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金の麦、銀の月(8)

第七話 きっかけ

部室につくやいなや、私はロッカーに駆け寄った。

このロッカーに入っているのは、穂高麦人という名前を初めて知った新歓公演のパンフレットと、私が小学生の頃から大切にしてきた一冊の本。

その二つを胸に抱えると、私は再び体育館へ向かって歩き出した。心臓が飛び跳ね、ソワソワと落ち着かない。一度立ち止まると、自分に言い聞かせるように深く息を吸った。

しかし、気を取り直して一つ目の角を曲がったところで、目的の人物にばったりと遭遇してしまった私は大きく息を飲んだ。

あまりにピタリと動きを止めた私を見て、相手も何事かと思ったのだろう。驚いた顔をして歩みを止めた。

「…文芸部の……?」

相手は名前までは覚えていなかったようで、怪訝そうに私の顔を覗き込んだ。

「____あっ、えっと…はい!……文芸部一年の中原です!」

慌てふためいて勢いよく自己紹介をした私は、その勢いで言葉を続けた。

「あの…!さ、佐野先輩の、新歓の時の脚本について聞きたいことがあって…。」

言葉尻が消え入りそうな私の言葉を聞き終えた先輩は眉を上げた。そして、案外楽しそうに笑って頷いた。

「いいよ。ここじゃなんだし、演劇部の部室においでよ。こいつらも置きたいし。」

そう言って、両手に持った大きな荷物をあげて見せた。

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「他の二年全員、演劇部の後のダンス部見に行くから、部室戻るなら荷物頼んだ!って押し付けられたんだ。」

演劇サークルの部室に着くと、半ば呆れたような口調で笑いながら、先輩は大きな机の上に荷物をドサッと置いた。大きな紙袋の中はどうやら、公演で使った衣装のようだ。

演劇サークルの部室には初めて入ったが、文芸サークルと同じ間取り、同じ広さで、窓からの風景もほとんど同じだ。奥の扉が大道具の倉庫に繋がっているようだがかなりはみ出てしまっている。文芸サークルの二倍くらいの人数がいるはずだから、サークル員の数に対して部室の大きさは明らかに小さすぎた。

しげしげと部室を見渡していると、いたずらっ子のような顔をした先輩が小さくささやいた。

「…下の化学部が嘆いてたよ。演劇部は大道具が山のようにあるし、文芸部も本が山積みだから天井が年々落ちてきてて、いつ下敷きになるかもしれないって。」

ええっ、と驚いて床を見るとたしかに歪んでいるように思える。つま先で床を押して確かめたところで、私は本題を思い出した。

「あっ、先輩。この後予定があるんじゃ…?」

同級生が皆、ダンス部を見に行く中、一人で戻ってくるのには、理由があるはずだった。

「ん。時間なら大丈夫。この後学部の出し物の片付けがあるはずだけど、まだ連絡来ないし。」

聞きたいことって?と首を少し傾げた先輩は机に少し寄りかかった。

私は再び緊張して、背筋に力がいれた。胸に抱えていた本とパンフレットを先輩目の前に差し出した。

「先輩の脚本、この本読まなきゃあのセリフは出てこなかったんじゃないかなって。」

ほとんど確信はしていたけれど、そうであって欲しいと言う願いを込めて先輩の返事を待った。本を手に取った先輩は表紙を見ると、あぁ!という声と共に顔を綻ばせた。

「そうそう!よく分かったなぁ…。中原さんも好きなの?」

私は興奮のあまり、ぶんぶんと首を縦に振った。

「物語を書きはじめたきっかけなんです。新歓の時にこの舞台を見て、この本知ってる人がいるんだって、ずっと探してて。」

そうなんだ、と嬉しそうに眉を上げた先輩は、ゆっくりとページをめくりながらあの舞台の一説を諳んじた。

「___マーヤ!愛しいマーヤ!さよなら、愛しいひと。」

原作では悲劇的な別れで終わってしまうシーンだが、先輩の脚本ではその先の未来が垣間見えるような結末となっていた。

「物語とか舞台は全然違うんだけど、このセリフは、原作そのまますぎたなって少し反省してる。」

少し悔しそうな顔をした先輩に、そんなことはないです、と私は横に首を振った。あの言葉があったからこそこの本と__。

私の作品愛に火がついたことがきっかけで、先輩の相槌にも熱が入ったように思う。

その後、私たちは好きな本や作家、舞台について時間も忘れて語り合った。


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◈主人公◈

中原美月(なかはら・みづき) 
26歳 会社員・作家
ペンネーム 月野つき
大学時代のサークル 文芸サークル

佐野穂高(さの・ほだか)
27歳 作家・ライター
ペンネーム 穂高麦人
大学時代のサークル 演劇サークル

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