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金の麦、銀の月(9)

第八話 化かし化かされ

文化祭二日目も終わり、家へ帰ると私は部屋に直行し、頭に浮かんだ物語の一行目をノートに綴った。

___人間の作る映画を好む狐は、時折人の姿に化けては映画館という、大勢の人間が好んで通う大きな箱へと足を運ぶのであった。

物語を作るというのは、人を化かすことに近い。私が作った世界に読者を連れ込み、その世界の住人にしてしまう。今日、先輩と話したことで、演劇にも同じように、観る人をその世界へと誘引する力があると再確認した。

読者の過去、あるいは知識や思考が物語に近いほど強く惹き込まれるに違いない。先輩は過去、あの本に化かされてあの脚本を書き、私もあの本に化かされていたからこそ、あの舞台に強く引き寄せられたのだ。私はこう続けた。

___狐はよく本を読んだ。人間が道端に捨てていった本をねぐらに持って帰り、夜な夜な読み耽った。人間の書く物語に化かされた狐は、今度は人間を化かして映画館に通うのだ。

今度は私が化かす番だ。

先輩が読んだことがあると言っていた、あの本を題材に物語を書いてみよう。

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文化祭が終わると忙しなかった部室にも平穏な日常が戻ってきた。サークルの活動日も週に二日ほどになり、私はこれを機にアルバイトを始めることにした。

両親はアルバイトはやらなくてもいいよと言ってくれてはいたが、物語を書くのに経験は大きな武器になる、と思っていた私は、前々から堀に誘われていたのもあり、大学から少し離れた場所にある小さな映画館で働き始めた。

そこでは、最新の映画ではなく、昔の作品や少しニッチな映画を上映していたため、お客さんの出入りも大型の映画館よりは随分と緩やかだった。チケット切りや館内の掃除が主な仕事だったが、客が居ない時は何していてもいいという考えの店長だったため、私と堀は客足が途絶えている間はカウンターの裏で執筆に勤んだ。それから、休憩時間は上映されている映画を見て良いという決まりもあったため、私はほとんど毎日映画を見るようになった。普段、大きな映画館に見に行く時は特段好んで見ない映画を見る、というのは案外いい経験だった。執筆の傍ら、ポップコーンのつまみ食いをしすぎて太るのが難点だったが、私は大学卒業までこの映画館で働くこととなる。

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掘と二人で受付に入っていたある日、一段と目を引く美しい女性が一人でチケットを買いに来た。

「二十四の瞳の20時台を1枚お願いします。」

彼女は細長い指で会員カードを差し出すと、美しい仕草でカウンターに置いた。カードの裏に名前の記入があるのを確認し、彼女にカードを返すとレジに一枚分の金額を打ち込んだ。

彼女がお金を取り出す間に、私は妙な引っ掛かりを感じていた。さっきの会員カードに書かれた名前になぜか見覚えがあったのだ。けれども、こんな美しい人は初めて見たし、会ったのも無論今日が初めてだった。

お金を受け取り、チケットを手渡すと、彼女は「ありがとう。」と小さく会釈して、映画館の扉を押して外に出ていった。

堀にさっきの女性に見覚えがないか聞いてみたが、堀も今日初めて見たという。しばらくうんうん唸って記憶を辿ってみたが、思い出すことは出来なかった。なんとなくモヤモヤしたままであったがしかし、再び原稿用紙に目を落とした私は思いついた。

___そうだ。あの狐は美しい娘に化けていることにしよう。そして、映画好きの青年と恋に落ちる……。

私はワクワクして鉛筆を握り直した。この物語が大きく動き出す予感が胸に迫っていた。


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◈主人公◈

中原美月(なかはら・みづき) 
26歳 会社員・作家
ペンネーム 月野つき
大学時代のサークル 文芸サークル

佐野穂高(さの・ほだか)
27歳 作家・ライター
ペンネーム 穂高麦人
大学時代のサークル 演劇サークル

◈登場人物◈


18歳(当時)
所属サークル 文芸サークル

美しい女性
映画館の客

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