金の麦、銀の月(2)
第一話 月が満ちる夜
穂高とラーメン屋に出かけた日から数日後の夜のことだった。晩御飯もお風呂も終わり、私は密かにネットサーフィンをしていた。穂高の誕生日が二ヶ月後に迫っていたからだ。
ブブッとスマホが震え、通知音と共に一件のメールが届いた。
ショップか何かの配信メールだろうと、私は無視しかけたが、通知欄を見てふと手が止まった。そのメールの宛先がずいぶん前に使っていたメアドだということに気づいたからだ。社会人になった際にメアドを変更したため、その当時から今まで、そのメアドは過去のメールを見返すときにしか使っていなかった。
誰からだろう___首をかしげながらメールを開いた私だったが、件名を見た瞬間、心臓がどくんと高く跳ね上がった。
私の目は、件名の中ほどに並ぶ四つの文字に釘付けになった。
そこには、四年前、まだ夢を抱いていた頃の私の名前が書かれていた。
その名前を見ると、懐かしくもあり、けれど思い出すと未だにツキンと胸が痛む。そこに書かれていたのは、文章を書くことが日課で、大きな夢を追いかけていた頃の私のペンネームだった。
『件名:_____月野つき 様_____』
”月野つき”
その名前が書かれたこのメールが、小さな幸せに満ちた私の日常を大きく変えることになる。
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出版社から送られてきたメールの内容は、簡潔に言うと「あなたの作品を出版したい」という、とある出版社からのスカウトだった。
しかし、私の頭の中には嬉しさよりも、一つの疑問が浮かんでいた。なぜならば、過去の作品は全て手書きで書いていて、文芸サークルの冊子にしか載せていなかったからだ。一大学の一サークルの冊子を、出版社が目にする機会なんてあるのだろうか。
___いったいどこで私の作品を読んだのだろう。
メールを読み進めていくと、末尾に一つのURLが添付されていた。その下には『ここであなたの作品を読みました』との一文があった。
急いでURLを開いてみると、私が普段使っているSNSのアプリが立ち上がった。開いたページには、私が大学四年生の最後に書いた小説がなぜか丁寧にテキストに書き起こされ、画像として貼り付けられていた。
心臓がどくどくと波打ち、手が震える。
その画像の横には、『月野つき先生の作品もっと読みたい。』という一文が添えられていた。そして、そのページには私の作品を称賛するコメントが数多く寄せられていた。
本当に、現実に、こんなことが起こりうるのだろうか。
私は急に疑心暗鬼になった。こんなことあるはずがない。きっと騙されているのだ。本を出版しようと持ち掛けて、お金をむしり取る詐欺だ。
私は半ば腹を立てながら、メールに記載されていた出版社名やその住所や電話番号も、全て調べた。私の小説を拡散した人物にも怪しい点が無いか、ページの隅から隅まで確認した。
しかし、メールに書かれている出版社は間違いなく存在する出版社であり、小説を拡散した人物も、真っ当に小説のレビューを書いている人物だった。
私は急に体の力が抜け、座り込んだ。この時にはもう、ほとんど夢心地だった。私は震える足で無理やり立ち上がり、部屋を飛び出ると、穂高の部屋をノックした。机に向かっていた穂高がこちらを振り返った途端、私の目から涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
急に泣き始めた私を見て、一瞬青ざめて駆け寄ってきた穂高だったが、興奮気味にメールの文章を読み上げる私につられるように、穂高の顔もみるみる紅潮していった。思わず私の手を握った両手も震えている。
「よかった、よかったね美月…。ほんっとにおめでとう!」
穂高は私の肩を抱きしめて、泣きすぎてうまく笑えない私の顔をみて笑った。よしよし、というように私の背中を優しく叩く穂高の目にも涙が浮かんでいた。
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◈登場人物◈
中原美月(なかはら・みづき)
年齢 26歳
職業 会社員
ペンネーム 月野つき
大学時代のサークル 文芸サークル
佐野穂高(さの・ほだか)
年齢 27歳
職業 作家・ライター
ペンネーム ???
大学時代のサークル ???
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