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金の麦、銀の月(3)


第二話 大きな流れの中で

このメールが届いてからの二ヶ月間は、本当に目まぐるしく時が過ぎていった。

メールが届いた次の日、出版者宛に「本を出版したい」と返事をすると驚くべき速さで返答があった。一週間後に、担当者と今後について話し合いましょうという内容だった。

私は次の日の仕事終わりに実家へ帰り、押し入れの奥に眠っていた文芸冊子を引っ張り出してきた。少し色あせた表紙をめくり、自分の作品を読み返す。

大学四年生の時、夢をきっぱりあきらめるために集大成として書き綴った物語は、案外すぐに私の中に生き生きと舞い戻ってきてくれた。

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その夜、冊子を見せると穂高は「懐かしいなぁ」と目を輝かせた。大学時代、穂高は演劇サークルに所属していたが、脚本のインスピレーションを得たいと、部室が隣だった文芸サークルによく遊びに来ていた。

私たちの部室には床が抜けるほどたくさん本や、過去の文芸冊子が所狭しと積まれており、知る人ぞ知る小さな図書館だった。

穂高は、大学四年の最後に発刊した文芸冊子も一番に読みに来てくれた。穂高はマメな一面もあり、文芸冊子を読むと、必ず作家それぞれに感想を書いてくれていた。引っ張り出してきた冊子にも、当時穂高が書いてくれた感想が挟まっていた。

___穂高のそんなところに惹かれたのだが、一緒に暮らしてみると案外不器用でちょっぴりおっちょこちょいだ。

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担当者と話していても、なんだかまだ夢の中にいるようだった。出版までのおおよその流れを聞いた後、スケジュールを組む。夢のような時間も束の間、原稿の加筆や修正、入稿、校正などが待ち受けていた。

過去の作品を書き直すというのは大変な作業ではあったが、久しぶりにペンをとった私は、心が満たされていくのを感じていた。4年前に封じ込めた夢が再び動き出し、実現しようとしているのを目の当たりにながら、私は興奮冷めやらないまま忙しい日々を過ごした。ペンが思うように進まず、ひどいクマを目の下に作ったまま会社に行く日もあった。けれど、興奮状態にあったからか、仕事を辛いと思う日はなく、むしろ以前より調子が良くなったように思う。

___そして、あのメールから2か月後、とうとう私の書いた本が書店に並んだ。本の発売日は、普段穂高と一緒に行くことの多い駅前の書店に立ち寄った。

新刊コーナーで、自分の名前を見つけた時の感動はなんとも例えがたいくらい素晴らしいものだった。私が一冊手に取ると、穂高がもう一冊手に取ろうとする。本棚をシェアしている私たちは、同じ本を2冊も買うことはなかった。驚いて見上げると穂高は眉をあげてにやりと笑った。

「月野つき先生のサインの1番目、俺にください。」

急にペンネームで呼ばれたくすぐったさと、先生と呼ばれる恥ずかしさもあり、私はやだと言ってそっぽを向いた。学生時代にも一度、冗談めかして呼ばれたことがあり、当時の場面が懐かしく思い出された。

そっぽを向いた私に、穂高がそんなぁ、と本気で残念そうな声を漏らす。唇を尖らせた穂高の様子が可笑しくて、私はつい吹き出した。

「……もちろん、1番目は穂高麦人先生にあげます!」

仕返しとばかりに穂高のペンネームで呼ぶと、穂高もちょっと照れた様子でありがとうと笑った。


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◈主人公◈

中原美月(なかはら・みづき) 
26歳 会社員・作家
ペンネーム 月野つき
大学時代のサークル 文芸サークル

佐野穂高(さの・ほだか)      
27歳 作家・ライター
ペンネーム 穂高麦人
大学時代のサークル 演劇サークル


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