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「優しい人」と「甘い人」

傍目から見ると同じように見えるそれ。

こんばんは、うにもちです。
皆さんは「優しい」と「甘い」の差って考えたことはありますでしょうか。
ある方は多分このノートは同じ結論に行き着くと思うので流し読みで大丈夫ですが、もし考えたことがなかったとしたら、少し立ち止まって読んでいただけると幸いです。

まず僕の話をすると、やりたいことばっかりやってやらなきゃならないことをついつい後回しにしてしまうので自分には甘々だと自覚しているわけですが、多分他人にはそれ以上に甘いと思います。
僕はあまり人に対して怒りません。それは人のミスを見逃せる包容力がある訳でも、忍耐強い訳でもありません。
ではなんなのかと言うと、僕は他人の行動にそもそもそこまで関心がないんですね。関心がないので何かやらかしたとしても、大体のことはどうでもよく見えるんです。

優しい人はミスに対しては多分怒りはしませんが、注意はすると思います。
なぜかと言えば簡単な話で、注意することでただのミスという事実ではなく、経験としてその人の今後の人生に役立つようになるからです。
とはいえ人からそんなことを言われなくても自分で経験にできるタイプの人には大きなお世話になってしまう訳ですが……優しい人なら多分うまく見極められると思います。勿論見極められない場合はただのお節介になりますが。

そういうことを踏まえると怒らない人を優しい、包容力があると安直に考えてしまうのは少しまずいことになるんじゃないかなぁと思います。
あなたのことが好きだからちょっと失敗しても許してくれるのと、あなたの行動に興味がないから感情の起伏が存在しないのでは意味が180度変わってきますからね。
どれだけ仲が良いように見えても、相手からは正直別にどうでもいいと思われているのかもしれません。


ただ、どうでもいいからといって一緒にいることが楽しくないのかといえば全くそんなこともないわけで。
僕自身一緒に遊ぶような友達には好きな人しかいませんし、そもそも嫌いな人というのはいません。属性的に嫌いというのはありますが……まぁでも、それはそれなので。

話しているのは楽しいですし、友達のことはみんな好きですよ。
でも、なんかやらかしたとしても別にどうでもいいんです。
先程も述べた通り、好きだから許せるのではなくて、別にそれをされたからといって僕の人生に影響があるかと言われれば、それはとくにないので。
ただの友達にそこまで過干渉するほどの熱量はもう持てないですし、そもそもその失敗が後の人生にどう影響しようとしまいとどうでもいいですし、下手に関わって相手の機嫌を損ねるのはもっと面倒臭い……。
そんな感じですかね。

優しくはないんです。怒りはしませんけど。
都合はいいと思います。何をされても基本は何も言わないので。
都合のいい言葉を聞きたい時も丁度いいと思います。火種になるようなことはこちらも言うつもりもないので。

だからこそ、本当にしっかりとした話がしたい時は、それなりの態度や覚悟をしてから臨んでほしいのです。
僕みたいなタイプの人間がちゃんと話すと、多分傷つく人は傷つきます。
だから傷を恐れてしまう人なら、僕は付かず離れずのところにいるのでそのままにしておいてください。
別に何も言いませんから。

しっかり話をしたのに、事実を言っただけで傷つかれて文句を言われてなんて、そんなことはもう面倒になってしまったんです。
だから普段から優しくはなれない。もうそこまで青くはなれない。
そうなると話すにもこちらとしてもある程度の覚悟が必要なわけで。
まぁ、しっかり話す時でも一歩引いた位置で話してはいますけどね。
ただ、それを踏まえたうえでぶつかってきてくれるのなら、これほど嬉しいことはありません。

「優しい」と「甘い」とでは思考に大きな差があります。
表層に上がってくる行動としては、それなりに似ているとは思いますが。
注意をするのは面倒です。怒ることはメンタルもパワーも使います。
最近は自分に一切関係のないことに怒り狂ってる(またはそう見せている)人が沢山いますけれど、本当にすごいと思います。
あそこまで僕は人に関心を持つことはできません。
優しいなぁって思います。

自分だけでも精一杯の僕は、他人の行動一つ一つに興味を持っている余裕がないんですよね。
それをされたから何があるのかと、そう思ってしまうので。
そんな自分の人生においてクソほどどうでもいいようなことに対して全力投球できるあなたはとても素晴らしいと思います。
是非そのまま頑張って頂いて、傷つくなり面倒になった相手からブロックでもされてください。

とまぁ、ここまで言いましたが皮肉ではないですよ。
すごいと思うのは事実です。
こいつ何回同じこと言うんだって思った方、ごめんなさい。
でもこれ別に論文でもないんで、そこはご愛嬌ってことでお願いします。
なるほどなって思った方、まぁこう言う人もいるんだってなんとなく頭に留めておいてもらえると、多分僕と同じタイプの人は楽になります。
余計なことをと思ったあなた。たぶん僕以上に省エネですね、お疲れ様です。


ただその一方で全力で人とぶつかることも良いと思います。
むしろその方が人生を送る上で遥かに有意義であると感じています。
僕の尊敬している作家さんの仰木日向さんが先日、

三年という時間制限のある期間を全力で過ごして、人とぶつかって。だからこそ青春という期間は輝く。

このようなことを話していました。
残念ながら元の文章が見つからなかったのと、細かい表現は思い出せないので引用はできなかったのですが、ここで話されている通り人とぶつかることが人生の意義だと僕は思います。

ぶつかって、後悔して、それでも前に進んで、たまに立ち止まって、絶望して、希望は見えないのに進まなきゃいけなくて。
そんな地獄のような世界だからこそ、他人と分かり合えた時に世界が変わるほどの衝撃を受ける――。

そういうことだと僕は思います。
だからわかっているんです。
こんな省エネな考えがいかに虚しく哀しいか。
いかに意味のない選択なのかということは。

人生に色を添えるのは感情であり衝動です。
他人に無関心であればあるほどに、どんどん色を失ってしまいます。
そんなものは生きているとは言えないじゃないですか。

大人になると楽しいことが少なくなるという話を昔『大人』から聞きました。
今僕は気づいたら社会人になり、働いていました。
今の僕は子供にこう言うことしかできません。
「お金は自由に使えるようになるよ」と。

また、お金は稼げるけど使う時間がないと人は言いました。
でもそれは昔の話になりつつあるのかなぁと思います。
今は通販というものがここまで浸透しているじゃないですか。
家に居ながら買い物ができるんです。買うことに時間は必要ありません。
僕は最近昔親に売られてしまったゲームをひたすら買いあさるという、非常に生産性のないことをしています(とはいえプレイは全然できていない)。

気付けばカードの請求が今までの感覚でとらえるとえらいことになっていて、それでもよくよく考えると別に払えないこともなくて。
社会人になってお金をしっかり稼げるようになると、ここまでお金の自由度は変わる物なのかと思い知りました。


さて、話がそれてしまいましたがとにかく人生を豊かにするものは人とぶつかりあいです。
それによる感情の動き方及び表出の仕方はもちろん人それぞれですが、自分一人だけで生きていて豊かになるものではないと僕は考えています。
自分とは異なったものと触れ合うからこそ成長し前に進めるんです。
停滞や後退、果ては前に進むことすら諦めてしまうこともあるほど他人と関わることは危ういものですが、それでも人と関わらないことには何も始まりません。

そこまで考えたうえでそうしていると、人と触れ合うたびに心を動かすことはとても疲れることに気づくと思います。
本当に疲れるんです。違う生き物と全力で接するということは。
気を使うし何より関わらざるを得ない相手だから中途半端にはできない。
よくわからないことを要求されることもあれば、自分の根幹を砕くようなことを平気で口にする人もいる。
なんでこんな奴の為に自分の時間を使わなければならないのかと、そう思って人と関わることをやめてしまった人も現代には多いです。

僕は幸い関わった人の大半はいい人でした。
そのため「関わらない」ではなく「気にしない」という選択肢がまだ残っています。
ただ、そんな風にいい人に囲まれてもなお疲れてしまうんです。
だからこそ、人と全力で向き合い続けられる人はすごいと思います。
非常に残念なことに、僕には無理でした。
とても悲しいけれど、それでも自分を少し大事にした方がいいんだろうなって思ったんです。
人と関わるにも何にも、自分が資本ですから。


少し長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。
これを読んだうえで何か思うことがあって、かつまだ人に対する気力のある方は是非コメントで思いの丈をぶつけて頂ければと思います。
それでは。

#コラム #人生 #優しい #甘い #友達 #人間

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