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「普通」のためのハードル 後編

随分と便利な言葉ですね。

こんばんは、うにもちです。
今回初めて前後編に分けてお送りしております。
前編はこちらからどうぞ。


あなたは「普通の人生」ってなんだと思いますか?
色んな人がいるんだから普通なんてないだろうっていうこのノートの核心をついた意見は一旦さておいて、所謂普通の人生について少し考えてみてください。
多分漠然と頭には浮かぶんじゃないでしょうか。

僕が思う「所謂」普通な人生というと、

しっかりした両親から生まれ、虐待もネグレクトもされず、良好な友人関係に恵まれ、大学を無事卒業してそれなりの中小企業に入社。
初めてのことに苦労をしつつもそれなりに壁を乗り越え二十代後半あたりで結婚。
その後二人の子供に恵まれて、60歳くらいで孫を抱いて、80〜90歳くらいで家族に見守られて静かに息を引き取る……。

大体こんな感じかと思います。

言っておいてなんですが、この人生を普通ということに違和感を感じている人が殆どだと思います。勿論僕もその一人ですが。

これはとても簡単な話で、この人生を送る難易度って尋常じゃなく高いんですよね。
基本的に全て「運」によって左右される事柄ばかりですし、何か一つ歯車が狂ってしまうと、こんな人生は送れない……はっきり言ってこれは普通ではなく理想です。

一度何かしら「普通じゃない」ことを経験してしまった人生は、もう普通の人生のレールには戻れないんですよ。
そんなもの、普通って言えますか?
本当にこれは「大衆の人が送っている人生」なんでしょうか?

……と、ここまで書いてから思いましたけど、これってどこから刷り込まれた「普通」なんですかね。
なんとなく思いあたるのは、それこそ昔からずっと放送しているサザエさんだったり、ドラえもんだったりですけれど。
そうなると今の若い方だとこのイメージすらないかもしれませんね。

そういえばちょうど先日林修さん(もといそこで紹介されていた本)が話していた内容によると、どうやらサザエさん宅の合計年収は1700万ほどになるそうですね。
本当に一切普通じゃない。


さて、人生を送る上で恐らく一番重要な役割を担っているであろう方たちはいったい誰だと思いますか?
僕の答えは「両親」です。
学校にいるクソみたいな奴も、職場にいる同じくクソみたいな上司も、あくまでその場から逃げれば基本的にはもう会わなくて済む対象です(それでも追ってくるやつにはどうにかして法的措置を取ってください)。

しかし、両親は残念ながら違います。
身なりの綺麗さに始まり考え方や生き方、将来性に至るまで、これらは全て親の影響をダイレクトに受けます。
毎晩外食をして子供時代を過ごした人もいれば、働いていながら親への仕送りで娯楽物を買えない人もいる。
ここまで人を左右する存在は他にないと思います。

となると親が違うということは生きてる世界がまるで違うことになるんじゃないでしょうか。
僕には両親は一人ずつしかいないので別の家庭を体験をした訳ではないのですが、それでも友達を見るだけでなんとなくわかります。

部屋の大きさや持っているゲームの数、常備してあるお菓子の量だったり、それこそ先に挙げたような外食の数だったり。
別にどうでもいいことばっかりなんですけど、これだけ違うところで生活しているんだから見ているものも違うだろうな、なんてことは簡単に想像がつきます。

僕の親は、酷い親のところに生まれてしまった人から見たら、とても善良な人に見えるんじゃないでしょうか。
別段大きな問題は特にないですし、基本的に僕の意見は尊重してくれますしね。

ただ、再度繰り返しますが僕が知ってる「両親」という存在はどこまで行ってもこの二人だけなんですよ。
他人の親が酷いとか自分の話の上では知ったことではないですし、僕は僕で勿論それなりに苦労はしています。
だからこれに関しては世間一般でみてどうだとか、私の親よりマシだとか、そんな話ではないんですよね。

まぁこれは親の話ですがそれ以外でも勿論そうです。
普通なんてものはそもそも自制や向上心のために使う程度のものであって、人に強制するためものではないんですよ。
だってそれは「あなたの」普通でしょ?
んなもん知らんがな。押し付けてくるんじゃねぇよ。
……と、僕からするとこうなる訳ですね。

こちらも2度目になりますが、家庭が違うのであれば、住んでいる世界が違います。
例え親が同じだとしても、個人の能力にも差があるのでできることやりたいことはまるで変わってきます。

以前も書きましたが、同じ姿をしているだけで同じ事ができるなんて、世界はそんなに優しくはないんです。
他人に限らず、最早親すらも別な生き物と思った方が遥かに楽で楽しいですよ。
何を言われたとしても、それが異世界の人ならば気になりませんから。


前後編に分けて書きましたが、今回の結論といたしましては前半の言葉に一言付け加えて、

普通というものは発言した本人が「大衆の人はこう思っている『だろう』」というもののことであり、押し付けにすぎない

ということですね(結論が長い)。
普通とは言っても散々話した通りそれは「一般的」ではないんですよ。
人が「普通こうなんだから」という話をする際に何を考えているかというと、結局「これこれこういうことをしてほしい」という願望が裏にあります。
つまり「こうしてくれたら理想だったな」ということなんですね。

理想であるのに「普通」という皮を被せることによって「なんでできないの?」と相手に言う事ができるんです。
気持ちいいでしょうねぇ、こいつができてないことを平然とやってのける自分という図は。

元来人って汚いものなので他人にマウント取る事が好きなんですよ。
なのでそういう他人のことを考えず、欲望に忠実なおばかさんには「受け流す」ということをしてあげると勝手に地面に激突して痛い目を見ると思うので、まぁ綺麗に流してやってください。


いやはや、前後編って難しいですね。
僕の場合コロコロ話が飛んでいくのでなんの話をしているのかわからなくなりやすくて、それを纏めるのがいつもそれなりに大変なんですが今回はそれ以上でした。
ノートも別れてるのでいちいち見に行かなきゃいけないですし。

こんな裏話はどうでもいいと思いますが、まぁそういう事情なので話が逸れまくっててもご愛嬌ということで。
それでは。

#コラム #人間 #普通 #一般 #人生

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