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uniのnoteです メンバーが好きなことをいろいろ書きます
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7月、今日歩いた川

おいのり

みんなもっとやさしいといいのになとおもう。思いやりって、何だろうか。よく、やさしい人ややさしい出来事を見たり聞いたりすると、ああ、JT(ジェーティー)…とおもう。私にとって、やさしさって、人との距離をちゃんと慮れることだ。想像して、努力すること。 たまたま神社の境内が見えたので、お祈りしようかなと、立寄った。目を瞑ったら、考えていたことと違う事をお祈りしていた。どうしてもまだ、この距離でしか、おもうことができない。 2019.10.22 2:37保存 写真は最近のもの。

幼稚園教諭二種免許と保育士資格を取得しました。

幼稚園教諭二種免許と保育士資格を取得しました。 昨日は、小さいころの誕生日の前の日みたいな気持ちになっていて、驚きました。いま、こんな気持ちになれるなんて、ちょっと前まで思っていませんでした。こんな風に、驚いたり、気づいたり、できるのが、うれしいです。

FTディレクターズラウンジ、の後に浮かんだいくつか

昨日3月18日は、フェスティバル/トーキョーのディレクターズラウンジにお声がけいただき、ディレクターの長島確さんと共同ディレクターの河合千佳さんとお話した。新型コロナの関係でトークは配信になった。 テーマは「まちと演劇」。ここ6-7年、uniが取り組んできた練馬のまちなかでの活動をご紹介した。地域、参加、創作、公共空間、アーカイブなどのキーワードを軸にいろいろと楽しくお話させていただいた。 その場では頭の中で言葉がつながらなかったけど、帰りながら浮かんできた言葉がいくつか

この場所を去るまで残りX日

自転車にのって最寄りの薬局に向かう途中、ふと引っ越そうと思った。このまち、この家を出てどこか違う場所に住もう。それがいい。 今はひとりぐらしをしているこの家には、少し前まで3人が暮らし、その前は5人が住み、もっと前は位牌の戒名でしか見たことのない人たちが住んでいたらしい。いろんな人が住んでいた。別の場所に移り住んだ人もいればあの世に行ってしまった人もいた。この家を建てた人物ももうこの世にいない。これまでのところ自分は見送るばかりで、見送られることはなかった。気がつくとこの家

坊主日誌②

一ヶ月も経つともう坊主ではない。坊主にしたと聞いたから楽しみにしてたのに、と言ってくる人もいた。そろそろドライヤーで乾かさないと湿ったまま寝ることになる。寝癖もできるようになった。 髪の毛が生えている安心感は触れることにあるんじゃないかと思ってきた。自分であって自分じゃないものに触れることで得ている安心感はありそう。もちろん人によるけど。 少しずつ伸びてきたけど、いつどんな風に髪を切ればいいんだろう。坊主から坊主じゃない頭に変えていく段階の始め方がわからない。知り合いに「

坊主日誌①

思い切って坊主にしてみた。人生初である。いろいろと大変なことが多くてナーバスになっている中、髪が伸びたから切らなきゃと考えたり、次の髪色どうしようと考えること自体がちょっとどうなのか、と思って、いっそ全部なくしてしまえという結論づけてわざわざ月曜日にやっている理容室を訪ねた。 やってみてわかったことを定期的に書いてみよう。 まず、想像していた以上に落ち着かない。髪型とか髪の毛というものが、無意識にも個人のアイデンティティに深く関わっているんだとよくわかった。すがすがしい気

いろいろ

7月 https://vimeo.com/372401255 https://vimeo.com/372401006 8月 https://vimeo.com/372397003 https://vimeo.com/372386502 https://vimeo.com/372386622 https://vimeo.com/372387025 https://vimeo.com/372389269

ふるさとは遠くにありて思ふもの

先月のはじめ、学会の研究会に参加するために岩手県の西和賀町に行った。夜行バスを使っての0泊3日の荒業だった。通常は関西か関東で開催される研究会が、今回は岩手と秋田の県境、決して交通の弁がいいとは言えない立地の西和賀町で開催された。西和賀町には川村光夫さんの率いたぶどう座をはじめ演劇の風土があり、銀河ホールという演劇専用ホールも持つ、演劇の息づいてきたまちの側面がある。「演劇と風土」という、テーマが先か場所が先かはわからないが、今回のテーマにぴったりの場所だった。そして現在も銀

10月13日 金木犀の香り

昨日はuniメンバーや川の近くに住んでる友だちや、遠くに住んでる親戚とラインや電話でやり取りしました。昨日まで殆ど眠れていなくて、風が強くなっていくのを雨戸越しに聴きながら、いつの間にか眠っていました。 日が昇り始めた頃に目が覚めると、閉めきれていない雨戸の隙間から白く光が足元を照らしていました。 階段を上がってくる足音がして、目が覚めました。またいつの間にか眠っていたようで、ベランダにいる母に声をかけに行きました。 おはよう、金木犀が咲いてる。

神輿と奉納

江古田の北口の方は氷川神社の氏子さん。 お世話になった江古田市場も三部小若でした。 久しぶりに奉納しに行ったら、なんだか注いできなさいと言われて、500のビール缶を飲み干して、少しだけ担がせてもらった。 この日のために気を遣うんだよなんて、おやっさんは言ってた。 でも、そうやって今でも兄貴と頼られて、懐かれると満更でもなさそうにビールを飲んでた。 味がわかんねーって言いながら、いつもより饒舌。 引退しても、こればっかりはやめられないんだって。 来年は最後まで担ごう。

ヒゲの話。

どこかで書いたかもしれないし、書いていないかもしれない。 営業の仕事を辞める少し前から、ストレスなのか遺伝なのか髪が薄くなり、 筋力も大分落ちていたことも相まって、昔より大分みっともない姿になっていた。 営業の仕事ではいつも無理して笑っていた記憶がある。人の話に笑って相槌を打ち、頼まれたことはNOと言えず、それでも上手く立ち回れずに社内に味方が少なかった。 そんな時、限界が来て営業の仕事は辞めてしまったのだけれども、仕事を辞めて2〜3ヶ月経った12月の年の瀬、高熱で動けなく

夕顔に見とるるや身もうかりひよん(ばせお)

 桃の繊維の束の千切るる 煌々と照るナイター 帰路 左車線  おばけに付き合う余裕はないわ 腕通す順を教えるモーニング  二階建屋の跡照る斜光 言う、聞くの区別がつかない哺乳類  テキストブック読まずに食べた

和田屋となみき

江古田にある、和田屋という大衆割烹が静かに閉店していた。貼り紙も出てなく、江古田の知人から耳にした。行けるうちに行かないと、と常々思って何かといくようにしていたが、それですら、気づかぬうちになくなってしまった。 歴史を感じさせる門構え、中の見えないすりガラスで、学生の頃には入る機会がなかった。初めて入ったのは25才くらいの頃。気が置けない店だった。しゅうまいとアジフライとモツ煮がおいしかった。酒が名前ではなく等級で書かれていて、300円もしない「佳選酒」は必ず次の日残った。