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『死が三人を分かつまで』書評|それは道路脇のサインくらい(評者:川内有緒)

Yahoo!ニュース|本屋大賞 2022年ノンフィクション本大賞のノミネート作『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』他、数々の傑作ノンフィクションで人気の川内有緒さん。
その人間を観る眼差しの独特さと、作家になる前は中南米の研究もされていたご経歴。
アメリカとメキシコをまたいで展開する本作を、果たしてどう読まれたのでしょうか。

メキシコが舞台の小説ということ以外、なにひとつ知らずに読み始めた。やたらとヘビーなタイトルに464ページ2段組ときている。読み通せるだろうかと若干慄きながらページをめくった。
 
南米の小説はクラシックな作品を中心に読んできて、だいだいにおいてマジックリアリズム的な要素が強めのものが多かったので、今回もそういったものを想像していた。誰かが魔術で死んだり、逆に夢から死者が抜け出してきたり、老女が豚に化けて過去に戻ったりとかするんでしょ? という予想は愉快なくらい外れた。描かれるのは、むしろ生々しいリアリズムの連続である。しかも、ロマンスあり、事件あり、スリルあり、歴史を揺るがす出来事あり、ミステリーあり。さまざまな要素が巧みに絡み合い、いったん読み出したら、ページをめくる手はノンストップで疾走する。
この物語はいったいどこに行き着くのか――。
先が気になりすぎて、夜を徹して読み続けた。
 
物語は、アメリカ合衆国テキサス州オースティンに住むキャシーという若い女性の何気ない1日から始まる。キャシーは犯罪ノンフィクション作家を志望する駆け出しライターである。作家を目指しているものの、現実にはスキャンダラスな殺人事件などのまとめ記事やブログ記事を書いて投稿し、なんとか食い繋いでいる状況だ。バラバラ殺人や誘拐、暴力など、常に他人の不幸をネタにする。
「こんな仕事に、誇りなど持てるわけがない」
キャシーは自分で自分にウンザリしつつも、世界中の犯罪や事件を追うことをやめられない。そして、たまたま目にした30年も前の事件に心を奪われてしまう。
 
事件の中心人物はドロレス(愛称ローレ)という女性である。キャシーが目にした記事には〈彼女の秘密の二重生活――ある女の重婚がいかにして罪のない男の殺害に繋がったのか〉とある。殺されたのはローレの2番目の夫で、殺したのは最初の夫だった。なんだか、ありがちでチープな話にも見えるが、キャシーはどうにもこうにも興味を惹かれ、車を飛ばしてローレに会いにいく。
キャシーの心中はこんな感じ。
「ベストセラーも夢じゃない」。
 
やがてふたりの女性は、それぞれの思惑を胸に毎日欠かさず話をするようになる。当然、その関係は、徐々に親しさを増していく。それでもキャシーは思う。「ベストセラーも夢じゃない」。
 
ふたりを結びつけるものは何か。
それは、それぞれが抱える秘密である。小説は、キャシーとローレの視点を交互に行き来する。同時に過去と現在も行き来する。ローレに至っては、幾度となくアメリカとメキシコの間の国境を越える。その巧みな小説構造と圧倒的なディテールを交えた描写に支えられ、読者はふたりの秘密の物語の渦のなかに飲み込まれていく。
 
ローレという人物がミステリアスだ。共感できる部分もあれば、とうていできない部分もある。正直者なのか病的な嘘つきなのか悪魔なのか天使なのかわからない。ローレのことが知りたいと願うキャシーの渇望に読者の渇望が重なっていく。
 
はっきりしていることもある。人生の分かれ道は道路脇のサインくらいちょっとしたものだということだ。誰かとの出会い。小さな秘密。薄暗い路地。この先を進んでみたらどうなるだろうと思った先には、混沌と興奮、そして危険が待っている。でも、あと少しだけ。だってすぐに引き返せるから。そう考えるうちに、『ポイント・オブ・リターン』は過ぎ、もはや引き返すことは不可能になる。そこまで来ると、たとえその先は破滅と地獄しかないとわかっていても進むしかない。
 
「物心ついたときから犯罪ノンフィクションを読んできたからわかる。愛こそが最大の破壊力を持っているのだ」とキャシーは語る。
 
愛とは厄介な存在だ。愛は包み込むし、愛は破壊する。そして、愛は再生する。愛は分かち合える。遠いアメリカとメキシコの物語でありながら、さまざまな愛の形が描かれる本書は、日本で暮らす私たちにとっても極めて普遍的な物語である。
 
とても長い物語である。しかし、最後の1ページまでしっかりと見届けてほしい。きっと後悔はしない。
 
 

川内 有緒(かわうち・ありお)
ノンフィクション作家、映画監督。
ジョージダウン大学にて修士号を取得後、ワシントンDCのコンサルティング会社や東京のシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。
2004年からフランス・パリの国際機関に転職し、その頃に書き溜めた原稿をまとめ『パリでメシを食う。』を出版。フリーランスの作家となる。
バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌』(幻冬舎)で、新田次郎文学賞を、『空をゆく巨人』(集英社)で開高健ノンフィクション賞を受賞。
現在、『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)がYahoo!ニュース|本屋大賞 2022年ノンフィクション本大賞にノミネート。ドキュメンタリー映画『白い鳥』・『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』の共同監督も務めている。

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