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読書記録『決壊 上下/平野啓一郎』

平野啓一郎さんの作品を読了。今年24冊目。

〈作品について〉
エリートな兄を持つ弟・沢野良介は妻と息子の三人で平凡な家庭を築いていた。側から見ると幸せそうな良介はネット上でブログに心の声を日記として書き残していた。ある日ブログ上のコメント欄で出会った男〈悪魔〉と呼ばれる男にバラバラに虐殺される。なぜ沢野良介が選ばれたのか?悪魔の共犯者となった少年の心の闇は?そして遺族である兄・沢野崇が容疑者とされたのはなぜ?
もう元の生活には決して戻れない遺族は、どう生きていくのか。
「赦す」とはどういうことなのか?


下記、本文引用
上巻

言葉っていうのはね、どうも、不自由にしか遣いこなせない時よりも、巧みに 易々 と遣いこなせている時の方が、本当に痛烈に人を裏切るものなんじゃないかっていう気がする。これは呪わしい実感だね。
平和が平和として感じられるためには、 平和 で ない 現実 こそが不可欠
耐えるという行為には、 期限 が必要だった。いつか終わると思えばこそ、終わったあとの幸福を前借りして、今をやり過ごすことができる。あるいはむしろ、 終わら ない とはっきり決まっていれば、ただやり過ごすというのではなく、今の困難を何か別の充実へと変える工夫をするはずだった。
他者を承認せよ、多様性を認めよと我々は言うわけです。しかし、他者の 他者 性 が、自分自身にとって何ら深刻なものでない時、他者の承認というのは、結局のところ、単なる無関心の意味でしょう。こういう趣味 嗜好 がある、こういう生まれ育ちだ、こういう習慣を持っている、文化を持っている、ああそうですか、大事にしてください、という話ですよ。
人間はひとりとして同じ人はいません。なのに、この世界は一つしかありません。





決壊2

下巻

自分がそんな人間でないと信じるためには、自分でないそんな存在が絶対に 必要なのだ!
篠原は、〝病気〟であったから罪を犯したのではない。罪によって〝病気〟であるとされているに過ぎないのだ。

人をどう見るか。これは自分にも問いたいところ。


赦す っていうのはね、結局、終わらせることじゃない?…… 忘れることが出来ないなら、 赦して終わらせるしか
赦しという行為に、崇高な価値が与えられているのは、どう考えても赦される側の人間のためじゃない。 赦す側の人間のためだよ。

これは初めて出会った価値観だった。
確かにそうかも、と思った。

俺は、沢野崇いう名前の 遺伝 と 環境 の 偶然 の 産物 が好きで、その偶然のためにせっせと骨を折っとったんか? ちゃうやろ? お前いう人間の 人間性 が好きやから、やっとったこととちゃうんか?





〈感想〉
正直、よく分からないしスッキリしない。
重たいテーマを取り上げた作品を通じて、問いを投げかけられ、その解釈は読者に委ねられた感じがした。

上記の著者インタビューでもそのように語られている。

内容は重たいし、描写は気持ち悪いし、後味悪いし…。
今まで読んだきた平野作品の中で、もっとも「イヤ」な作品だった。

読了後、え?ってなって、ズシーンと重いものを委ねられて、終わった。
きっと最後の最後に兄・崇が現れて、亡き弟の荷物を義妹家族に渡すところにも肝があるんだろうけど…分からん。

結局兄・崇は何者だったんだろう…


そして、やっぱり人間が持つ感情、リアルな心の底にあるものを描写するのが上手いと思った。
暗くて重たい感情、汚い感情、醜い感情、誰もが持ち得るモノが文字で表現出来るってすごい。

いろんな立場からの人の心を、視点を覗き見ることが出来る作品だった。


〈悪魔〉にならなくても、悪魔の部分は誰もの心に忍び寄ってくることがあるんじゃないかと思った。
だからと言って殺人をして良いことにはもちろんならないけど。
するか、しないかの差は大きい。
思うか、思わないかの差はほとんどない、的な。

あー、全然噛み砕いて腑に落ちてない。(笑)

そういう作品と出会えることも、ありがたいことなんだろうね。


「本は面白いところばかりではないので途中で嫌になることもあるけれど、実はそれこそが肝だったりする」
って別のインタビュー記事で平野さんが言ってた。




かなり重たかったけど、読めて良かった。
他の平野さんの作品も読む。

#本 #読書 #読書記録 #平野啓一郎 #決壊 #小説 #stayhome

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