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愛し愛された犬ころ

日差しがギラギラと降り注ぐ日が続き、冷房を付けることが当たり前になった今日この頃。
夏だろ!と言っても差し支えないこの時期にも関係なく「別れ」というものはあるもので。

先日彼氏から犬が旅立ったと連絡がありました。
ここで書く犬ころは、彼氏が実家で飼っていたトイプードルのこと。
クリクリともモジャモジャとも言える灰色がかった毛と、つぶらな瞳が愛らしい老犬でした。

彼氏はその犬ころのことを大変可愛がっており、実家に帰る度犬ころと遊んでいる写真や動画を送ってくれました。

おじいちゃん犬にしては元気よく飛び跳ね、揺れ動くおもちゃに齧りつこうとする様子はオイオイ大丈夫か?と見ているこちらが心配したくなるほど。
そのアグレッシブな動きに、歳をとってもこんなに動けるもんなんだなと感心しました。

私もその犬ころのことをスマホ越しに可愛がってはいましたが、残念ながら実際に会ったことはありません。可愛いなーー会いたいなーーーと彼氏に圧をかけ続けていた結果、ついに犬ころに会うことができました。
それが旅立つ2週間前のことです。

わんちゃんてふわふわしてますよね。
綿毛みたいで暖かい。
よく公園で散歩している犬を遠目から舐めまわすように眺めている私が、数年ぶりに恐る恐る撫でた感想がこれです。ほんとに語彙力がない。

この時はまだ元気で、トテトテと私に近寄り手を嗅いでくれました。
犬に触るとストレスが軽減するってあれは確かです。ほんとに心穏やかな気分になる。
可愛く、愛しく、そして柔らかい。

最初で最後になっちゃったけど、犬ころがしゃーねーなあと私と会う機会をつくってくれたのかななんて考えます。

犬ころは彼氏が小学生の時に迎えたそうです。
過ごした時間は約14年。
14年分の思い出が家の中に、外に、そして頭の中に溶け込んでおり、その分悲しみと苦しみが襲います。
ゲージ、咥えていた白いクマのぬいぐるみ、少しだけくたついた黄色いベッド、お決まりのコースの散歩道。

一緒に暮らしていた形跡はあるのに、当事者であるその犬ころはもういなくて。もっと一緒に過ごしたかったと、愛していたからこそ胸が痛み、どんなに手を尽くし見送った結果でも、もう少し苦しませずにできたんじゃないかと後悔する。
犬ころにとってはそんなん言われても〜仕方ないじゃん〜て感じだと思うけど。

きっと今頃元気良く、広い広い原っぱを走り回っているのかな。
白内障で見えなくなっていた目は遠くまで見渡せるようになって、痛みと戦っていた身体は嘘のように軽くなっていることを願うよ。
なんか分かんないけど走れる!!!とルンルンで遊んでるのかもね。

私は犬ころとは写真越しに、そして直接では1度しか会っていません。それでももう会えないのかと、新しい写真はもう見れないのかと思うと悲しみでいっぱいです。
思うまま書き殴りしているため乱雑な文章で申し訳ない。
これは家族ではない、私なりの犬ころへの別れの手紙です。

犬ころよ、どうかお元気で。

最後は、君のことを赤ちゃんの頃から見守り、心の底から君を愛していた人間の言葉で締めます。


時間かかると思うけど、天国で待っててね!



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