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『愛情』という正義中毒~情念は邪気になる~

あるところに、Sさんと言う女性がいました。
Sさんは、とても信心深く神様仏様を大事にする方でした。
家にもご神体や神棚などを飾っておいででした。
Sさんは、犬や猫なども数匹飼っており、動物も深く深く愛する方でした。
Sさんは、自分の家族をとても大切にしており、自己破産している親のために、自分の名義で再度起業し、実態は親に動いてもらって、表面的な社長業だけをしておりました。

Sさんはとても愛情が深く、『愛という正義』のためなら何でもしました。
愛のために『仕方なく妻子ある人と付き合い』
愛のために『仕方なく正妻に嫌がらせをして』
愛のために『仕方なく不貞行為に及び』
愛のために『仕方なく不法行為までしました』

欲求不満のSさんは、愛のために動いている時は、報酬系の快楽ホルモンドーパミンがドバドバでており、愛という正義中毒に陥っていました。
愛という正義中毒に陥っている時は、脳内が快楽を感じているので、冷静な判断ができなくなります。愛に酔ってる状態です。
動物を異常なほど過剰に可愛がる人とかも、この自己陶酔の状態が快楽になってやめられない人もいます。

愛や愛情(歪んだ愛情=情念)を貫くためなら何でもするSさん。
神様仏様にはあなたの狂気的な愛は通用したかもしれません。
動物たちにはあなたの狂気的な愛は通用したかもしれません。
自己破産した親にはあなたの狂気的な愛は通用したかもしれません。

しかし、人間界や社会的には、あなたの愛情は狂気的でしかありません。
人間界や社会的に通用しないことに気づけないあなたは、もはや狂気的な愛情が通用するところ、神仏の世界動物の世界、それか無法地帯でしか生きていけないでしょう。

あなたは、『愛情という正義』をどこまで信じられますか?愛情が執念や情念に変わる時、それは、本人ですら気づけない、心の動きです。

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