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もう一度毛玉をつけて

『犬小屋アットホーム!』に感想をくださった書店員さんのひとりに、千葉県にある精文館書店おゆみ野店の須山知子さんがいます。
とても動物好きな須山さんは、本書を読むのに躊躇いがあったとのこと。
それはなぜか。長年共に過ごした愛猫のピエロを失くして間もなかったから。
小説の舞台は、人と犬が寄り添って生活する老人ホーム。
動物の寿命は人間よりはるかに短くホームにくる老人たちの寿命もまた...。
そのため、この小説を読むことでピエロのことを思い出し、気落ちするのではないかと心配されたそうです。
ピエロを愛しぬいて見送った須山さんに、ピエロとの生活から別れまでのエッセイと本作の感想を書いていただきました。

私が『犬小屋アットホーム!』を知ったのは秋に入る少し前。
ピエロが亡くなってもうすぐ1年を迎える頃でした。
あらすじを知り「読みたい!」と思うと同時に読むことへの躊躇いがありました。
当時の私は自分の中から溢れ出る1年前に亡くなったピエロへの感情を抑えきれずにいました。
愛しい
会いたい
触れたい
会えない
寂しい
気持ちが落ち着いてきたかと思えば、何気なく見たものからピエロを思い出してしまう。
そんな状態の私がこの小説を読んでも大丈夫かな…
それでも、犬と猫の違いはあれ、動物と一緒に暮らすこと。
興味を持たない訳がありませんでしたし、躊躇ったのはほんの少しの時間でした。

あなたは老人ホーム「二ーシャシャン」があったら入りますか?
そう問われたら、今は迷わず「入ります。」と答えます。
ひとりじゃないのです。
犬と一緒に暮らせる。最高の条件です!
これまで私は飼ってきた猫たちにいつも救われてきました。
もしニーシャシャンで暮らせるのなら、
その猫たちにしたかった恩返しを、犬たちへの想いに繋げていきたいです。

これから、2021年に旅立った愛猫ピエロについて書いていこうと思います。
19歳。一般的には大往生でしたが、ピエロとの思い出を書き出していく工程は想像していたよりずっと大変でした。
ピエロの最期に後悔が残っている私は…
今こうやって書いていても涙が込み上げてきます。

これは、そんな状態で書けるのかと自問自答しつつも「ピエロの生きた証」を残したいと願った私のワガママエッセイです。


ピエロ16歳 自宅にて

ピエロ。

口もとのホクロ模様がチャームポイントの男の仔。
先代猫が亡くなってから一年の2002年。
ペットロスが落ち着き、新しく「家族」を迎えようと心に決め
保護猫が紹介されているサイトで出逢った仔猫。
2002年5月の終わりに生まれたであろう(保護されたのがその時期)ピエロの名前の由来ですが。
2002年と言えば…
日韓共催で行われたサッカーワールドカップが開催された年。
大人気だったイタリア代表のアレッサンドロ・デル・ピエロが好きだった私。
「これ以外の名前は浮かばない!」
デル・ピエロの【ピエロ】から名付けました。

自宅に迎えいれてから、私はピエロに夢中でした。
とにかく可愛い。
そしてヤンチャ。
仔猫時代は自宅の壁によじ登ってしまったり、
パソコンに向かって座っている私の背中に突如突撃してきたり。
驚いた私は「ピエロが飛んだ…」と思ったことも…
しかし私の愛は重かったのか、ピエロは母に甘える時間が多かったです。
母がベットで横たわっているとひょいっと軽々とジャンプして、幸せそうな顔で母の耳たぶを母猫のおっぱいを吸うようにチュッチュッとするのです。「いいな~」とうらやましく感じていた私。
母がいない時にピエロを抱っこしてベットに横たわりました。
ひらん
とすぐに腕の中からすり抜けるピエロ…
ベットから降りたピエロはせっせと毛繕い…
私を置いて部屋を出てしまいました。
うまくいかないものです。
このように若い頃のピエロはつれなく、完全に私の片想い状態でした。

ニヤニヤしている私にダメだしをするピエロ

ピエロと私。
お互い年齢を重ねるうちにどこで何をして欲しいかわかってきました。
外の景色を見たいから窓を開けてよ→
窓の前で無言でお座り。 
ごはんちょうだい→
いつも食べているご飯皿の前で無言でお座り。
抱っこして→
立っている私の足元で顔をじーーーーーーっと見上げる。
これをされたら、少しだけ屈んで「おいで!」と声をかけます。
ピエロはお尻をフリフリした後に、私の右肩目掛けジャンプ!!
そのまま抱っこされながらノドをゴロゴロ鳴らしてました。

そう。ピエロは普段ほとんど鳴かない子でした。
鳴かなくても、何をして欲しいのかアピールをしてくれたためコミュニケーションが取れていたようで、とても楽しかったです。

見つめてくるピエロ

そんなピエロも歳を重ねると、得意だったジャンプも足腰が弱ってきたのか回数も減ってきました。
ベッドに登る時も、何度も確認して自分が飛べるタイミングを計るようになっていた姿を見て、高すぎず低すぎない木製の台をベッドの脇に置きました。
それからはトントン、と気軽に、階段を昇るように毎日使ってくれていました。

12、13歳を過ぎた頃だったでしょうか。
ある日ピエロはごはんも食べず、じーっと動かず寝ていました。
「お腹空いてないのかな」そんな軽い気持ちでしたが、声を掛けても怠そうだったので、念のためかかりつけの動物病院に連れて行きました。

検査をしてもらった結果は【初期の腎臓病】。

多くの猫は年齢を重ねると腎臓病を発症すると言われており、ピエロもとうとうその病と向き合うことになりました。
腎臓病を発症すれば、現段階で「治す」のは難しく残念ながら完治はしません。
しかし、進行を遅らせる事は出来ます。
その日から薬を処方してもらい、ピエロに毎日飲んでもらいました。

シリンジに決められた量の黄色い液体を吸い取り、ピエロの口元へ。
当然、無理やり飲まされれば嫌がるので手早く済ませたい。
ピエロの小さな頭を左手で固定し右手に持ったシリンジを犬歯の横からピピピ!と口の中へ流していく。
薬が入ったらピエロの口を開かないように軽く閉じ「ゴクンッ」と飲み込めばOK。
それを朝晩1回ずつ。
毎日の事です。
ピエロもシリンジを見ると「…!!」警戒しだし逃げるのです。
しつこくするとシャーシャー!と怒るので、一旦諦め、ピエロが眠っている時に飲ませる日もありました。
おかげで病気を抱えているとは思えないくらい元気でした。

ですが、今から四年前の2018年。
ピエロがいつものように動かない。
食欲もない。
薬は飲んでいる。
不安になった私は母と一緒に動物病院へ。

検査の結果は…腎臓病が進行してました。

薬は液体から粉薬に。
カプセルに1回分が入っていたけどうまく飲ませる自信はなく、ご飯に混ぜても薬の味を嫌がって食べてくれません。
やはり慣れてきていたシリンジを使いたいと、小さなカップに粉を出し、少量の水を入れ混ぜ、シリンジで吸い取る。
黄色い液体と同じように…
飲めた!
こちらの薬もピエロの体に合ったようで、相変わらず格闘はありましたが、元気に過ごしていました。

コロコロを枕に休むピエロ

そして昨年の2021年5月に19歳の誕生日を迎えました。
こんなに長く一緒に過ごせるなんて。ここまで来たら20歳を目指そう!
食は細くなったし眠る時間は増えたけど一緒に過ごしてくれる時間はとても愛おしかったです。

夏の終わり頃にピエロは、休む場所を我が家の北向きにある玄関に移しました。
ひんやりとした感触が心地よいのかな。
まだ外は暑い日が続いてたので、ピエロが心地の良いスペースで過ごしてくれればとお水やごはんも玄関に移動しました。
母が暑いだろうと飲み水に氷を入れたら、氷を直接舐めるようになり、氷が入っていない水は飲まなくなってしまいました。
暑くてすぐに氷が溶けてしまうのですが、飲んでくれるなら、と冷凍庫にストックをいくつも作っていました。
しばらくの間は玄関から離れたトイレに行くことが出来ていましたが、それも難しいのだろうと判断し、トイレも移しました。

氷が入った水とピエロ

9月に入ると、自力でトイレに入るのも厳しくなりました。
トイレに入る前におしっこが出てしまうのです。
何度か失敗したのを見て、ペットーシーツを玄関全体に広げ「どこにしたっていいよ!」状態にしました。
それでもしばらくすると、起き上がれなくなってしまい、寝たままでおしっこをするようになりました。
おしっこした後はしっぽや後ろ足がビショビショ。
急いでピエロをタオルに包んでお風呂場へ。
広めのイスに乗せてぬるま湯のシャワーを掛けながら
「濡れちゃったね~。すぐにキレイにするから待っててね~。」と母と一緒に話しかけていました。

もうこの時にピエロは無反応。
目は少し開いたまま。
寝たきり状態だったので、数時間おきに体の向きを変えるため夜中に何度も起きました。
一日でもピエロと一緒にいるためになんでもやろうと思った。
夜中に何度も目が覚めて、その度にお腹の動きを見ました。
生きてる。
寝たきりになっても生きている。
体は細くなったけれど撫でれば手のひらに毛並みの柔らかさが伝わる。
髭のあるふくふくとしたマズルを毛並みに沿って撫でると心地がいい。
肉球も少し硬くなったけど、指の腹で押せばぷにぷにとした弾力がある。
長いしっぽを5本の指の中に包み込んで先端までスルン、と撫でる。
細い細い糸のように、いつ切れてしまうかもしれない命が目の前にあって、不安も抱えていたけれど、まだ一緒にいられると信じていました。

最後は毎日通院して注射もしました。
飼い主のエゴかもしれないけれど、1秒でも一緒にいたかった。

病院から家に帰ってきた時、キャリーの中でピエロは死んでいました。

無理させちゃったかもしれない。
亡くなる瞬間、近くにいたのに看取れなかった。
ひとりで旅立たせてしまった。
それが私の抱える後悔です。

痩せて軽くなってしまった体は柔らかく、まだ温かい。
死後硬直する前に、体の形を整えタオルを敷いた箱にピエロを収め、その箱に大好きだった猫缶やおやつを一緒に入れました。

私には自分の中で決めていた事がひとつありました。
それは「ピエロの最後をちゃんと見送る」でした。
ピエロが病気になり、歳を重ね、いずれは訪れる別れ。
深夜にピエロの容態の確認や寝たきりだった体の向きを変える為に何度も寝たり起きたりを繰り返していましたが、今その当時を思い返しても「キツい」とは思っていませんでした。
無意識に、常に気を張っていたのかもしれません。
その気持ちを持ち続けていたおかげか、無事にピエロをお空へ旅立たせることが出来ました。

ピエロが使っていたものは片付け、掃除もしました。
でも、突然現れるトイレの砂やピエロの毛。
生きている頃は粘着テープを使っても取り切れなかった毛は、今は付けたままにしています。


さいごに。
実はピエロが亡くなる2日前にワクチン接種をしたのですが、見送った後ようやく発熱しました。
接種後は腕が痛いな~でも熱は出てない!と安心していたのにこのタイミングで発熱…
私の体、えらいなぁって。
ピエロを見送るまで熱を出さなかった。
飼い主として責任を果たせた。
自分で自分を誉めました(笑)

19年も一緒に過ごせて幸せだった。
ピエロも幸せだったと感じてくれてるといいなぁと願うばかりです。

ピエロへ。
毛皮を着替えてまた戻ってきて欲しいけれど、
幸せなら私の所じゃなくてもいい。
天国でも他のお家でもいい。
どこでもいいから幸せでいて。

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