本を読め #7 重力ピエロ あとちょっと重たい話
本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ。
映画「ライ麦畑の反逆児」を見たばかりで、重なる点もあることから、この言葉が頭が離れなかった。でもこの本で重要なのはもっと別のことだ。映画については、次のnoteにでも書こうと思う。
あまりに規模の大きな話で正直上手く描ける自信がないが、気持ちを吐き出すためにここに記す。私は深刻な話を、まだ陽気には伝えられないみたいだ。
重力ピエロを読んだ。映画でやってたな、くらいの印象で、見ることもなければ小説を読んでもいなかった。それを、読んだ。
夢や憧れのように語られるキラキラの家族小説でもなければ、淡々としてモヤモヤしたグレーの世界を進むミステリーでもない。
冒頭から衝撃的だった。レイプという言葉に震えた。性暴力は人生を変える。一人じゃない、多くの人の。それは、はっきり言える。
この本の内容に重みを感じられずにいられなかったが、私の気持ちは間違っていないと肯定してくれる小説だった。もちろん、答えがある話でもないのだが。
ここからは性的な話になるので、見られない人は読まないでいただきたい。ごめんなさい。括られるのは嫌なのだが、わかりやすく言えば、私の #Metoo だ。
大学3年生のとき、レイプにあった。季節は春。サークルの飲み会の流れで夜の公園にいた。う、書いているだけで吐きそうになってくる。
公園のトイレに引きずり込まれた。それから私の人生は変わってしまった。
相手は同じ大学の学生だった。大学に対応を求めて相手は退学になった。
警察にも助けを求めた。よくある性犯罪被害ダイヤルなんてあてにならない。そっけないどころか被害者に少しも寄り添っていない。彼氏は怒ってくれた。疲弊した私は怒りすら感じなかった。
被害当時、私は飲酒していたことからほとんど相手にしてもらえなかった。なんなら、「本当に嫌なら相手の性器入らないよね?」と言われた。同じ女性とは思えない、担当者の発言だった。香港警察じゃないけど、日本の警察も、信用なんねぇ。
サークルも辞めざるを得なくなった。友人もいなくなった。3年以上も一緒にいた彼氏とも別れることになった。
親には話せない。誰よりも一番悲しませたくなかったから。
それから本当に全てが変わってしまった。
自信、自尊心、自己肯定心、希望、勇気、そういったものが全て0になった。怖くなって、信じられなくなって、どうでもよくなってしまった。
どうしても自分が許せなかった。信用していた仲間とはいえ夜の公園にいるなど、女性の行動ではなかったかもしれない。客観的に見たら軽率な行動に違いない。完全に自分に非がないわけでは無いのでは?と卒業するまでずっと考えていた。
大学を卒業する最後のカウンセリングで、カウンセラーにこう言われた。
「許して欲しかったのね」と。
その言葉を聞いた途端、涙が溢れだした。目も鼻もぐちゃぐちゃになるほど、大泣きした。大好きだった人たちが離れてゆき、関係者に「可哀想」「お前のせい」「友達を辞めさせやがって」ずっとそう言われ続けているような気がしていた。
卒業したら、解放されるんだと思えた。
しかし、あれから数年間何をしていたのかはっきり覚えていない。節々の記憶はあるが、自分を大切にしている様子は全くなかった。カウンセリングに通い、気がまぎらわすためにも遅くまで仕事して、飲み会になると病的に飲んでいた。「いい飲みっぷりだね」「飲める子っていいよね」何度褒められたことか。そして、男たちは女に寄ってくる。阿呆をたくさん見てきた。
荒んだ。その言葉がぴったりだった。
こんな重たい話をするのは、いつの間にか主人だけだった。そして今がある。大きな愛で包んでくれる主人がいるから、私は生きている。大げさではなく、本当に、文字通り、だ。
自分を許すのは思っているよりとても難しい。人を許すのだって難しいのだから、自分を許せるのはいつになるかわからない。
私は一生、この記憶と、思い出と、経験を背負って生きていく。テレビやネットニュースで流れるレイプの文字に、人ごとだとは思えない。苦しくなる。
言葉にすることができないモヤモヤを抱えてきたが、解決するには言葉にするしかないのだと思い今に至る。なんでも話す。もう恥ずかしがる必要はない。事実を述べているだけなのだから。
#Metoo を発信することで男女の関係が悪化するなど心配する声があるが、男でも女でもセクハラや痴漢やレイプは起こりうるだろう。勇気を出して助けて!と声をあげる人たちをなぜ指さすのか。なぜ無視するのか。
「異性が怖い」なんて言って踏み出さないのなら男女のコミュニケーションについて真正面から話し合って仲良くなっていけばいいじゃないか。と思う。
慎重に発言しないといけない問題なのもわかっているし、この文章自体が誰かの心に「矛盾」を抱かせているかもしれない。
間違いがあれば反省し、学び、訂正する。けれどもこれは、事実である。
レイプは正当化できないし、犯罪である。加害者は悠々と人生を生き続け、被害者だけが傷つき、損をし、一度きりの人生を浪費する。一度きりの人生という言葉も好きではなかったが、私はその一度きりのたった21年しか、純粋でいられなかった。
この世の中は敵だらけ、矛盾だらけだ。被害者ばかり取り上げられ、モラルのないメディアに追いかけ回される。はっきりとした証拠がなければ、警察に相手にしてもらえない。もはや表現の自由も、自由じゃなくなってきている。税金上げたところで何がかわる?日本の未来はひどいもんなんじゃないか?じゃあ私の未来は?いろんなことにがんじがらめになった日だった。
そう。退学した相手は、かつての友人たちと楽しく過ごしていたらしかった。SNSもいらん相手に繋げやがって。と思った。(見たのは私なので責める気は無い)
どうして私の声は、届いて欲しい人に、届かないんだろう。
明日からも日常は続く。私は、死ぬために生きている。
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