うねりノート#3 私は子供を育てることにした

私は目でみて「なろう」と思ったものになることができる。
「明るく社交的」「皆さんと仲良くなりたい」これは明らかに別人になっていた時のわたしだ。今の私は孤独で居たい。
ほっておいてほしい。

私は子供を育てることにした。
そして、私は子供にとって最高の親友であろう。
映画や美術館に連れて行き、作品の解釈の違いで喧嘩したりして、
仲直りをするためにヴィレヴァンで売っている映画Tシャツをプレゼントしよう。

私は質問攻めしてくる子供に対して、まず自分が何をわからないのか明確にするようにした、しかし、わからないことが、わからない。
子供にはボキャブラリーがそもそもないし、経験が無いので想像することもできなかった。

私は子供になることができたので、気持ちがはっきりとわかった。

わかるというか感じることができた。子供の目で世界をみることもできたので、目の前の私を見ることもできた。

その子供は、ルールが嫌いだった。が、一度入ったルールから外れようとする人間を毛嫌いしていた。

子供は言葉を話さなかった。話せないわけではないが、長年米国に住んでる日本人が日本語よりも英語の方が話しやすい、自分の気持ちを伝えやすいのと同じように、

子供は言葉よりも絵の方が、自分の感情、情報を伝えやすいと考えていた。

私は子供の描く絵が好きだった。

「やわらかい」「いのち」「やさしさ」「おもいやり」などの言葉よりも
よっぽどその意味を現していた。


子供の心の中はいつもやわらかで、あたたかいものであった。

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