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小説『分かれ道の選択』

—過去と未来どちらかを選択して戻れるとしたらあなたはどうするか?—


“バンッ!!!”

「ママなんか大っ嫌い!!!!もう顔も見たくない!!!」

 赤羽茜(あかばねあかね)という10歳の少女は、赤いフードとおさげを揺らしながら怒りの表情で玄関を飛び出した。自分の中にある煮え切らない怒りの感情を沸々とさせながら住宅街を駆け抜けていく。

 茜が自分の母親に吐き出した言葉と怒りには理由がある。自分のわが子の将来を心配するが故つい口うるさく干渉してしまう言葉がまだ子供の茜自身には窮屈に感じられた。
 日々勉強をしろ、宿題をしろ、テストの点数が落ちているなど毎日小言を言われることに我慢の限界を感じ勃発した喧嘩から始まった。

「毎回毎回勉強しろ!宿題しろって…!!もううんざり!!!」
「あなたがやるべきことをしっかりやらないからママ怒ってるんでしょ!」
「いいよね!!大人は宿題も勉強もなくて楽だからそういうこと言えるんだよ!!!」
「なんて口を利くの!!!…お姉ちゃんはそんなこと一言も言わないのにね」

 母の由美子はため息をはき、頭を押さえながらぼそりと言葉を吐き出す。

「…!!!またお姉ちゃんとあたしを比べるの??」
 
 心臓がぎゅっとなるくらい怒りと悲しみの思いで途端にいっぱいになった。茜にとって地雷のような言葉。それはスポーツも勉強も優秀な姉と比べられることだった。姉のことは嫌いではない。妹の自分を可愛がってくれるし、何よりとても優しい。
 姉は誰にでも好かれ、周りには常に人がいる。反対に自分は勉強の成績も悪く友人も少ないし運動神経もいい方ではない。自慢でしょうがない姉が最近は並ぶと自分が惨めに思えて仕方がなかった。
 母と言い争いをした際は必ず姉か父が仲裁へと入ってくれるが、父は遠方へ長期出張、6年生の姉は2泊3日の修学旅行で家に不在。だれもこの言い争いを止め、宥められるものはいなかった。

「比べてなんかないでしょ!!ママはあなたのためを思って言っているのに、口答えばっかりして!!」
「うるさい!!うるさい!!お姉ちゃんだけでよかったね!!あたしなんかいらな…」「茜!!!!!」


“パンっ!!!”


 茜の言葉を遮るように由美子が茜の左頬をパン!と叩いた乾いた音が広いリビングに響き渡った。 
 母に頬をはたかれたのは初めてで、じんとした痛みを感じるまでただ茫然としてしまった。痛みの次に来たのは悲しさと怒りだった。
 それから場面は家を飛び出した冒頭へと戻る。飛び出した際に振り返って一瞬見えた母の姿は、頬を叩かれた自分よりもショックな顔と、叩いた左手を右手で抱え茫然と立ち尽くしていた。
 茜はがむしゃらに走った。悲しさ、痛み、怒りでぐしゃぐしゃになった頭の中もすっきりするかもしれない。そうただ信じて、息が切れて苦しくなるくらい走って、走った。



***

「はぁ、はぁ…。もう走れない…。」

 苦しさでいっぱいになりずるずるとしゃがみ込み胸を押さえながら息を整えた。どれくらいの時間が経っただろう。必死になって走ったことにより頭が少し冷静になった。

 必死過ぎて今自分がどこを走っていたのかわからずにいた。あたりを見回して現在地を把握しようと下を向いていた顔を上げる。

「あれ…?ここ、どこ?」

 顔を上げた茜が見た景色は見知った公園でも学校でもお店でもない。ただただ真っ白な空間だった。
 茜はこの状況が理解できず混乱していた。走っても声を出しても何もない。次第に頭の中に焦りが出始めパニックになった。

「もうやだ…家に帰りたい…。」

 涙がとめどなく瞳から出てくる。泣きながらうずくまり心細い気持ちを少しでも静めようとした。そんな時、

「おや、珍しい。こんな小さなお客様は初めてですね。」
 いつの間にかバリトンの聞いた低音の男性の声が聞こえた。やっときこえた人の声にぱっと茜の心に光が差し、うずくまっていた顔を上げた。
 しかし、茜が見た姿は人間の姿ではない。“ヒト型の黒いスーツをぴっちりと着た狼”だった。

「いゃあああああ!!!!」

 恐怖で頭がいっぱいになり逃げようとするが足がすくんでうまく動かない。じりじりとただしゃがみ込みながら後ずさりすることしかできなかった。このままでは自分は食べられてしまうヤギのように…。茜の頭の中には幼少期姉が読み聞かせてくれた7人の子ヤギの物語が駆け巡った。

「まぁ、信じろというのが無理な話ですが、そんなに驚かなくてもあなたのことを取って喰ったりなどしませんよ…。」
 
 何度目だこのやり取りは、とあきれた表情を滲ませながら狼男は茜に言った。

「で、でも、狼は人間をた、食べるもの…でしょ?」
 恐怖で口がうまく回らずカチカチと震わせながらも一生懸命言葉を紡ぐ。狼男はできるだけ優しい声色を向け茜と同じ目線に合わせながらこう伝えた。

「はぁ…私はれっきとしたベジタリアンです。野菜しか食べません。すべての狼が人間を好んで食べるなど偏見がすぎるといいたいところですが…。あぁ、好きな野菜はトマトです。」

「…本当に?」
「本当です。」
「本当に…本当?」

「それならとっくの昔にあなたを食べているところですよ。」

 あっけらかんとして言う狼男の顔はなぜか嘘を言っているようには感じられなかった。その後何気ない会話を重ねていくにつれ、初めのころに感じた恐怖は次第に薄くなっていったのだった。


***

「狼さんは名前なんていうの?」

「名前ですか…。名前というのは特別ないのですが、そうですねぇ。わかりやすいようにオオ・カミオ、カミオとでも呼んでください。」
「わかった!カミオさんね!!あたし赤羽茜っていうの。」
 2人はどこからか白い空間に突如として現れた長いベンチに並んで腰かけ話を続ける。

「茜さんですか。赤いフードと相まってまるで赤ずきんみたいですね。」
「それ…ママにもよくいわれたな…。」

 カミオの赤ずきんという言葉を聞いた瞬間喧嘩別れした母の姿が頭に浮かび何とも言えない気持ちになった。表情を曇らせた茜にすかさず声をかける。

「茜さんは…お母様と何かあったのですか?」
「実は…ママと喧嘩しちゃって。もう顔も見たくないって飛び出してきちゃった。あたしも酷いこと言っちゃったけどママも悪いもん。あ~あ!大人はいいな~勉強も宿題もなくてさ…早く大人になりたい!!」
「なるほど。そうだったんですね。それでこちらに招かれたと。」
「こちらって…?この真っ白な場所のこと…?」「いかにも。」

 カミオは茜の言葉を聞きベンチからすっと立ち上がり言葉を告げた。まっすぐと茜を見つめ真剣な表情で話を続ける。

「いいですか?茜さん。ここは“時の分かれ道”。私はここを管理している管理人みたいなものでしょうか。過去に戻りたい、未来へ行きたいと人一倍強く願うものが招かれるところなのです。」「じゃあ、あたしは早く大人になりたいから…?」「はい。普段は大人のお客様が多いので私も久々にびっくりいたしました。」
「未来に行って大人になれるの?じゃあ、あたし大人になりたい!カミオさん!未来にいかせて!」
「わかりました。ではこちらに。」 

 カミオは茜の手を優雅に取りベンチから見て正面から10歩ほど足を進めた。10歩進んだところで足をぴたりと止めて、懐のポケットから透明なガラス製の呼び鈴を取り出した。

 2回ほどチリン、チリンと鳴らすと真っ白な風景から2本の分かれ道がぼんやりと現れた。右側の分かれ道には「未来(みらい)」、左側の分かれ道には「過去(かこ)」とそれぞれ白いペンキで書かれた木製の方向標識がたっているのが見える。

 茜はいきなり現れたそれらに驚きは隠せないが、カミオのこれからの言葉をおとなしく待つことにした。
「茜さん、これらはご覧の通り「過去(かこ)」の道と「未来(みらい)」の道です。どちらか一方お客様自身が希望する道を選択し過去へ戻るか未来へ行くことができます。飛べる年数は残念ながら大人のお客様に合わせた10~20年の間のランダム制となってしまいますので正確に何年前か後かはわかりかねます。
 茜さんの場合過去に行ってしまわれると赤子の記憶または存在するかしないかのところまで旅立ってしまう恐れがありますので、最初のご希望通り「未来(みらい)」の道がよいかと。」
「わかった。あたし「未来(みらい)」の道にする。」

「本当によろしいですね?」
カミオの説明を聞いたうえで迷いなく選択した茜にカミオが真剣なまなざしで再度問いかけた。「うん。あたし大人になる。」
「承知いたしました。では、お気を付けていってらっしゃいませ。残念ながらここからは私はご一緒できません。まっすぐお進みください。」 「うん。いってくる。」

 ここから一人か。茜はゴクリと唾を飲み込みまっすぐに「未来(みらい)」の道を進み始めた。何年後、何十年後の未来には自分はどうなっているのだろう?
 この先の道の恐怖感もあったが大人になることへのワクワクな気持ちの方が大きかった。足をしばらく進めていくと、ぴかっと目を開けていられないくらいの眩しい光が辺りに包まれ、目をぎゅっと瞑ってしまった。

***

 次第にちかちかしてぼんやりとした視界が次第にはっきりとしてきた。そこに映ったのは見覚えのある場所。自分の家の洗面所だ。その鏡に映っていたのはグレーのスウェット姿で髪の毛もぼさぼさの見知らぬ大人の女性の姿であった。

これはもしかして…?と嫌な予感を覚え、目を押さえていた両手を顔に持っていく。

 ぺたぺたと何度も触って、ついでに頬もつねってみる。痛みも感触も感じる。残念ながらこれは紛れもない未来の茜自身であった。

「これが…大人のあたし?」

 信じがたい事実だが、一体何年後の自分なのか?リビングに行けば何かわかるかもしれない。考えるや否や足をリビングの方へとダッシュで向かった。ところどころ躓きながらリビングにたどり着くと年数や今日の日付がわかるもの…とあたりをキョロキョロ見回し探す。
 ふと時刻、年度、日付が刻まれた電子時計に目が入った。日付は喧嘩別れした日から1か月後の日付。おおよそ20年後であった。そう、茜は10歳から20年後の未来、30歳へとなっていた。

 思い描いていたおしゃれな大人の自分とは真逆でショックからか言葉が出ない。呆然と立っていたそんな時ふと後ろから聞き覚えのある声がした。
「茜、何してるんだ?そんなところで?」
「パパ!…パパなの?」
「…?どう見てもパパだろう?」
 後ろをパッと振り向くと自分が見知っている父親とはだいぶ老けた姿になっていた。皺も白髪も増えて弱弱しく覇気がない。
 あの頃の優しくもパキパキとしたサラリーマンの姿はどこにもなかった。続けて茜は姉のことを聞いてみることにした。

「おねえちゃんは?」 
「葵(あおい)か?この間お前の甥っ子を見せに帰ってきたとこだろう。なんだ…大人になっても姉が恋しいのか?」  

 父親はどうしてそんな当たり前のことをと不思議そうに首を傾げ答えた。
「じゃあ!!!ママは?」

 家にいるはずの母がどこにもいない。もしかして、買い物か旅行にでも行っているのだろうか?そんな答えを期待していた茜だが、父の答えに自分が想像していた答えはどれも該当するものはなかった。  
 「お前、ついに引きこもって頭までおかしくなったのか?ママはとっくに死んでいるだろ…。20年前の交通事故で。」  
 悲しげに目を伏せながら話す父の言葉を茜は理解できなかった。母が、死んだ?20年前は自分が10歳のとき。今の自分だ。何が起きたのか…?

「嘘だ!!パパは噓ついてるんでしょ?ママは交通事故なんかで死なないもん!!いるもん!!」「茜!!忘れたのか!?あの時…ママが死んだときにお前とママは喧嘩していただろう。お前が家を飛び出したときにママはお前の後を追った。靴も履かず裸足でわき目もふらず。その時…車にはねられて死んだ。」

「え…?あのとき…。どうして…?」
 
 父は歯をぐっと食いしばりリビングから出て行ってしまった。ポツンと一人取り残されたことは関係なく頭が真っ白になった。信じられない。そんなことはない。父は嘘が得意でからかうこともおおかったから、きっと嘘だ。嘘なのに。
 
 ふとリビングの奥の小さな仏壇に目が入った。こんなの20年前なかったのに?恐る恐る仏壇に近づくとそこには笑顔を浮かべた母の写真が仏壇に置いてあった。中央には1つの位牌がぽつんと置かれていた。戒名は読めないが戒名の横の没日は自分が家を飛び出した日付になっていた。すべてをやっと頭で理解した茜は膝から崩れ落ち、泣き叫んだ。

母と話したい!会いたい!あの日に戻りたい!!せめてせめて一言でもいいから謝りたい。茜は泣いて、泣いて泣き続け後悔し絶望することしかできなかった。

声がかれるまで目をいっぱいに腫らした顔をした茜は位牌となった母に向けてぽつり、ぽつりと話し始めた。

「ねぇママ、もう戻れないけど。ひどいこと言ってごめん。あたしを心配して飛び出しちゃったんだね。しっかり者のママがそんなことしないのに。お姉ちゃんと比べられるのは辛かったの。あたしなんにもできないしさ。でもママが一生懸命愛してくれてるのわかってる…。わかっていたはずなのにね…。」


目を閉じ息をふーっと吐いて茜はぽそりと誰に言うまでもなくつぶやいた。


「やっぱり、今が一番なのかな。もう…やり直せないけど、もしも生まれ変わったら後悔がないように今を一生懸命生きたいな。」


“ピシッ!!!!!ビシビシ!!!”


茜のつぶやきが終わるや否リビングの空間がぴしりと鏡が割れるように大きな音を立ててひび割れぼろぼろと崩れていった。   

茜は逃げようとするが足がピクリとも動かない。もう自分の足元まで崩れ去りもう駄目だと身体を丸め込み、頭を抱えた。

崩れ落ちていくのかと思いきや何時まで経っても浮遊感は訪れない。おずおずと視線を上げると20年後へ来る前と同じ光がぱっと目の前にひろがった。まぶしすぎて同様に目が明かない。

加えて感じるのは頭ががんッとなった衝撃。


(頭がくらくらする…)


そのまま耐え切れず、茜は意識を闇に落とした。


***

「…さん。…さん。茜さん?聞こえてますか?」「え…?…カミオさん??ここは…?」
 
 ふっと意識が浮上し、はっきりとしてきた時にはカミオが倒れた茜をのぞき込んでいるのが視界に見えた。カミオは茜の身体を支え手鏡で姿を見せながらゆっくり説明する。

「ここは元の場所ですよ。おかえりなさいませ。」
「あれ、ほんとだ…。元のあたしだ。あのね、カミオさん。あたし、ママ死なせちゃった…。」
 次第に未来のことを思い出し茜は胸が締め付けられる思いになった。母はこのまま死んでしまいもう謝ることはどのみちできない。これから起こる、またはもう起こっているであろうことを考え絶望感に苛まれた。
「えぇ。私は管理人ですから全て見えておりましたよ。茜さん。まだお母様の件間に合いますよ。」
「え…?間に合うの?というか戻れるの?あたし…?」   
 茜は信じられない思いだった。カミオはふっと微笑みながら茜に言う。

「えぇ。あなたがこちらに迷い込んでからの時間は1秒もたっておりませんからね。あなたは元の世界では玄関前にいることになるでしょうかね?家を飛び出した瞬間からもう“時の分かれ道”の空間に足をつっこんでいたも当然でしたからね。あなたは大切なことに気が付きました。今が何よりも大切であることに。それに気づくことができたのですからもう充分ですよ。」


「そっか…。よかった…。よかった!!!」
 茜はわんわん泣き出し、カミオは茜が泣き止むまでそっとハンカチで涙をぬぐい続けた。

「落ち着きましたか?」
「うん…。カミオさんありがとう。」
「いえいえ。それではそろそろ元の世界へとお帰りなさい。」
 落ち着いた茜を見て、カミオは「過去(かこ)」の道と「未来(みらい)」の道を出した際の透明なガラス製の呼び鈴を懐から再び取り出し、今度は3回チリン、チリン、チリンと音を鳴らすと「過去(かこ)」の道と「未来(みらい)」の道の間に「現在(げんざい)」の道と標識が姿を現したのだ。
 
「さぁ、この道をまっすぐ進んで。今度は後悔のないように。」
「うん!!ありがとう!!さようなら!!」

茜はカミオに別れを告げ、迷わず「現在げんざい」の道を走っていった。茜は道の先の光へと包まれ姿を消した。


***

「…あれ?ここ?本当にカミオさんの言っていた通り玄関の前…。」

 茜ははっと意識が浮上するとカミオの言っていた通り、飛び出したはずの玄関前にいた。と、すると。
「茜!!!!!」

バンッ!!!! 

「ママ!?」
 母が玄関から必死の形相で飛び出してきたのだ。こんな顔は生まれて初めて見る。由美子は茜の姿を見るや否や駆け寄りぎゅっと茜を抱きしめ叩いた左頬を撫でた。

「ごめんね…!!!茜!!!お姉ちゃんと比べることばっかり…。頬まで叩くなんて…。飛び出していくから心配したのよ!!!あなたに何かあったらって…本当に…本当に良かった…。」 

「ううん。あたしの方がママにひどいこと言っちゃって本当にごめんね…!!ごめんなさい!!ママがちゃんとあたしのこと考えてくれているのわかってるのに…。」   

「もういいの。もう謝らないで。たくさんお話しましょう。さぁ、中に入りましょう。」
「うん。」

茜と由美子はたくさんたくさん話した。楽しいことも嫌なこともたくさん話して二人は泣きながら笑いあったのであった。



―時の分かれ道にて


茜が帰っていった後姿を見ながら、カミオは一人残念そう舌なめずりをしてつぶやいた。


「あぁ、残念ですね。おいしそうなごちそうだったのに。まぁ小さいお客様でしたからね。仕方のないことです。」


チリン、と胸元の呼び鈴が一つなった。


「おやおや、次のお客様ですね。ほう…これは期待できそうなごちそうだ。」


カミオはゆっくり視線を読んでいる読書に目線を向け「内緒ですよと」シーッと人差し指を口に当て次の“客人”を迎えに行った。


―大切なのは過去、未来ではなく今という一瞬、一瞬なのかもしれない。後悔しても後にも先にも進めないのだから―


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