代の生で、消滅(個別生が終わり創造に吸収される?)の憂き目にあう魂(個別創造霊)が相当数いる という話題というか情報というか論であります。
書籍のほうでは、薔薇十字学派の人々がどうやらそれは確からしい、その経過にいたらぬためには何をすればよいのかを血眼になって探している、そのような記述があり。対談本なのですが、大半が消滅の憂き目にあうだろうと。
思想的なグループは日本で確か90年周辺頃から2010年代まで活動していた団体で、ここの機関紙のチャネリング情報(行われたのは1995年まで)が個人的には、細やかな哲学的な文意のニュアンスまで聞き取り文字化するにおいて、突出した能力と追随を許さぬ独自性がありました。(団体では流通に一般にのる書籍はほとんど出版しておらず)
そこでも、その話題情報には何度か触れられておりました。
地上での平均転生年齢は一億年程度(レファレンスとする書籍から。発生からの年数)であり、幾度も生を重ねてきたその進化、踏破して成果を積んでゆくことの繰り返しを終えて、吸収されるのか解体されるのか分かりませんが、いわば肥しとなるというのです。
戦慄を覚えました。永遠性がないとしたら、次回に生の獲得物のエッセンスを持ち越せないとしたら、死をみつめ見据える人生の老年期に更なる認識進化の為に本を読むことや、それぞれの道に精進することになんの意味があることでしょうか。(こう言うのは基本シュタイナー派なので。実存哲学の態度価値とか、今瞬間に燃焼する生の意味とかわかるのですが。)
個人的にそれってどうなのと浮かび来ることなのですが、地球上空層に千二百億ほどいるらしい(レファレンスとする情報源より)個々の創造霊のうち、現在地上に出ている数十億人について選択的に(その措置がある期間がこれから続くのかもしれませんが)そのことが当てはまるのか、と考えると、時代がシビアすぎるだろうというか、(単純計算で全部順番を終えるには千年以上のスパンの話になるので)疑問符を抱くことシバシバというか、なんですが。
それに、創造霊の法則下(説明なしにしとく)でそのようなことが組み込まれて行われるということが、本当に信じられないのです。
色々な星系の住民が、例えばリラとかオリオンとか、過去に惑星間で数十万年とかスパンで、保証された自由意志のもとで惑星間戦争を行っていた、惑星が破壊された際に住民の魂はどのような経過を辿ったのか、その歴史の記述過程に於いてすらそのような措置が行われた事実に触れられている(非常に限られた狭い文献学的知識)ことは無かった。紙幅が足りなかったのか重要ではないとしたのか。
何故この時代の地球においてシビアな措置があるらしいのか、正直、考えにくいのです。(この時代だからなのか?)
もうずうっと、そのこと周辺の解決に至ること、回避することについて確たることを言うことを出来ないか、素人ながら調べてきましたが、(スピリチュアル界隈ではポジティブなだけの見解がほとんどで、そのことには触れられることはまず無い)結果それは現在でもわからなく。
危惧する話題が誤情報であるとか多分にあることでしょう。
そもそもそのことが一大事だという感覚を共有できるのかも定かではなく、今の生活を精一杯エンジョイできたらいいよ、不確かなことなんて荒唐無稽だよそんなこと気にしたってしょうがない、というのが普通の感覚なのだろうと。
それに、論がやや短絡的だと思いますが、つぎのことに帰結してしまうような気がして。
意識の進化は個々が独自性をもって選択解決し進む道であるので。
こうして綴ったことが不穏な余韻を読んだ方に残すものになっているのかもしれません。
根源から打ち寄せる問いかけが聞こえることが誰かにあったならば、それがどういう形の問いであるかわたしにはわかるすべもありませんが、そのことが旅のはじまりになるのかもしれませんね。
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