見出し画像

【期間限定の絆・びっくり仰天なこと&奇跡が起こる】:教師の仕事がブラックだなあと思ったことパート6

この春で、教師の仕事24年目になりました。
今回は、この仕事をしていたからこそ起きた奇跡のお話です。

子どもから住所を聞かれて気軽に教え、年賀状のやりとりが続いているという話も珍しくなかった頃のことです。
(今は住所やライン・メールアドレスなどを教えるのは禁止とされています。)


★担当したひとりの子

当時、私は管理職から頼まれて「相談室」を担当していました。その学校には不登校に陥っている子や、登校しても保健室で過ごすことが習慣になっている子どもが何人かいて、彼らを何とか救いたいと常々考えていた管理職の肝いり政策?だったようです。

その相談室で担当したひとりの子。
初めて会った時から、問いかけに笑顔で答えるものの何かを抱えているのはすぐにわかりました。
・人に対して、構えて対応するのがクセになっている。
・在籍クラスで、いじめにもあっていて友だちもいない。
・学習の遅れがあり、ひらがなも完全には書けない。
・年齢の割に体が小さい。やせすぎている。
・困って苦しくて、嫌だと思っていても、誰かに伝えて助けてもらおうという発想すらない…(親から言うなと言われたら、言ってはいけない事なのだと子どもは信じてしまいます)

物心ついた時から今の今まで、誰にも言えずに ひとりで黙って我慢するのが、本人にとっての当たり前になっていました。

「相談室」には毎日登校してきていたので、毎日いろんなことをして過ごしました。例えば…
・図書室で日向ぼっこしながら可愛らしい絵本を一緒に読む
・給食の時間に、中庭の芝生でピクニックみたいにして給食を食べる
・空いている音楽室でイントロクイズをしたり、ピアノを弾いたりする
・空いている体育館でボール遊びをする

いつものんびり笑って、とにかくたくさん会話をしました。

★虐待されていることを打ち明けられる

共に過ごす時間を重ねるごとに、心の距離が縮まっていきました。

そして ある日。
家で虐待を受けていることを打ち明けられました。

デリケートな問題なので慎重に、胃が痛くなるまで神経を遣って手を尽くしました。何とかして救ってあげたい、これ以上傷ついてほしくない、絶対に救出に失敗できない、、、と必死でした。

そんな私を「正義ぶってる」と冷ややかに言う人もいましたが、協力してくれる人たちと力を合わせて頑張り、数日後、施設に無事保護されました。

★年1回の面会

保護された1週間後、管理職から施設に面会に行くようにとの業務命令をいただきました。
元気そうな様子に一安心しました。しかし、間もなく別の施設に移され、そこがその子の生活の場になるとのことで、本人は新しい環境になることに大きな不安を感じているようでした。
いろんな方々から「あの子の心の拠り所になっているのは、らん先生だから」と言われ、新しい生活の場に移った後も連絡が来ました。
馴染めているかの心配だけでなく、施設に保護してもらい、この状態にある責任も感じていました。
そんな流れで、私はその後も、年に一度面会に行くことになりました。
今の時代なら、ないことでしょうが当時は特別なことという感じでもなく、もっと言えば逆に断りにくい空気でもありました。

★びっくり仰天な提案をされる

「大きくなったね。元気だった?」「うん!」が、「大きくなったね。元気だった?」「はい。」に変化した頃の面会日のことです。
施設の方と私の2人で話をしていた時、一定の年齢になったら、この施設を出ていく決まりになっていると知りました。
「出て、どうするんですか?」
「ひとりでアパートを借りて 1人暮らしになる子が多いです。」
「成人前で?」
「はい」
まだ稚さが残る本人を思い浮かべ、大変なことが待ち受けているんだな、大丈夫なのかな?と複雑な気持ちでいると、

「養子縁組とかしてもらえると 安心なのですけど。どうでしょう」

そう提案されたことに、心底びっくりしたのを覚えています。その子が心配であることは事実で、幸せになってほしい思いに、偽りはありません。
でも。それは違う。 私には荷が重すぎる……

★神様からのメッセージ

そんな気まずさが残る面会が最後になりました。本人が塾に通い始めたり、進学したりしたことや、私が入院をしたことなども重なったためにそのまま面会終了という形になっていました。

物悲しくモヤモヤした気持ちがずっと心に残り続ける結末となりました。

ところが、その数年後。
全国規模の大きなスポーツの大会があり、テレビでその開会式が流れていました。
キッチンで洗い物をしながら、選手宣誓をなんとなく軽く聞き流していて、うっかりお皿を落っことしそうになりました。
びっくり仰天!
選手宣誓の最後に言った名前が その子だったのです。思わずタオルで手をふきふきテレビに駆けつけましたが、もう映ってはおらず…ただただ びっくり仰天。
『こんな偶然ある?たまたま同姓同名だっただけ?でも、そういえば話し方が似てた!』

胸のドキドキが止まらなかった私は、居ても立ってもいられず、昔使っていたガラケー携帯電話を引っ張り出しました。削除できずに残ったままのはず・・・。
妙な緊張をしながら その子が居た施設の番号に スマホで電話をかけてみました。あの時の職員の方が、紛れもなくその子だと教えて下さいました。

一気に緊張が喜びに代わり、その方と一緒に半泣きしながら、立派に健やかに成長を遂げていることを喜びました。

この出来事が起こるまでの数年間、その子との物悲しい結末に、私の心の一角には常に葛藤がありました。

「教師として心をこめてできるだけのことをした、それは事実。自分なりに本気の仕事をしたつもりだった、それも事実。でも、結局は最後まで面倒を見てあげられないのだから深入りしてはいけなかったのだろうか?私がした仕事は、言われた通り「正義ぶってる」だけの ひとりよがりの自己満足だったのだろうか?じゃあ、どうしたら良かったんだろう?出会わない方が良かったのかな??」
 どこにも答えがないモヤモヤを、私はずっと抱えたままでした。
あの選手宣誓を聞くまでは。

「あの時のあの子は、無事に成長しているよ。こんなふうに、イキイキと頑張れているよ。安心していいよ。間違ってないよ。」
たまたま流れていたテレビから、私に届いた 
神様からのメッセージだったのかもしれません。
 
今回のテーマは、「期間限定の絆」としました。
先生と子ども。当たり前に毎日会っていた日常が、3月末に終わって別れる。そしてまた、4月から新しく出会った先生と子どもの新しい日常が始まる。

1年間という決められた期間だけの絆。
だから、 あっけなく消えて何も無かったことになる幻なのでしょうか?

いいえ。
もう会えなくなっても、その期間に紡いだ絆が、
その子の未来に咲く花のタネになるのかもしれない。だから、その絆は幻ではないはず。

神様からのメッセージで、私の物悲しかった気持ちは救われ、今、心からそう思うのです。

だからこそ、一期一会。
「今」私の前にいる子に、「今」本気で向き合おう、それが 教師のお仕事。
 タイトルにある「ブラックだなと思ったこと」は、自分の反省も含めて、期間限定の絆だからこそ、良い形でお別れするためにそれを意識していなければいけないこと。
 
自分の児童でいる期間に紡いだ絆を、手元から離すべき時が来たら次の担当者にすべてを託せるよう準備をしておき、しっかり引き渡す。
バトンを渡すように。
少し寂しさを感じても、笑顔でバトンを渡す仕事である事が ほろ苦いブラックチョコレートのようだなあと思っています。

※今回は ゆみなかさんから画像をお借りしました。ゆみなかさん ありがとうございます。






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?