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金の麦、銀の月(7)

第六話 幕開け

待ちに待ったステージの幕が上がった。

装飾も何も無い舞台の真ん中には、光沢のある茶色い椅子がぽつんと一つだけ置かれている。そして、こちらに背中を向けて座る女性。呼吸音と共に肩が僅かに動く。泣いているのだろうか。長い髪がするりと肩から落ち、彼女はゆっくりと空を見上げた。すると、彼女を照らすスポットライトの中を、細く長い糸が静かに降りてきた。彼女はしばらくそれを見つめると、酷く緩慢な動作でそれを引いた。

パチッ

と音がして、ステージは闇にしずんだ___。


酷く静かな物語の始まりだった。

**********************

ザーッ_____

拍手がさざなみのように鼓膜に押し寄せ、私は自分が長い間息を止めていたことに気づいた。慌てて拍手をすると、隣から堀のすすり泣く声が聞こえてきた。

物語は一時間という短い構成で、穏やかで上品な女性の書き手を思わせる作りだった。「ともしび」という題目の通り、ステージ上でありとあらゆる光が再現され、私はなぜか詩篇を読み終えたかのような少しの寂しさを覚えた。

この脚本は入学式の時に見た舞台のものとはまるで違っていたが、どちらも素晴らしいものに違いはなかった。

幕がもう一度上がり、横一列で礼をする演者たちに拍手を送ると、私は急いでパンフレットを開いた。最後のページ、脚本を作った人の欄を見ると、初めて見る女性の名前が書かれていた。私は合点がいった。やはりこの舞台の脚本は女性が書いたものだった。おそらく、脚本を書き起す文字も流暢で美しいのだろうと私は想像した。

肩をつつかれて私は我に返った。堀が笑い声を飲み込んだような顔をしてこちらを見ている。体育館に居ることも忘れてパンフレットを食い入るように見つめていた私の姿が面白かったのだろう。赤面する私にの耳に、堀が顔を寄せた。

「ねぇ、佐野先輩も出てたね。あの、図書館にいた学生役。」

私は、あぁ。と思い出した。夏休みに脚本家として紹介されたため、演者として物語に出てきた時に少し驚いたのだ。演劇部も人手不足らしいし、二足のわらじを履かざるを得ないのかもね、と堀に言いつつ、私は佐野先輩を探そうとパンフレットの文字列を追った。知ってる人の名前を探すのは、少しわくわくするものがある。

しかし、いくら探しても佐野という文字は出てこない。脇役とは言ってもちゃんとセリフもあったし、大事な役どころだったはずだ。不思議に思ってもう一度見直した私だったが、左の隅に書かれた《図書館の学生》に続く名前を見て心臓が飛び跳ねた。

「…ねぇ、佐野先輩の下の名前ってなんだっけ。」

私の問いに、ん?と眉を上げた堀は頬に指を当てて考え込んだ。

「んー、たしか……佐野……穂高とかって言ってたような気がするけど…。」

それを聞いて思わず私は、堀の方を振り仰いだ。その勢いに驚いたのか、堀は目をぱちくりしている。早鐘のように打つ鼓動を抑え、私は立ち上がった。どうしたの?と堀が尋ねる前に歩き出していた。

__佐野先輩にどうしても聞きたいことがある。

私の体は体育館を飛び出して、文芸部の部室に向かっていた。


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◈主人公◈

中原美月(なかはら・みづき) 
26歳 会社員・作家
ペンネーム 月野つき
大学時代のサークル 文芸サークル

佐野穂高(さの・ほだか)
27歳 作家・ライター
ペンネーム 穂高麦人
大学時代のサークル 演劇サークル

◈登場人物◈


18歳(当時)
所属サークル 文芸サークル


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