感情的賛
ボックス席で乗り合わせたご老人は、鞄と赤いネットに入った柑橘類を脇に置き、窓際の席で何とはなしに車窓のむこうを見やっている。
夜行列車のはなやかりし頃、網入りの蜜柑を携行するおやつにとはどこかで聞いたことがあるが、たわんだ網目にくるまれて連なるその果物はでんとした存在感がある。
「晩白柚でもおひとつどうですか。」
直径20㎝はあるだろう重量感のある果実の外皮の厚さははたして如何程なのか、、。
それにひとつ食べたら予定している駅弁が胃袋にはいる余地が無くなるというものだ。
「あ、いえっ、今はお腹が空いていないので。ありがとう。
そっ、それにしても大きいですね。」
「ええ、熊本に住む甥っ子が送ってきましてな。鉄道旅の作法に則り網袋に。
網袋の醸す情緒にマッチせにゃーと発起しましてな、あつらえ向きの服を買い求め、我ながらいかんともしがたくこうしてキメキメのいでたちになった次第でして。わははのはーっこれまたっ。」
御召し物のご様子だが、アースカラー系の割とシックな上下にどうでもいい野球帽を被っている。”帽子の外側”を色とりどりに賑わしているdo-it-yourself感漂う缶バッジには
「うちはトイレはシャンデリア」「醤油顔」「ロケットパンチが出ます」
「ストップ!ここはお花畑ではありません」「肥沃な草原たれ」「弟が二段ベットで高山病」、、、
ボックス席で相席の距離だとさまざまな意匠でさり気なく描かれているのだということが見える。
ご老人は鞄のサイドポケットを探りはじめたが、なにかを諦めたようにして顔をあげた。
「皮むきの上手い道具を宅に置いてきてしまったようでしてな。歳をとると手先がなんとも、、。」
所在なげにふいになっているであろう晩白柚を暫らくもてあそんでいたご老人の唇には、言葉を選んでいるような仕草が見える。
「、、若さにまかせて度が高い頃はいい。まかせてにおける五段階での度合い評価でいうと、5であろう頃だ。」
まかせて度が高い?若人との世間話のとっつきとして、大体そこは”若い頃はいい”でもいいだろうに。
俺はすこし違和感を抱えながらも程なく相槌を打った。
初対面の間柄、まずは様子見を決め込み聞き役でいるのも悪くはない。
「こう見えても若い頃はかなり無茶しやがってな日々を送っておってですな、【授業をバックレる度3】なうえ【他学の生徒と問題行動が度5】てなもんだったから【両親が学校に呼び出しを喰らう羽目に度4】、まあ通信簿はどれも1か2、【クイッフリーゼント度5】にキメて【シェケナベイビー度5】な気分でダンスホールで【踊り明かそよ夜明けまで度5】であったですな。」
「数字をこうしてお聞きになる限り、放課後の活動に熱をお入れになっていたようですね。」
「社会人になってからも【五時から男度5】でしたなあ。いやはや【お恥ずかしながら度マイナス2】。」
この調子だと、帽子の缶バッジにもそれぞれ度数があることだろう。
聞いているうちに思ったのだが、この度数で表す語法、程度や頻度などの修飾表現などを数字で簡略化することができる、手短でエコな表現なのかもしれない。やや地雷だったのかなと思いながら一風変わった話法を駆使するこの御仁と下車駅まで一緒なのかも知れぬと思い、俺は【右耳から左耳へ度】を3にした。
しばらくすると車内販売が通りかかり、売り子をややうわずった声で呼び止め、ご老人は幕の内弁当を先に買い求めた。
お代のやり取りの後さらりと売り子のサービストークがはいり、
「おやっ、お兄さんっ元気してる?乗車に疲れてきたのかな?そんな男っぽいいかめしい面持ちを貼り付けたままでいては旅の興も醒めたりするもの。
評判上々で販売量も抜群のイカ飯弁当で厄払いなーんてちょっと洒落てみておなりになってはいかが?美味なるかな此れ味の桃源郷に誘うが如しですわよ。」
というものだから、
買わされてしまうのだ。海のシンフォニー弁当がお目当てだったはずなのに、、。
包みの蓋を開けてみると、楊枝で裾を留められたイカが二つ、ゴロンと色気なく収まっている。
つけあわせは何もなく、内側がアルミ銀色の箱の四辺と膨れた煮姿との間には、俺の意図せぬ選択で生じた無念さを写し込んでか、茫漠空虚とした隙間がある。
「ゆっ、許すまじ!あのローカル娘!」
再び表情にふつふつといかめしさを取り戻し、期待にそぐわぬ品を掴まされた恨めしさ、憤懣やるかたない気持ちになった俺は、ローカル娘への復讐をこころに固く誓い、ふっと、お向かいのご老人の弁当の中身を見やった。
(そつなくまとまっている。)
「うむむっ。これは【幕の内度5.5】とでも言うのですかな。我が選択に一点の曇りもなし!!!」
串揚げや、回鍋肉、ポテトサラダ、きんぴら、赤かぶの漬け物、
酢味噌風味の和え物、紅鮭、椎茸の煮つけや五目きんちゃくなどの楽団員達が、この後ご老人が押し寄せる味のハーモニーに浸されることになる行方を定めているようなものだ。
やがて御仁は、醤油とソースの小袋のうちソースのほうを手に取り、
ソースをかけようと手をたおやかにポテトサラダへと運んだ。
その時、今日日まで蓄えた食卓経験の記憶が頭の内部で電光石火でスパークし、俺は叫んでいた。
「あーっバカそれソースだよっっ」
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