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双極性障害と闘う患者の自己紹介

はじめまして。
わったーと申します。
このnoteでは心の病になっている会社員が治療を通して、患者側からみた心療内科の中と私の心の動きを綴っていきます。
さっそく!と行きたいところですが、私の症状を含めて自己紹介をします。

1.自己紹介

1997年生まれの27歳です。※2024年現在
私はADHD基盤の双極性障害2型及び2次障害としてギャンブル依存症です。借金最大400万円。
毎日片道2時間かけて大阪府内の心療内科に通ってCBT(認知行動療法)を受けています。
趣味は釣りと車(後々ギャンブル依存症に繋がります)
大学院卒で俗に言う一流企業の会社員です。

2.生い立ち

2.1~中学時代

子どもの頃は福岡で小学生からは大阪で過ごしました。
あまり家庭環境は良いとは言えず、学校も転々とする小学生でした。珍しい経験もあってか、真面目で大人っぽいとよく言われていました。
中学生になっても反抗期もなく、学校では生徒会をする程自分の中ではかなり『良い子』だったと思います。

2.2高校時代

前述の家庭環境から家から飛び出すように東京の高校に通い寮生活を送りました。※恐らくこの頃から双極性障害の症状が始まりました。
吹奏楽部に入り1年で引退し、そこから大学受験を始めました。いわゆる進学校で特進クラスにいましたので、実力と運でなんとか有名国公立大学に進学できました。

2.3大学~大学院時代

工学系の学部に進学し、単位はいくつか落としながらもストレートで進級していきます。部活は釣り部に入りました。この部活は釣りの他にも授業をサボって旅行もよく行き、まあ掃き溜めみたいな怠惰な人が集まっている状態でした。
今までの受験勉強からの解放からか、ここがとても居心地よく感じました。もちろん自分も怠惰な生活が始まりました。
はじめはただ居心地が良かっただけなのですが、1年が過ぎた頃から虚無感を感じるようになりました。楽しいことをしているのに、なにか物足りないというか、罪悪感がある毎日でした。
また、借金もこの頃から始まりました。ゲームの課金や釣具の購入、旅行の費用など始めはバイトでなんとか賄っていましたが、10万、20万と借金が増え、卒業する頃にはすでに150万円程の借金がありました。
こんな生活をしながらも大学院までストレートに進級し、運良く第1志望の企業から内定をいただきました。
(第1志望の企業を一発目に受けた自分が流石に恐ろしい、、、マジで運が良かった。)

2.4会社員時代

入社し、バリバリ働き始めます。建設業に入って1年目から月100時間ほどの残業をしながら働いておりました。それだけ働けばストレスがかなりたまりました。
にもかかわらず、休みさえあれば釣りに行き、酷い日は土日だけで大阪→長崎(釣りのメッカ)間を往復し、寝る間も惜しんで夢中になっていました。
さらに学生に比べると収入も格段に上がるので、借金可能の枠も高額になっていき休職寸前の頃には借金が400万にもなり、借金の利息を返すために働いて、まさに自転車操業でした。
借金を隠しながら付き合っていた彼女とも結婚し、私の心の負荷は限界を突破しついに会社へ行けなくなりました。

まさしく満身創痍の私ですが、ここから心療内科に通うことになるわけです。

この続きは次の投稿で。

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