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『ドトールにて』書評|大切な人を失ったあとで(評者:カツセマサヒコ)

朝倉かすみさんの短編シリーズ第2弾『ドトールにて』を、映画化もされた『明け方の若者たち』などで若者から支持を集める、小説家・エッセイストのカツセマサヒコさんに読んでいただきました。
還暦直前の男性ふたりの”第二の青春”とも読める本作を、カツセさんはどう読まれたのでしょうか。


あのドトールである。
 
言うまでもなく、物語において舞台設定は重要な項目である。その上で、本作はスターバックスでもサイゼリヤでもなく、皆さんのお近くにあるあのドトールを舞台にしている。
 
読み始めればすぐにその設定にも納得できる。主人公は還暦を間近に控えた五十代の男性ふたりだ。保育園からの幼なじみである宗茂むねしげとケン坊は、半年ぶりの再会でも大きく盛り上がることはない。そのやりとりは地元駅のドトールの隣席からたまたま聞こえてきた話題そのもののようで、盗み聞きしているような心地よい背徳感が読者にページを捲らせる。
 
山本周五郎賞を受賞し、直木賞候補にもなった著者の代表作のひとつ『平場の月』も、五十代の男性が主人公であった。どちらも淡く眩しい若い時代を過ぎてからの青春を描いた点が共通しているが、それに加えて今作は、もう少し暑苦しい、男の友情(と、そこから生まれる不要なまでの男らしさ)に関心が向いている。
 
親友との間柄であっても見栄を張りがちなケン坊と、聞き役に徹していることに不満を抱きつつもうまく立ち回ってしまう宗茂。全編を通してふたりの積極性と消極性のコントラストが際立っているが、だからこそ、序盤に描かれる共通の「喪失」は印象的だ。
 
”親類や幼少期からの顔なじみしかいない葬儀で、ふたりが長らくの看病から解放された喜び――故人が長らくの苦しみから解放された喜びでもある――をつい覗かせても不思議ではなかった。また、わざわざ咎める人もなかった。むしろ、喜びのほうを粒立てようとする人が多いくらいだった”
 
宗茂は母親を、ケン坊は妻を、それぞれ近しいタイミングで亡くした。どちらも長く病を患っていたことがあって、残されたふたりは大っぴらにはせずとも、追悼と安堵の感情を同時に抱いていた。
 
死別において、悲しみだけが求められ、それを強制する気配すらある昨今において本作は、故人が苦しみから解放されることは、残された人が看病から解放されたことと同じ意味を持つことを明確に伝える。そこに綺麗事は存在しない。残されたもののリアルをただただ丁寧に描いている。
 
この葬儀を経て、ふたりはそれぞれ、大切な人を失ったあとの人生を歩み出す。他所から見れば勝手な人生を歩んできたように思えるケン坊が育んでいた新たな恋と、思慮深い宗茂が膨らませていた妄想と推理の着地点は、読者に小説世界の豊かさをありありと見せてくれることだろう。
 
そしてこの運命的ともいえる豊かで奇妙な物語が、身近なドトールの片隅から始まったことを思い返したとき、きっと私たちは一つの旅を終えたような読後感を得られるはずだ。その読後感こそが著者の真の狙いではないだろうか。

カツセマサヒコ
1986年、東京都生まれ。一般企業勤務を経て、2014 年よりライターとして活動を開始。2020年刊行の小説家デビュー作『明け方の若者たち』(幻冬舎)が累計14万部を超える話題作となり、映画化。続く2021年にはロックバンド indigo la Endとのコラボレーション小説『夜行秘密』(双葉社)を上梓。現在は文芸誌やファッション誌での小説/エッセイ連載を中心に、『NIGHT DIVER』(TOKYO FM 毎週木曜28:00〜)のラジオパーソナリティとしても活動中。Twitter @katsuse_m


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