学ぶと遊ぶの境界線

境界線?無かった。と言っても、学校でする学習を「学ぶ」としている訳では無い。現在、自身の身に付いている、人生に於いて役に立ってきたことは、ほぼ全て自身で獲得したもの。私に関わった教師の皆さんには申し訳無い事実だが、こればかりは否定仕様が無い。ご本人談だし。

良く「学校で勉強したことが社会で役に立つのか?」と言う話題が、在学中に生徒の間で出るが、努力して勉強した「努力その物が大事」とか、意味不明なことを大人は答えたりする。熱血スポ根ドラマじゃあるまいし、夕陽に向かって走らされたら訳分からない。大体、大人も「役に立ってねぇなぁ」と思っているのに、説得力のある答えなぞ用意できる訳が無い。強いて言うなら、子供の時に勉強したものを生徒に教える職業、教師。
「それを言っちゃあ、お仕舞いよ」

他の記事に書いた事だが、父親が元教師で、元教え子ネットワークを通じて、様々な物を調達していた。当時、一般家庭には珍しいコピー機や大量の「わら半紙」、その内使うかもの内線電話、一時期ブームを巻き起こした卓球台等々、ガラクタと思しき道具・機械の数々が身近に在った。母親は本を運ぶ人、一時期近所の子を集めて塾の真似事もしていた。ことわざ・慣用句など「かるた」や遊びで教えていたと思う。

一人遊びは、様々な実験に形を変え、近所の神社の森から採取した木の実の発芽・松葉の挿し木・苔盆、顕微鏡を使って何でも拡大、花びらや草の絞り汁にスポイトで酢を垂らして色の変化観察、屋根裏部屋で怪しい回路実験等々。何をもって実験成功としてたのかは不明だが、楽しい遊びに時間を忘れたのは間違い無い。後は、ひたすら読書。至福。

話は変わるが、一人遊びついでに書く。自転車である。上に二人の兄がいて、何でも御下がりが基本。新品なら付いていたであろう補助輪が既に何処かへ消えた状態でやって来た。
自転車の練習と言えば、公園の広場で父親に支えて貰ってというイメージ。一度位はして貰ったかも知れないが、それで乗れた記憶は無い。一人遊びのエキスパートである私が編み出した「全国お子様用自転車協会」推薦のトレーニング方法をご紹介しよう。
自転車に乗るためには「倒れないようにバランスを取る・バランスを取りながらペダルをこぐ」という二点をクリアする事が基本である。
補助輪式は「バランスを取る」を軽減し「ペダルをこぐ」経験値を予め上げておき、補助輪を外したら「倒れる前に進め」と言う方式である。
最近では、私の提唱する「バランスを取る」優先方式に従った商品、ペダルの無い地面を蹴る事で進む(何の挨拶も無いので名前を知らないが)お子様用自転車がある事を御存じの方もいるだろう。
さて、具体的なトレーニングに必要な物は「補助輪無し・ペダル有り」の普通の自転車、次に肝心な場所「人車通りの無い、緩やかな下り坂+α」である。私は自宅庭(下り坂5m)+α(道路10m)を使って、1日でモノにした。地面を蹴る事無く「ペダルこぎ」姿勢に入り「バランスを取る」事に集中できる。自転車トレーニング史上最も有効な方法、一人遊びエキスパートの勝利である。エキスパートじゃないお子様は、必ず機敏に動ける保護者の元でトレーニングするように。機敏に動けない保護者の方は、万が一の場合悲惨な事故の目撃者となる事を御了承下さい。

話を戻すが、「遊びの中に学びがある」とか言う聞こえの良いキャッチフレーズでは無く「学び=遊び」で良い。楽しいと思う事をやれば良い。自分で見付けて、自分で調べて、自分でやってみる。無知だから出来る発想はある。
じゃ、具体的にどうするんだと言うと、取り敢えず適当な命題を与えて図書室に放つ。目的のために自分で調べて結果を出す。基本は放牧。教師は羊飼い。次の段階は、命題も自分で見付ける。より楽しい、遊びに近付く。もっと、具体的な事も書きたいけど、この記事は自転車トレーニングの記事なので、これにて。

辞書に「学び:“遊び”を格好良く言うときに使う表現」とか載ると素敵やん?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?