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暗闇の中の光。

彼と出逢う前までの私の人生、
そして出逢ってから本当のわたしの人生がはじまるという、私からわたしへの物語。

出逢う前後を思い返すと、ひとつ、またひとつと思い出すたびに、それはまるで蜘蛛の糸のようだったな…とおもう。

わたしの目の前に突然現れ射し込んだ、時々眩くキラキラと輝く救いの糸。そんな尊い光のような景色がいきなり広がった。

今でも色褪せることなく、そう感じきれる光景。

そしてわたしはなにかに背中をおされるように、その光の糸から視線を外すことなく見上げ続け、ただわけもわからぬ確信だけを信じて、糸をゆっくりつたいながら進んでいくことになる。

周りの声、状況、そんなもの振り払えてしまうほど、わたしの魂を捉えて離さなかった。(男女のあれこれ、いわゆる不倫だのそういう類とは一切関係のない域での話。)その時はまだツインだとか、この溢れる感覚はなんなのかとか、本質はおろか、現実に振り回されてばかりで全く気付いてないのだけれど。

依存でも、浸ってるわけでもなく。ただただ、溢れる愛おしさしか存在しない。今世で出逢えたことの喜びに震えていて、幸せでしかなくて。そんな心地よさの中にいるわたし自身がなにより愛おしい今。

彼にフォーカスし過ぎていた時ももちろん長くあるし、揺らぎもじたばたも爆弾?も沢山投げたり経験してきた。そんなものあって当然で、ぐにゃぐにゃ激しい波に身を任せ、その中でもいい悪い関係なく、わたしの中の答えを選んで進んできました。

ツインレイって、誰におしえてもらうものでなく、承認してもらうものなんかでもなくて。自分で腹落ちする事でしかわからない究極の相手。(それは他の事全てにおいても同じ)

なんだろう…この人?
なんなのこの感覚?
一体なんなの…??

そのなんだかわからないけど、自分の奥に強く、確かにあるその根拠をどうにか解明、納得したくて、気付いたら占いなど色々頼っている自分がいてうなだれたりもしてきました(金額大きくてひくほど。苦笑)

ツインレイ情報もその頃は体験ブログが存在する程度。今や情報は飽和状態で逆に見極めが大変だなぁと思うし、ツインレイ鑑定なんぞ流行りにのっかった商売としか思えないけれど、そこを頼る状況にいる時期も必ずあるんだよね。。

なんにせよ私も当時は藁にもすがる思いで、何か、誰かに答えを求めていたんです。

答えなんて外にないのにね。

けれどそこで得た当時よくわからなかった事も、今のわたしの仕事へと繋がる伏線であったりとかして。後で理解が追いつく事ばかりで、回収案件が多すぎる、それもツインあるあるなのかもしれません。

そうしたたくさんの無駄とも思える、でも全て必要で必然な体験と月日を経て、わたしはツインレイという言葉そのものにたどり着き、知り、歩んでいく事になります。

人それぞれにお二人の色々な形が用意(決めて今世生まれてきていて)されていて、気付くタイミングももちろん違って。

わたしは出逢いの後、そうしてたどり着いたタイプだったなぁ、とあらためて。

そしてわたしたちは、お互い色々経験を重ねた上で、既婚者同志として出逢う事を決めてきた2人だった、ということです。


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