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ふるさとは遠くにありて思ふもの

先月のはじめ、学会の研究会に参加するために岩手県の西和賀町に行った。夜行バスを使っての0泊3日の荒業だった。通常は関西か関東で開催される研究会が、今回は岩手と秋田の県境、決して交通の弁がいいとは言えない立地の西和賀町で開催された。西和賀町には川村光夫さんの率いたぶどう座をはじめ演劇の風土があり、銀河ホールという演劇専用ホールも持つ、演劇の息づいてきたまちの側面がある。「演劇と風土」という、テーマが先か場所が先かはわからないが、今回のテーマにぴったりの場所だった。そして現在も銀河ホールを中心に話題を呼ぶ取り組みを次々と展開している。(詳しくは検索を)

西和賀町に行くのは3度目だ。かつてuniとしてここで滞在制作をさせていただいたことがある。約8年前、銀河ホール学生演劇祭という企画への参加で、温泉旅行に宿泊しながら上述の銀河ホールで一週間ほど制作をするという贅沢な企画だった(今も「雪の演劇祭」という名称で続いている)。uniがはじめて実社会と接しながら作品を作ったのが西和賀だった。江古田、高松はここからつながっていく。当時はそれを説明する言葉も持っていなかったが、今振り返るとあの頃は演者だけで完結した作品ではないもの、ある行為を演劇というくくりで提示すること=演劇の枠組みを拡張することにやっきになっていた。練った物語を提示するのではなく、日常に演劇をひそませる、あるいは日常の演劇性を拾い上げること、そういう出会いの仕掛けとして作品をつくりたい、そんなことを考えていた。こう書くと今も大して変わらないかもしれない。地域の方々のあたたかさに感激しすぎてエモーショナルにふるまってしまうという倫理的な反省はあったが、失敗も含めて自分としては特別な場所だった。特に滞在していた吉野家さんという旅館のご夫婦にはお世話になった。まちに出て作業をし、旅館に戻り、食事をしてミーティングをし、また朝になると朝ごはんを食べて出かけていく日々の中、吉野家さんは「家」だった。

数年後、旅行で行った時にも吉野家さんに宿泊した。そのときはちょうど横手でかまくら祭りがあるからといって、わざわざ車で連れて行ってくれた。もちろんうれしいことだったけど、あくまで私たちは東京からくる「ゲスト」でありそのおもてなしも含めて消費している立場だということは忘れてはいけない、とも思う。消費は悪ではない、けれど消費を媒介とした交流であり、都市農村交流の根幹にあるのは経済の視点だ。

今回、学会のあとに吉野家さんを訪ねた。駅前からレンタサイクルで。雪のない西和賀ははじめてだった。事前にお電話してあったので、あたたかく迎えてくださる。5年ぶりだった。最近の様子をいろいろと伺う。前よりは少しだけ地方やまちづくりの知識をつけたので、地域で困っていることなどを聞く。こどもの減少、遊び場の不足など。日帰り入浴だけさせてもらったら、8年前の滞在時に齋藤がつくって残したのれんが、今もかかっていた。8年もかけてくれていた。一週間滞在した学生たちが残したものを。その場ではありきたりな感謝の言葉しか伝えられなかったが、そのことにどう報いれるか、帰り道はそのことをずっと考えていた。

身の程を知れ、と、最近よく自分に言い聞かせている。できないこと、すべきではないことに手を出して失敗しがちだから。自分はあくまで今東京に住んでいて、ごくたまにやってくるゲストに過ぎない。引っ越さない限り。だけど消費を媒介とした関係、都市と地方の関係をどうにか読み替えて関わることはできないだろうか。貢献だなんて白々しいことはいえない、あくまでこれは自分の欲だ。ただ欲でも、結果として誰かへのパスになることもあると思いたい。たくさんの罠が潜んでいることは承知だけど、作品をつくることには未だそういう可能性が残されていると思いたい。

と、すっかり作品をつくっていないものが言ってみる。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土の乞食となるとても

帰るところにあるまじや」

室生犀星


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