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日本からボリビアまで66時間の道のり(後編)

待つこと7時間、自分でもよくこんなに待てるなと思う。
今回チケットを買ったバス会社は「ANDRINHA」社。料金は500レアル。このルートを検索する人もまずいないと思うが、わたしがこのルートを検索したものもだいぶ古かったので、最新の情報をここに記したいと思う。

バスはリクライニングできないと聞いていたが、さすがブラジル、バスのクオリティは高く、リクライニングできないとは言うがこれだけできれば充分の恐らく140度。シートの幅も広い。
ブラジル人ばかりかと思っていたが車内はボリビア人がほとんどを占めていた。ブラジル、ボリビアを除いた国籍の人は見たところわたししかいない。
最初の3時間程度は眠れたが、バスは2~3時間毎に休憩を取るので、そのたびに窓際の人が降りるため通路側のわたしも起こされ、結局まとまった睡眠はほとんど取れなかった。
1時間の時差と1時間の遅延で「Corumbá」まで22時間を要した。座りすぎのせいか最初バスを降りると上手く歩けなかった。それとも前日のハンバーガーから何も食べていなかったせいだろうか、体力の限界が近づいていた。

バスを降りてからが本当に分からなかった。歩いて国境まで行ける距離だろうか調べてみると7キロ……無理そうだった。
周りを見るとみんな迷わず並んでいるタクシーに乗り込んでいる。誰もが家族連れだ。
わたしもタクシーしかないだろうなと思ったが、問題はレアルを持っていないことだった。ここまではクレジットカード1枚で凌いできたが、タクシーはカードが使えなかった。
困った……周辺にATMがある様子もない。こんなことならバスターミナルで現金を作っておくべきだったかも知れない。しかし、それをしなかったのは見るからに手数料がかかるATMしかなかったからだ。だからクレジットカード1枚でやってきたのだが、ここに来て万事休す……歩いて行けるとでも思っていたのだろうか。
ダメもとで「Uber」も検索してみたがヒットする車はなかった。
タクシーのドライバーは親切にATMに寄ってそこから国境に向かおうかと提案もしてくれるのだが、どうもわたしのほうではそれを素直に受けられない。その間に時間ばかりが過ぎていった。

やはりどうにならないだろうと、諦めてATM経由でお願いすることにしたとき、別のドライバーからありがたい提案を受けた。そのクレジットカードでガソリンを入れてくれ、料金はそれでいいと。なんと賢い提案なのだろうか、料金を訊くと50レアル。全然距離相応ではないと思うが、声をかけてくるドライバー誰に訊いても50レアル以下は出てこなかったので、もうそれでよかった。
後の便のバスでやってきたと思われるブラジル人3人と車をシェアする形だった。
国境にはあっという間に着いた。

ブラジル側出国は秒で済んだが、ボリビア側イミグレーションでまあまあ押した。
その間にペルーのおじさんと知り合いになった。この人のおかげでたまたま持っていたペルーの通貨を少額だがボリビアの通貨に換えることができた。
国境を越えたのでボリビアの「Pueto Quijarro」という街だった。ペルーのおじさんは今夜の便でサンタクルスを目指すとのことだったので一緒にタクシーに乗ってバスターミナルへ向かった。わたしは明日の分のチケット買っておきたかった。

サンタクルス行のバス会社が何社も並んでいた。ここからサンタクルス行のバスが出ているということは、ここまで運んでくれたタクシードライバーから聞いていた。わたしはてっきり次の「Puerto Suárez」まで行かないと数が少ないのかと思っていたがこっちで正解のようだ。

120ボリビアーノでサンタクルス行のチケットを購入した。ちなみにバス会社は「23 de Marzo」社。3列シートのセミカマだ。
ここでもカードは使えない。ATMもないのでわたしは持っているユーロを両替した。
わたしもペルーのおじさんもチケットを取れたのでここでお別れ。そのままわたしはタクシーで宿探しに出かけた。もう体力の限界だったのでタクシーでどこか宿が密集しているところへとお願いした。

宿が密集しているのはどうやら国境付近のようで、不本意にまた戻ってきてしまった。しかしおかげですぐに宿を見つけられた。
これですべての工程が終わり。実に66時間の長旅だった。
それにしても、旅をしていて一番大変なのは移動であり、一番書くことが多いのも移動である。

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